異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 【東名に乗って走っています。どうやら都内のロンタウとは接触しないようですが】
 「東名?」
 海藤はその言葉を呟いて頭をフル回転させた。
綾辻から報告を受けていたジュウの幾つかの宿泊先は、全て都内の高級ホテルだった。
(・・・・・都内から出たというのか?)
日本は一本の道路で繋がっているとはいえ、都内から遠く離れた場所へわざわざ呼び出すことなどありえるだろうか?
(香港へ行くには空が一番手っ取り早い。空港はどこを使う気だ・・・・・)
 世界中を網羅するとまではいわず、中国や韓国へ行くとしたら地方空港でも十分だ。しかし、自家用ジェットを呼べる
広さや、もしくは便数が多い場所と考えればその範囲は狭くなる。
(東名・・・・・関空は遠過ぎる・・・・・)
 「・・・・・セントレアか」
 海藤の頭の中に唐突に浮かび上がったのは、名古屋の中部国際空港だった。
そこならば都内から高速を飛ばせば3時間は掛からない。
 【後を追っていますが、向こうは車3台、人数は多分10人はいると思います】
 「そのまま手を出さずに追ってくれ。直ぐに連絡する」
 【分かりました】
 電話を切った海藤はしばらく動かなかった。
今海藤が車を飛ばして直ぐに追いかけたとしても到底追いつくはずが無く、追っている久保だけでは返り討ちに遭うのが
目に見えている。
どうしようもない距離と時間を、どう挽回すればいいのか。
(いや、よく考えろ・・・・・)
 その一方で、海藤の中で気になっているのは今回のジュウの行動だ。
いや、これは本当にジュウの意図なのか?
今朝方の銃撃の時にも感じた違和感が頭の中を渦巻き、そこに綾辻の言っていた言葉が重なってくる。

 「昨日、どうやら香港から人相の悪いおじさん達が来てる様だけど聞いているかって」
 「私がこの間向こうに行った時も、確かに彼に対して反発しているグループがあったことは感じてましたし、もしかしてこの
機会に日本で彼を・・・・・って、有りうるかもしれません」

 日本国内に入ってきたらしい、ジュウと同じ国の男達。
彼らがマフィアの人間かどうかははっきりは言えないが、これがま全く別のことだと言い切ることが出来るだろうか。
 「会長」
どういった状況になっているのか分からない倉橋は、眉を顰めたままそれ以上声を掛けることが出来なかった。
 「・・・・・」
 どのくらい考えていたか、しかし、多分その時間はごく短かったと思う。
海藤は自分の携帯を開くと、そのまま暗記している番号を押した。数回のコール音が、とてつもなく遅く感じる。
 【・・・・・何だ】
 「海藤です。少しお時間を頂きたいんですが、今どちらに」
やがて、唐突に電話に出た相手に対し、海藤は畏まった口調で切り出した。



(このまま香港に?俺との約束・・・・・破った?)
 真琴は綾辻の腕にギュウッとしがみ付いてしまった。
自分は、もしかしたらジュウという人間を買いかぶっていたのだろうか?海藤に彼がどんな人物か聞いても、自分に対して
の優しさは嘘ではないと思い、真摯に話せばきっと分かってもらえる・・・・・そう思ったのは、自分の子供っぽい思い上がり
だったのだろうか・・・・・。
(俺のせいで、綾辻さんまで・・・・・っ)
 綾辻まで巻き込んでしまったのは全部自分のせいだ。
真琴は顔を上げて、先程から銃を手放さない男に向かって言った。
 「こ、この人は、関係ないんですっ」
 「マコちゃんっ」
 「お願いですっ、下ろしてください!」
 「マコちゃん、黙んなさい。言ったって無駄よ」
 「でもっ!」
このまま綾辻まで香港に連れて行かれたら・・・・・彼がどんな目に遭わされるか想像も出来ない。綾辻は自分よりも遥か
に頭が良く、強い。だからこそ、警戒されてしまうかもしれない。
 「俺はっ、俺は自分のせいだけど、綾辻さんは俺に引きずられちゃったせいでっ」
 「マコちゃん、落ち着いて」
 「お願いしますっ、この人だけは下ろしてください!」
 「いい加減にしろ!」
唐突に響いたその声が誰の口から出てきたのか、真琴は一瞬分からなかった。



