異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 真琴は真っ直ぐに自分を見ていた。
側近といわれている自分の部下達にもこんな真っ直ぐな眼差しを向けられたことは無く、ジュウは不快というよりもある種
の感慨を感じていた。
(マコは、やはり違う)
 畏怖とか、媚とか、心酔とか、他の様々な名前がつく気持ち以前の、素直な感情。それが自分を求めていないことで
も、ジュウは真琴の目に見つめられる自分が以前とは変わったような気がした。
 「他にも、大事な人や、好きな人は一杯いるけど、海藤さんはその中でも一番、大切な人です」
 「マコ」
 「他の誰が傷付いたって、俺は・・・・・海藤さんから離れません」
 ここまで真琴がきっぱりと言い切るとは予想外だった。優しい彼は、周りの人間のことも考え、自分に出す答えをもっと
渋るのではないかと思っていたのだ。
しかし、真琴ははっきりと、海藤を取ると宣言した。それは明らかに、以前、ジュウが周りの人間を傷付けるかもしれない
と言った言葉に対する答えだ。
(周りを踏みつけてでも、カイドーしか取らないというのか・・・・・?)
 そこまで、真琴が海藤に思いを寄せているのがなぜだか、ジュウは全く分からなかった。今までジュウが誰かをこんなにも
欲したことは無く、また、必要とされたことも無いからかもしれないが、人間がここまでたった1人を欲する理由・・・・・。
 「マコ、お前はどうしてカイドーを選べる?」
 「ジュウさん」
 「優しいお前が、他の者を全て犠牲にしてまでもカイドーを選ぶ理由はなんだ」
 「・・・・・好きだから、です」
 「・・・・・」
 「海藤さんが、好きだからです」
 「・・・・・お前は男で、カイドーも男だ。それなのに、それ程欲するのか?」
 「変、かな。でも・・・・・海藤さんが女の人だったらなんて考えたことはないし、俺も、女の子にはなれないし。男同士って
改めて言われたらそうだけど、でも、気持ちは変わりません」



 海藤は、銃を下ろした。
 「真琴・・・・・」
力が全てではないと常日頃から感じていたはずなのに、一番大事なこんな場面で、力で解決しようとしていた自分が恥
ずかしかった。
地位や権力ではジュウに敵わないことは分かりきっていて、そんな彼の気持ちを変えさせるには命を張って対決しなけれ
ばならない・・・・・そう思っていたが、海藤と真琴ではとった行動はまるで正反対だった。
 真琴のやり方が正しいとは言い切れない。そうでなくても、一筋縄ではいかない闇組織の頂点に立つ男に、話して分
かってもらおうとするのは無謀だといえるだろう。
それでも海藤は先ず、真琴がジュウに答えを伝えるのを待ってやった方がいいのではないかと思った。
 「ジュウさん、俺、香港には行きません」
 「お前の返答次第で私がどんな答えを出すのか、ちゃんと想像が出来ているのか?」
 ジュウの柔らかな脅しに、真琴は一瞬言葉に詰まった様子だったが、直ぐに首を横に振る。
 「・・・・・出来てません」
 「マコ」
 「俺はただ、ジュウさんが悪い人じゃないってことしか、分かっていません」
 真琴は眉を顰めて呟いた。
 「ジュウさんが香港のヤクザって聞いても、俺には初めて会った時の姿が一番印象に残ってるし、バイト先に来てくれた
時だって普通に優しい人だって思ってたし・・・・・ごめんなさい、俺、今でもジュウさんが怖い人なんて思えないんです」
怖い人・・・・・まるで子供のような表現に、海藤の口元には苦笑が浮かんだ。
自分達のように同じ世界に身を置く者には、こうして向かい合っているだけでもジュウの冷酷さをひしひしと感じているとい
うのに、真琴には分からないのだろうか。
 いや、もしかしたら感じているのかもしれないが、心のどこかで認めたくないと思っているのかもしれない。
 「マコ」
 「お願いします、このまま俺達を帰らせて下さい。そして、俺を香港に連れて行くなんてことを考えるの、止めてください」
 「・・・・・」
 「お願いします」
真琴は頭を下げた。
潔いほどの直球勝負に、海藤も隣で改めて居住まいを正す。
 「ミスター、ジュウ」
 あえて、ロンタウとは言わなかった。自分が今対峙しているのは、真琴という愛する人間を挟んだ、ただの・・・・・男だ。
 「真琴のことは諦めて下さい」
 「・・・・・」
 「私も、どんなに愚かな選択だと言われても、この手を放すことは出来ません」
きっぱりとそう言うと、海藤はジュウに向かって頭を下げた。



