異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 仰々しい何台もの車の列がホテルの正面玄関に止まる。
その中の1台から真琴が下りてきた時、海藤は言葉にならない安堵感に包まれた。
 「海藤さん・・・・・」
 「・・・・・」
 「ごめんなさい、俺・・・・・」
最後まで言葉を聞かず、海藤は真琴を抱きしめた。

 真琴が中部国際空港から香港へと連れ出されると察知した海藤は、取り戻しようの無い距離と時間を埋めるのには
どうしたらいいのか考えた。
今回のことは私的なことで、出来るだけ人の手を借りたくは無いと思っていたが、ここまできたら自分のプライドなど捨てて
も構わなかった。

 そして、海藤は賭けに出た。

《綾辻の情報を真実だとして、内密に入国した香港伍合会の龍頭であるジュウの命を狙う為に、他の勢力が日本に入
国した。
それを直前で阻止し、ジュウに恩を売れば、後々優位な取引が出来る》

 この情報を伝える相手は誰がいいか・・・・・関東だけで力がある者に言っても仕方が無い。
ある程度以上の権力を持ち、日本国内にも手足となるものを散らせている相手・・・・・海藤は、その相手に大東組理
事である江坂を選んだ。
 彼が、全く利益にならないことに動く男ではないことは知っている。幾ら自分の恋人の友人が関わっているといっても、そ
れが自分の恋人に直接関係が無いのならば一切手出しはしないだろう。
 ただし、今大東組がアジア方面での協力相手として選んだ香港伍合会が関わるのなら別かもしれない。
今だ大東組の組長にさえも姿を見せたことがないという龍頭の情報と、絶好の貸しを作る機会に、江坂が動く可能性は
ゼロではないように思った。

 直ぐに江坂のプライベートナンバーに電話すると、幸いに彼は会合で名古屋にいた。
海藤は手早く事情を説明し、車のナンバーを伝えて、何とか飛行機に乗る前に真琴を連れ去った車を押さえて欲しいと
頼んだ。
引き受けてくれる可能性は半々・・・・・いや、もう少し低かったはずだ。

 「香港伍合会のロンタウか・・・・・会って損はない相手だな」
爺共の繰言を聞いているよりは有益だ・・・・・そう言って、江坂は直ぐに名古屋市内の傘下の組を動かし、空港に着く
遥か手前で車を確保した。

 江坂の鮮やかな手腕を見て、海藤は権力というものは使いこなしてこそ価値があるものだと思い知った。
ただ与えられた地位に胡坐をかき、自分よりも下の者を顎でこき使って優越感に浸っていてはいずれ下に落ちるだけだ。
名実共に力があるものの、まだ三十代の江坂が、次の組織改編時には総本部長か若頭に出世するだろうという噂も
嘘ではないように思えた。



 海藤は真琴の肩を抱きしめていた手を放すと、真琴と同じ車から降りてきた江坂に深々と頭を下げた。
 「このたびはご迷惑をおかけしました」
 「抜け出すいい口実を貰った」
江坂は珍しく頬に笑みを浮かべた。
 「車の中で、ずっとお前に申し訳ないと言っていたぞ」
海藤は少し意外に思った。排他的とは思わないが、一般の、それも真琴くらいの歳の者は江坂の存在感に萎縮するの
が普通のような感じだが・・・・・どうやら、話の内容は置いておいても、真琴と江坂の間では会話が成立したらしい。
 助手席から降りてきた綾辻も、笑いながら海藤に言った。
 「江坂理事ったら意外とお茶目さんなんですよ〜。私、見る目変わっちゃった」
 「・・・・・」
 「何時も怖い顔しないで笑っていたらモテモテなのに、勿体無いですよ〜、理事」
 「・・・・・」
綾辻の言葉に江坂は眉を顰めるものの、言い返すことはしなかった。
そして、そのまま海藤を振り返る。
 「ロンタウは」
 「アポは取っています。どうぞ」
車の中でどんな会話があったのかは後で綾辻に聞けばいい。とにかく今は真琴が無事に戻ってきたことが一番の安心材
料だ。
そして・・・・・
(今日で決着をつける・・・・・)
この先同じようなことがある前に、海藤は今日で全てを終わらせるつもりだった。