 真琴が自分に対して負い目を感じているのは痛いほど分かる。確かにそれは愚かな考えであったし、もっと海藤を、自
分達を信じて欲しかったとも思う。
しかし、起こってしまったことを今更無かったことには出来ないし、それならばどうやってこの場を切り抜けるかを前向きに考
えて欲しい。綾辻が真琴を置いて逃げることなど出来るはずがないと、真琴には知って欲しかった。
 「・・・・・」
 いきなり怒鳴られた真琴は、目を見開いたまま声も出ないようだ。
綾辻はふっと笑みを浮かべると、顔を下ろして真琴の唇に軽く触れるだけのキスをした。
 「・・・・・」
 「ほら、これで、私はノコノコ1人で帰れなくなっちゃった。マコちゃんが庇ってくれないと、キスしたなんて言ったら会長に半
殺しの目に遭っちゃうわ」
 「綾辻さん・・・・・」
 「マコちゃんも、口直しのキスをしてもらいたいでしょ?大丈夫、何とかなるから」
そう言った綾辻は、黙ってこの光景を見ていた男を振り返った。
 『今からちゃんと大人しくするから、撃っちゃ嫌よ?』
 『・・・・・』
 無表情な顔で男は視線を逸らす。
どうせここからは逃げられないとでも思っているのかもしれないが、綾辻としては真琴が何とか落ち着いてくれたことにホッと
していた。
自棄になったり、自分を庇う目的で、真琴が犠牲になったとしたら・・・・・綾辻は自分を許せない。
(とにかく、まだ時間はある。考えるんだ・・・・・)



 想定外だった男をこのまま空港まで連れて行ってもいいものか・・・・・。
シャオは拳銃を手から外さないまま考える。
(疑いを抱かせない為に、あの場から連れ出したのは間違いが無いと思うが・・・・・)
 『・・・・・』
 先程、名古屋市内に入って直ぐ高速を下りた。
既に海藤にはこの拉致の連絡が行っているだろうと思い、念の為に一般道を通り抜けて行く方が追っ手も誤魔化しやす
いと思ったからだ。
 運転手はカーナビで空港までの道を間違いなく行けるだろうが、慣れない土地での運転にどれくらいの時間が掛かるか
分からないことがネックだ。
(今回のことは、ここにいる者達以外には知る者はいない。問題は無い・・・・・はずだ)
 僅かな懸念を振り払おうとしたシャオは、急に車が停止したのが分かって顔を上げた。信号待ちのような止まり方では
なく、急停止したような・・・・・。
 『どうした』
 厳しい声で運転手に声を掛けると、運転手は真っ直ぐに前方を見ている。
 『道を塞がれました』
シャオは窓の外を見た。この車の前方を走っていたはずの仲間の車は、車道に横付けになった車の横腹に突っ込んだ形
で止まっており、他にも何台かの車が自分達を囲っている。
(なんだ・・・・・まだカイドーが来るはずがない・・・・・っ)
 『おい、車を出せ』
 『無理です。前後左右囲まれています』
 『・・・・・っ』
 冷静に現状を告げる運転手にシャオが舌打ちを打った時、トントンと窓ガラスが外から叩かれた。
シャオは銃を持ち直すと、そのまま窓を開ける。
そこにいたのは見たことのある海藤ではなく、あの男よりも少し年上で、少しの隙も無くスーツを着こなした、鋭利な眼差
しを持った見知らぬ男で、男は口元に僅かな笑みを浮かべ(目は笑っていないまま)、シャオを見つめて言った。
 『申し訳ないが、私の客人が用があるそうだ。今から東京に同行していただきたい』
 『・・・・・お前は・・・・・』
 『大東組理事、江坂凌二。たまたま所用があってこちらに来ていたがちょうど良かった。このままロンタウのいる場所まで
お連れしよう』
 『大東組・・・・・理事?』
思いもかけない人物の登場に、シャオは身構えていた銃をそっと袖口へと隠した。