異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 車の中に乗っているのは、真琴と自分の他、先程電話を掛けていた男と運転手、そして助手席にもう1人だ。
前後にも、先程から同じ車が付いてきているので、これも多分相手方の仲間なのだろう。
(なんだか・・・・・可哀想なくらいマジなのねえ)
 当初、相手は綾辻が一緒に来ることを知らなかったはずで、それでも車3台でたった1人の青年を、それも素人の人間
を迎えに来るなど、ジュウはよほど真琴に対して本気なのだろう。
 「・・・・・」
(でも、どこに向かってるのかしら・・・・・)
 綾辻の調べでは、ジュウは日毎にホテルを変えていた。それはどれも都内の一流といえる所ばかりだが、今車が向かっ
ているのは都心とは逆の方向に思えた。
(まさか、このまま空港に・・・・・いや、それは無いはず)
他の人間は分からないが、ジュウという男は約束を違えることは無いように見えた。それも、本人が真琴に対して言った
ことだ。
 「・・・・・」
 そんなことを思っていた綾辻の疑問をまるで代弁するかのように、助手席に座っていた男が先程電話をしていた男を振
り返って言った。
 『シャオ様、ロンタウのお待ちになっているホテルとは方向が違うようですが』
 「・・・・・」
(この男が、この場ではトップなのね)
綾辻とそう歳は変わらないような若い男は、自分よりも一回りも年上に見える男を睨みつけた。
 『間違ってはいない』
 『しかし・・・・・っ』
 『ロンタウに全権を持たされているのは私だ』
 『では、どちらに向かわれているのでしょうか』
 『高速に乗って中部国際空港から香港へ向かう』
 『香港へ?それはロンタウも・・・・・』
 『・・・・・煩い。永遠に黙っていたくないのなら口を閉じていろ』
 『・・・・・っ』
 「・・・・・」
(中部国際空港?セントレアから出国?)
 2人の会話の内容に、綾辻は少なからず驚いた。まさか、本当にジュウが真琴との約束を前倒しにして香港に連れ去
るとは思わなかったからだ。
しかし、それならば自分という存在はどうするだろうか?拘束という条件付ながら、話し合いの場所に連れて来る許可を
与えたくせに、もしかしてどこかで始末するつもりなのか。
 こちら側で話していた男の言葉は分かったものの、電話の向こうのジュウの言葉まで聞き取れたわけではない。とりあえ
ず騒がないように途中まで同行して、そのまま・・・・・。
(・・・・・さすがに、拙いかも)
 綾辻の雰囲気が急に変わったことに、直ぐ側にいた真琴は気付いてしまったようで、どうしたんですかと心配そうに聞い
てきた。
 「・・・・・どうやら、このまま香港に行くらしいわ」
 「えっ?」
真琴も驚いたように目を見張る。
 「だ、で、でもっ」
 「約束は守る男だと思ってたんだけど・・・・・買い被りだったみたいね」
 「・・・・・」
 「マコちゃん、あのね」
 綾辻が顔面蒼白になってしまった真琴に更に言葉を継ごうとした時、
 「ニホンゴで話すな」
男が音も無く銃を取り出し、綾辻の額に銃口を押し当てた。



 ごちゃごちゃと煩い助手席に座っている男は早々に始末した方がいいだろう。
そう思ったシャオが銃を取り出そうとした時、直ぐ後ろから声が聞こえてきた。
 「・・・・・いかぶりだったみたいね」
口を塞いでいなかったせいか、想定外に連れて来ることになってしまった男が先程からずっと勝手に話している。
(あの場で殺しておけば面倒でなかったものを)
 「ニホンゴで話すな」
 日本語の会話はある程度聞き取れるものの、それでも微妙な言い回しや、暗号などが含まれていたら後で拙いことに
なる可能性がある。
銃に不慣れな日本人は、本物を突きつけただけでも大人しくなるだろうと、シャオは安全装置は外さないまま銃口をにや
けた男の額に突きつけた。
(これでしばらくは静かになるだろう)
 『じゃあ、この言葉だったらいいんだな?』
 『!』
 だが、恐れをなして震える姿を想像した男は、返ってふてぶてしい笑みを浮かべて、流暢なシャオの国の言葉を話し始
めた。
 『お前・・・・・分かるのか?』
 『分からないなんて言った覚えは無いな』
 『・・・・・っ』
確かに、言葉で確認したわけではなく、どうせ日本人はとシャオが勝手に思っていただけだった。
(では・・・・・さっきの会話は全て聞き取れていたということか・・・・・っ)
 シャオは、頭の中で素早く今までの自分の言葉を回想した。何か拙いことは話していなかっただろうか。
(こいつ・・・・・生かしておいていいのか・・・・・?)
この先の行動を考えれば、この場で始末しておいた方が安全のような気がするが、自分達のテリトリーではないこの地で
余計なリスクを負うことも得策ではない。
(・・・・・くそっ)
 相手は拘束をしているし、人数もこちらの方が多い。
それなのに、シャオは自分の方が追い詰められているような思いがした。



 海藤はパソコンの画面にじっと目を凝らしていた。
ジュウと向かい合う時、一つでも優位な材料を持っていなければならない。
 「・・・・・」
誰かが傷付くことを憂う真琴の為にも、実力行使は出来るだけしたくは無かった。
 「倉橋、綾辻から連絡は」
 「・・・・・ありません」
 既に空港のチェックを終えていた倉橋は、本来海藤や綾辻がする通常業務もまとめて処理をしている。普段から真面
目とは言い難い綾辻だが、実際にこなしている株の操作等は常人の何倍ものスケールだ。
だからこそ、開成会の資金も億の単位なのだが・・・・・いくらジュウのことに時間を取られているとはいえ、時間が止まってく
れることはない。
自分も気になるだろうに、様々な雑事を淡々とこなしてくれる倉橋に、海藤は感謝と信頼を向けていた。
 「もう、とうに着いている筈ですし・・・・・わざと連絡を寄越さないということもないと思うんですが」
 「・・・・・」
 そんな倉橋も、そして自分も、先程から祈るような気持ちで綾辻からの連絡を待っている。
既に綾辻がここを出て行ってから2時間は経つが、その間一度も連絡が無いのだ。何も無い、平和な時とは違い、こん
な時にわざと連絡をしてこないなどとは考えられない。
 何かあったのかもしれない・・・・・2人の脳裏には嫌でもその言葉が浮かぶが、それでも何の根拠も無いまま動くことは
出来ないのだ。
 「・・・・・っ」
 その時、机の上の電話が鳴った。
倉橋がそれを取る前に、海藤自らがとっさに手を伸ばす。
 「どこからだ」
事務所に掛かってくる電話は全ていったん受付が取るので、海藤は前置きも無くそう訊ねた。
 「・・・・・回せ」
 受付が言った名前は想像していた相手では無かった上、更なる悪い予感が増幅してしまう。
 「久保からだ」
 「久保?」
自分と同じように気が気ではないだろう倉橋に、電話の相手の名を教えた。それが綾辻の部下、今も車に同乗して行っ
たはずの男だと倉橋も直ぐに分かったようで、白い頬に緊張の色を濃くした。
 【久保です】
 時間を置くことなく回線が繋がり、雑音が一切聞こえない向こうから久保が自分の名を言った。
 「何があった」
綾辻直接の連絡でないことからも何かがあったことは感じたが、それでも海藤ははっきりと言葉で聞くまではと緊張を持
続したまま訊ねる。
そして・・・・・。
 【2人が拉致られました】
 「・・・・・」
その報告は半ば予想していた通り、最悪の状況を告げるものだった。