 【そちらにロンタウが滞在していることは分かっている。電話を取り次いで欲しい】

 海藤からホテルに電話があったのは3時間ほど前のことだった。
相変わらず優秀な情報網を掴んでいるらしい海藤に滞在場所を知られたのは意外ではなかった。今まで泊まったホテル
のグレード、警備体制、位置を考えれば、簡単に絞り込めるだろう。
ただし、その以前泊まったホテルを知っていること自体がかなりシークレットな情報なのだが。
 『日本人に組織の醜聞を知られるとはな』
 『ジュウ』
 『今夜にでも香港に戻らなければならないだろう。出てきたばかりの芽でも、1日経てばそれだけ成長する。煩わしさを大
きくするつもりは無い』

 海藤の電話の内容は、ジュウにとっても意外なものだった。
日本に自分の組織の人間が内密に入国したらしいというのは聞いていたし、今回同行している部下の中に裏切り者が
いるということも分かっていた。
ただ、明日帰国するので、彼らの処分はその時にと思っていたのだが・・・・・。
(マコに直接手を出すとは・・・・・私も舐められたものだな)
 ロンタウ気に入りの日本人を攫い、それを取引材料にする。ありがちな手だが、彼らはそこで間違ってしまったのだ、ジュ
ウがどれ程真琴に本気なのかを・・・・・。
 真琴の命を交換条件にして龍頭の地位を下りることを迫られたとしても、多分ジュウは了承しなかっただろう。ここで頷
いても、自分も真琴も命を奪われてしまうことは決まっているからだ。
 しかし、真琴に少しでも傷を付けられたら・・・・・それこそ、命を奪われたりしたら、ジュウはその相手を簡単に殺すことは
しなかった。
その相手が一番愛する者の四肢を切り落とし、目を抉り出し、生きながら獣に食わせて・・・・・それを相手に見せつけな
がら、死ぬよりも辛い生き地獄を味あわせる。
 それ程冷酷非情でなければ中国マフィアの龍頭にはなれないが、多分そうなっていたとしたら、ジュウはもう一生誰かを
愛しいと思う気持ちを持つことは無かっただろう。

 次にあった海藤からの連絡で、反乱分子は取り押さえられたことを知った。
ジュウもその頃には香港に連絡して、今回の計画に僅かながらも関わった者全てを捕らえさせていた時だった。
男達を引き渡す条件として、大東組の理事と会うことを言われたが、ウォンから報告を受けていたエサカという男は優秀
だと判断していたので、会っても有益だろうと思って承諾した。
 『カイドーはどういうつもりなんでしょうか』
 『・・・・・』
 『今回のことで、我らに恩を売ったつもりで・・・・・』
 『違うな、ウォン。カイドーの本来の目的は、香港伍合会の反乱分子を取り押さえることではなかったはずだ』
(たまたま、奴らがマコを攫ったせいで手を出しただけだろう)
海藤は馬鹿ではないが、何かを取引材料とするような男ではないだろう。ここに真琴が絡んでいなかったら、多分海藤は
全く手出しをしなかったはずだ。
 その時、来訪を告げるインターホンが鳴った。
しばらくして、部下が広いスイートルームのリビングにやって来る。
 『カイドーが来ましたが』
 『中に』
 『・・・・・全員、ですか』
 『廊下で待たせておくわけにはいかないだろう』
裏切り者達が自分を見てどんな表情になるか多少だが興味があるし、それ以上に真琴の無事な顔が見たい。
そして・・・・・。
(どういう結論を出したのか・・・・・)
海藤が自分に何を言うのか、真琴をどうするのか、早く知りたかった。
 『ジュウ』
 多くの人間のざわめきが耳に入ってきてジュウは顔を上げる。
 『・・・・・』
やがて、リビングの中に海藤が真っ先に入ってきた。
 『時間を取らせまして・・・・・申し訳ありません』