異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 玄関先まで見送りに来てくれた真琴を振り返った海藤は、しばらくじっとその顔を見つめていた。
何時もとは変わらない表情・・・・・いや、夕べ夜明け近くまでその身体を苛んだせいか、少し眠そうで色っぽい表情だった
が・・・・・真琴は海藤の視線に少しだけ笑う。
 「気をつけてください」
 「・・・・・真琴」
 「心配しなくても大丈夫ですよ」
 「・・・・・行ってくる」
 「行ってらっしゃい」
 柔らかな声に見送られて部屋を出た海藤は、エレベーターの前に立っている倉橋の姿を見つける。
なぜドアの前まで迎えに来なかったのか、その硬くなった表情から海藤は嫌な予感がした。
 「どうした?」
 「未明に事務所に発砲されました。サイレンサーを使った様なので、ガラスが割れるまで組員達も気付かなかったようで
す」
 「怪我人は?」
 「いません」
 「・・・・・」
 「先程電話があったので、綾辻にも伝えたんですが、彼が言うにはもしかしたらそれはジュウの手ではないかもしれないと
言っていました。どうやら、ジュウには対立している存在があるようで、そちらが動いている可能性もあると」
 「そうだな・・・・・あの男がするにしては乱暴過ぎる」
 相手の組事務所を発砲する。幾ら消音銃を使ったとしても、これでは警察が動く可能性もある。経済ヤクザと名を知
られているとはいえ、所詮暴力団である開成会は警察にマークをされていることは確かなのだ。
今までのジュウのやり方から考えれば、あまりにもスマートではない。真琴が明らかにNoと言わない限り、あの男が実力
行使に出るのはまだ少し早過ぎるタイミングなのだ。
(いくらブルーイーグルと言われている男でも、な)

 それまで、海藤自身も、青い目ということ以外、年齢も容姿も不詳で、狙った獲物は殺してでも奪うというほどの残虐
で冷酷な暗黒街の支配者というイメージしかなかったロンタウ。
しかし、実際に会ったロンタウ・・・・・ジュウは、噂とはまるで違う柔和で穏やかな外見の、理知的な男だった。
だが、全く笑っていないその青い目が何を考えているかまでは分からない。
 「綾辻は?」
 「事務所に寄るそうです」
 「そうか」
真琴にはけして聞かせることが出来ない話に、先程まで真琴に見せていた海藤の笑みはすっかり消え失せていた。



 「多分、反対勢力でしょうね」
 事務所に行くと、既に綾辻はいた。
割れてしまったらしい窓ガラスは既に取り替えられていて、一見本当に襲撃があったのかと分からないほどに事務所の中
は落ち着いている。
 「さっき、お巡りさんが来たんですけど」
 「警官が?」
 「近所の奥様が通報したらしいんです。明け方ガラスが割れる音がしたんですけどって。まあ、来たのが顔見知りの緒
方って警部さんだったから、何とか誤魔化して帰ってもらったんですけど」
 「そうか」
 「その警部さんが面白いこと言ってたんですよ。昨日、どうやら香港から人相の悪いおじさん達が来てる様だけど聞いて
いるかって」
 「香港から?」
 「多分、ロンタウとは別口だと」
 「・・・・・」
 「これは、仮定として聞いてくださいね」
 そう言って、綾辻が話したのは、ジュウと敵対する相手のことだった。
幾ら強く、カリスマ性があるとしても、若いロンタウに反感を抱く者はいて、それは最近表に出るほどに激しくなってきたらし
い。
その直接の原因は・・・・・。
 「真琴のことが?」
 「まあ、単なる切っ掛けに過ぎないでしょうけど」
 ジュウが真琴と知り合ったのはまだ数日。
しかし、それらの過程は全て本国に伝えられ、日本人の、それも男にうつつを抜かしているジュウに対して、ここぞとばかり
に反旗翻そうとしているらしい。
 「私がこの間向こうに行った時も、確かに彼に対して反発しているグループがあったことは感じてましたし、もしかしてこの
機会に日本で彼を・・・・・って、有りうるかもしれません」
 綾辻の話を聞きながら、海藤は目まぐるしく考えていた。
向こうの組織の内部分裂に関わる気は毛頭無いが、もしも真琴の事をいい切っ掛けとして考えているのならばこちらに飛
び火があることも考えられる。
狙撃も、その一環としてだったら・・・・・。
 海藤は顔を上げた。
 「ジュウが帰国するのは明日だな」
 「あの時、三日後って言ってましたしね。時間は、今から関東圏の空港のデーターを調べて、自家用ジェットやチャータ
ー機も含めて見当をつけます」
 「それは私が」
倉橋が言葉を挟んだ。
 「綾辻は真琴さんについてくれていた方がいいと思います」
 「綾辻」
 「了解」
臨機応変に柔軟な考えが出来、腕もたつ綾辻はボディーガードに最適だ。
それを分かっていて自分から名乗りをあげなかったのは、もしかしたら倉橋に気を遣ったのかもしれないが。
 「じゃあ、行って来ます」
 「頼む」
 「気をつけて」
 「ふふ、ありがと」
倉橋に向かってウインクをしながら、綾辻は部屋を出て行った。



 海藤が出掛けてしばらくして、真琴は部屋の中を片付けた。
潔癖症とまではいかないが、真琴も海藤もそれ程部屋の中を汚すことも無いので、時間も掛からずに綺麗になる。
すると、真琴は部屋着から服を着替え始めた。

 【明日だが、準備は出来たか?マコ】

 まるで、海藤が出掛けたのを見ていたかのように、タイミングよく鳴った電話。
しかし、真琴は今日は動揺しなかった。この電話があることを、心のどこかで確信していたからかもしれない。

 「話したいんですけど」
 【・・・・・一日早いのに、もう別れは済んだのか?】
 「・・・・・話が、したいんです」
 【迎えをやろう。二時間後、そのマンションの下で】

ジュウが、このマンションの場所を知っていても驚かない。彼が持っている権力ならば、それぐらいはいとも簡単なことだとい
うことは知った。
二時間・・・・・全てに決別して来いというのが二時間という時間なのだろうか。
(・・・・・ごめんなさい、海藤さん)
 海藤に黙ってジュウに会いに行くことは、それがどういう意味であれ海藤への裏切りだろうとは思う。
それでも、真琴はこれ以上関係ない人が傷付くことはもう絶対に嫌だったし、今からジュウに会いに行ったとしても、絶対
にまたここに、海藤の元に帰ってくる気でいる。
そう思うこと自体甘いのかもしれないが、真琴が知っているジュウならば、絶対に分かってくれるはずだとも・・・・・信じてい
た。
 「・・・・・よし!」
 リビングの入口に立った真琴は、一度部屋の中を振り返った。そして、これが最後ではないと心の中で何度も言い聞か
せ、やがて思い切ったように玄関のドアを開ける。
 「!」
 「セーフ?」
 「・・・・・綾辻さん」
 「お散歩なら付いていっていいかしら?」
 少し息を荒げている綾辻は、かなり急いで駆けつけてきたことが分かる。
にっこりと笑う彼をここで振り切ることなど出来なくて、真琴はどうしようとじっと綾辻を見つめてしまった。