異国の癒す存在
28
『』は中国語です。
マンションの下に真琴を迎えに来た車はシルバーのベンツだった。
無表情の、日本人とは少し違うが、それでも東洋人の顔をした男は、黙って真琴の隣に立つ綾辻を見ていた。
「あ、あの」
その視線の意味は真琴も十分に分かるものの、言葉で綾辻を説得してこのまま1人で車に乗ることはとても出来ない。
電話の話とは違ってしまったことを侘び、綾辻も同行していいかと真琴は男に言った。
「・・・・・」
「ダメだって言っても、くっ付いて行っちゃうわよ?」
無言の圧力など全く意に返さず、綾辻は華やかな笑みを向ける。
誰もが目を奪われるその素晴らしい笑顔にも少しも動じない男は、黙ったまま携帯を取り出してどこかに電話を掛け始
めた。
(す、すごく怒ってるのかな)
こちらから会いたいと言ったくせに、約束と違うことをしようとしている自分に対してどれ程怒っているのか、真琴は不安げに
男の横顔を見つめていた。
『・・・・・私です。お迎えにあがりましたが、なにやらゴミも持ち込みたいと』
「・・・・・」
(ゴミ・・・・・こんな美しい私に向かって失礼な言い方ね)
顔からは笑みを消さないまま、綾辻は男の言葉にじっと耳を傾けていた。
自分が中国語に不自由していないという情報はこの男には伝えられていないのだろうか、男は口元も隠さず、声も落とさ
ないままだ。
詰めが甘いと内心舌を出し、綾辻は男を見続ける。
『はい、1人です。・・・・・茶髪の、妙に態度の大きい男ですが』
「・・・・・」
(堂々として、紳士的でしょ)
『同行してもよろしいのですか?』
「・・・・・」
(あら、即効許可下りちゃった?)
『・・・・・分かりました。手を拘束して自由に動けないようにしておきます』
「・・・・・」
(やだ〜、変なプレイをしようとしてるんじゃないでしょうね)
男の会話に一々茶茶を入れながら、綾辻は電話を切ってこちらを向いた男ににっこりと笑いかけた。
「どうだった?」
「・・・・・手」
「手?」
「拘束することに同意するなら同行を許す」
少しだけイントネーションがおかしいが、それでも立派に通じる日本語だ。
それを聞いた真琴はパッと綾辻を見上げたが、綾辻は想定の範囲内だったので少しも慌てず、両手を差し出しながらウ
インクまでしてみせた。
「傷付かないようにタオル巻いてくれる?」
『・・・・・』
手を拘束されたとしても、攻撃力がゼロになるわけではない。このくらいで真琴から離れないで済むのならば、問題は全
く無いと言っても良かった。
それよりも、男の電話の相手・・・・・多分、ウォンだとは思うが(ジュウと直接連絡を取れる位置にはいないだろう)、彼が
条件付でも自分の同行を許した理由が何なのか気になる。
(ま、行けば分かるわね)
とりあえずは真琴1人で行かせることが無くて良かったと、それが一番の安心要素だった。
念の為、マンションからかなり離れた場所で車から降りて走った綾辻。乗ってきた車を運転していた久保は、この状況を
敏感に察知して海藤に知らせてくれるはずだ。
途中で相手方に捕まるようなヘマな部下ではないだろう。
(頼むわよ、く〜ちゃん)
『アヤツジが来たか』
『呼び寄せたのでしょうか』
『・・・・・いや、違うな、カイドーの差し金だろう』
部下からの電話を側にいるジュウに報告たウォンは、なぜジュウが綾辻の同行を許したのかが分からなかった。
あの男は柔らかな外見に似合わず相当腕がたち、度胸もいい。絶対にこちらにとっていい影響の存在ではないはずだ。
多少乱暴な手段を用いても、そのまま捨て置いてきた方がいいはずだろうが・・・・・。
『ウォン、頭がいい人間と対するのは面白いな』
『ジュウ』
『アヤツジ、あの男はいい。出来ればこのままマコと共に連れて帰る』
ジュウの言葉に、ウォンはさすがに驚いたように目を瞬かせた。
まさかジュウが綾辻をそんなふうに評価しているとは思わなかったからだ。
『しかし、あの男がカイドーを裏切るとは思えませんが』
『あの男は馬鹿ではない。どちらに付くのが有益か、きちんと考えることが出来るだろう。それでもNoと言うのなら、そのま
ま捨て置けばいいだけだ』
『・・・・・』
(一時間も掛からないはずだな)
時計を見上げながらジュウは思った。
真琴から会いたいと言ってきたことが嬉しかった。
たとえそれが断りの言葉であっても、彼が顔を見たくないほどに自分を嫌っているわけではないと思えるからだ。
(誰よりも、大切に扱おう)
自分がどういった理由で真琴を欲しいと思っているのか、この時点でもジュウ本人言葉できちんと説明することは出来
なかった。
ただ、欲しい・・・・・その優しい眼差しを自分だけに向けて欲しいと思っているだけだ。
(もう直ぐだな、マコ)
もう、それ程待つことも無く、欲しくてたまらない相手は自分からジュウの手の中に飛び込んでくる。どんなに暴れても抱
きしめたら放さないつもりで、ジュウは再び時計を見つめた。
(綾辻さんがいてくれて・・・・・良かったかも)
走っている車の窓ガラスに僅かに映った綾辻の横顔を見ながら、真琴はホッと小さな溜め息をついた。
最初に綾辻がドアの向こうに立っている所を見た時はどうしようかと思ったが、こうして隣り合わせに座っていると随分安心
している自分がいる。
ただ、何も拘束されていない自分とは違い、後ろ手にきつく紐で手を拘束されている綾辻の姿を見てしまうと、そうさせ
てしまっただろう事を申し訳なく思ってしまった。
「・・・・・痛いですか?」
「ん?これ?」
真琴の言葉に、綾辻はふふっと笑う。
「手錠や革のベルトじゃないだけましよ。ただ、車の中じゃちょっと体勢がきついけど」
「・・・・・」
「私がMだったら快感を感じられたんだろうけど、あいにく責める方が好きだから。でも、いい経験よ、気にしないで、マコ
ちゃん」
何時もと全く変わらない口調の綾辻は、これから自分達が誰に会うのかちゃんと分かった上で言っているのだろうか?
いや、その前に・・・・・。
「・・・・・海藤さん、俺がしようとしていること・・・・・分かってたんですか?」
「確信は無かっただろうけど、予感はあったんじゃないかしら」
「・・・・・怒って・・・・・ますよね」
「怒ってないわよ」
「・・・・・」
「ただ、こんなに大切な決断を、マコちゃん1人で決めちゃったことは寂しいと思ってると思うわ。帰ったらちゃんと謝った方
がいいわよ」
「綾辻さん・・・・・」
ごく普通に、帰るという言葉を言う綾辻をじっと見つめると、綾辻は笑みを浮かべながら目を細めて見せた。
「・・・・・帰ったら?」
「怒られるの、覚悟しておきなさい。大丈夫、私も一緒に謝ってあげるから」
「・・・・・はい」
真琴は頷いた。
自分の心の中では、絶対に帰るという事が前提ではあったが、綾辻が言うとそれが確信に聞こえる。
(・・・・・大丈夫、ちゃんと海藤さんのところに帰るんだ)
真琴はもう一度誓うように思うと、後ろ手で拘束されている為に座りにくいらしい綾辻の身体を支えるように手を添えた。
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