(この日本人達は何を考えているんだ?)
 ウォンは、いきなり情に訴えてきた海藤を見て眉を顰めた。
欲しいものがあれば力で奪い取ることが当然のこの世界で、懇願というものがどれほど無意味なのかを、日本のマフィア
に身を置く海藤ならば知っていてもおかしくないはずだ。
 その上で、こんなことを言っているのならば愚かなこと・・・・・そう思うものの、ウォン自身言下にくだらないとは言い切れな
かった。
ウォンにも、日本での苦い経験がある。あの時、欲しいと思った綺麗な存在も、思えば目の前の青年と同じようなことを
言っていた。

 「恭祐がいない。俺は、恭祐と一緒に日本にいたいんだ。お前の要求は全部却下」

 闇社会に身を置いてもなお、自分の正直な欲望を口にしていたあの青年とどこか重なる。
 「・・・・・ジュウ」
あの時、ウォンはジュウに帰国を促され、気持ちを残したまま香港に帰国することになった。
ならば今のジュウは、いったいどんな選択をするのだろう。
(カイドーの命を奪ってでも、この青年を連れて行こうとするのか?)
 少しだけ身じろぎをしたウォンは、直ぐに刺すような視線を感じる。
それは海藤や真琴ではない、その後ろにいる男のものだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
対峙している3人の邪魔をすれば、すぐさま何らかの行動を打って出ることが分かるような、少しの隙も無い佇まいだ。
ジュウが、彼を欲しいと言ったのが分かるような気がして、ウォンは自分も何時でもジュウを守れるようにと身体の位置を
ずらした。



 綾辻は僅かに動いたウォンに視線を走らせた。どうやら直ぐに何らかの行動には出ないようだが油断は出来ない。
調べた範囲では、ウォンは武闘派ではないらしいが、それでもロンタウの側近としてある程度の武術は心得ていてもおか
しくはないはずだ。
(それにしても、マコちゃん直球よね)
 誰もが恐れる香港マフィアのロンタウに、あなたは好きじゃない、こちらの彼が好きなの、ごめんねと(少し表現は違うかも
しれないが)、堂々と言ってのけるとは思わなかった。
 そして、そんな真琴の行動に同調するかのような海藤の行動も・・・・・本来の駆け引きの形とは多分違うのだろうが、こ
の2人にはこの方法が一番相応しい気がした。
 強いのは、力ではなく心だ。
どんな権力も、人の心の中までを操ることは出来ない。
 「・・・・・マコ」
 「ごめんなさい」
 「私と共に来てくれないのか?」
 「・・・・・ごめんなさい」
 「・・・・・」
(この男は、いったい何が欲しいのかしら)
 綺麗なものを飾って愛でるというのなら、真琴以上に整った容貌の者はいるし、利用するだけの金や地位があるわけで
もない。
(こういっちゃなんだけど、マコちゃんて普通の子だもの)
本当に平凡な、それでも真っ直ぐな気質を持つ優しい青年。もしも、ジュウがそんな真琴の心を欲しているのだとしたら、
海藤と引き離そうとするのは間違った方法だ。
(マコちゃんの心が強くなったのは、会長の存在のせいだものね)
 今の海藤が真琴と出会ってから変わったように、真琴もまた、海藤と出会ってから、今の彼が出来上がっている。引き
離したとしたら、今の真琴は、ジュウの惹かれた真琴ではなくなってしまうだろう。
(・・・・・可哀想な男・・・・・)
 出会うのが遅かったといえばそれまでだが、それが本当に誰かの人生を左右することにもなる。
綾辻は今ここにいない自分の愛する者の顔を思い浮かべ、彼と出会うのが遅くなくて良かったと自分に照らし合わせて考
えていた。