異国の癒す存在




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『』は中国語です。





 こんな説明で、ジュウは自分の気持ちを分かってくれただろうか。
(もっと、ちゃんと伝えたいんだけど・・・・・)
気持ちというものを言葉にするのは難しい。もっと他に表現方法があったら・・・・・たとえば、自分の心の中を覗いてもらえ
るのなら、その方がジュウには分かってもらえるかもしれない。
 しかし、もちろんそんなことが出来るはずが無いので、真琴は拙いながらも自分の言葉で必死にジュウに訴えた。
誰も、もちろんジュウも、傷付いてなど欲しくない。
 「ごめんなさい、ジュウさん」
 「・・・・・」
 「俺、俺、本当に海藤さんのことが・・・・・」
 「マコ」
 真琴の言葉を遮るようにジュウが口を開いた。
 「不要な芽を摘む為に帰らなければならない私には時間が無い」
 「芽?」
 「放っておいても害は無いだろうが、わざわざ目障りなものを放置している趣味はないからな」
不要な芽・・・・・それが何を指しているのか真琴は分からなかった。
ただ、ジュウの口調は何時もと変わらないものの、それでも帰らなければならないほどの大きな問題が出来た・・・・・そうい
うことなのだろうか。
 「お前の言いたいことは分かった」
 「ジュウさん?」
 「それと、納得するというのは別の話だが」
 「・・・・・」
 「もしも私がここで頷いたとして、お前は私がもう現れないと思うか?」
 どういう意味でジュウはそう言うのだろう?
思いますと頷くことは簡単だが、頭のどこかでそれは違うという声が叫んでいる。今ここでジュウが自分を連れずに帰国し
たとしても、本心から納得してくれない限り同じことが繰り返される可能性は大きいはずだった。
 「・・・・・っ」
 無意識のうちに、真琴は海藤の手を握り締めた。
最初は銃を構える海藤を止めるつもりだった手は、今は自分が縋る為に海藤の手に重なっている。
(どう言えばいいんだろう・・・・・)
誰かに思われるのは嬉しい。嫌われるよりも全然嬉しい。
それでも、その中に特別な熱がある感情が含まれると、嬉しさも困惑に変わってしまった。



 自分をじっと見つめながら、それでもその手は海藤から放さないその様が、真琴の気持ちを如実に表しているような気
がした。
どうしようかと、ジュウは人事のように思う。
自分の権力を使えば、真琴が手に入るのは案外に容易いはずだ。この場で海藤を撃ち殺してでもいいし、大東組に圧
力を掛けてもいい。
真琴の家族を人質にとっても、今の状況は変わるはずだ。
 「マコ・・・・・」
 しかし、そこまでしてジュウが真琴を手に入れた時、真琴の目は自分をどういう風に見るだろう。今のジュウを見ているよ
うな、曇りの無い綺麗な眼差しを向けてくれるだろうか?
(・・・・・死んだような目は、見たくない)
真琴には、感情を押し殺したような目は似合わない。可愛いウサギの彼には、誰かを憎むという感情を植えつけたくは無
い。
 ジュウは笑った。
今まで自分は何かを欲する時、それが物でも、人でも、その対象のことなど考えたことは無かった。それが、今はこんなに
も真琴の気持ちを気遣ってしまう。
(嫌われたくないと・・・・・思う)
それがどんな感情なのか、今になってようやくジュウは名前を付けることが出来た。これは、愛だ。
痛烈に欲しいと思うのに、それでも相手の感情を優先してしまう臆病さが生まれるこれは、間違いなく愛情だ。
 「・・・・・」
 闇社会の頂点に立つジュウにとって、一番不要なはずの感情。この先のジュウには致命的な弱点になってしまうかもし
れない感情だが・・・・・今更無かったことには出来なかった。
 「分かったぞ、マコ」
 「え?」
 「私は、本気でお前を欲しいと思っているようだ」
気付いたばかりの感情を口にすると、真琴は戸惑ったような表情になる。彼にとっては今更な言葉かもしれないが、言葉
と感情がジュウの中で結びついたのは今だったのだ。
 「マコ、私は多分、お前を連れ帰ることは簡単に出来る」
 「・・・・・っ」
 「・・・・・だが、その簡単な手段を取れないほどに、お前を想ってしまった」
 自分の中にそんな豊かな感情が生まれるなど想像もつかなかったが、それでも意外にいい気分だ。
ジュウは立ち上がった。
 『ウォン、ジェットの準備は出来ているか?』
 『何時でも出立出来るようにはさせていますが』
 『では、エサカの捕らえた者も含め、今から香港に戻るぞ』
 『・・・・・彼は、いかがいたしましょう』
いきなりの帰国を宣言したジュウに、ウォンは真琴へと視線を向けながら言った。
今までのジュウなら当然ここで海藤を撃つと思ったのも分かるが、そんなことをしたら真琴の目からは永遠に光が失われて
いく。
 『先ずは、家の雑事を済ませてしまおう』
 今真琴を連れ去っても、香港にはジュウを煙たがっている者の分子がまだ残っているだろう。日本に心を残した真琴は
どんな手段を使っても帰りたいと思い、その分子の甘言に騙されてしまう可能性が万分の一もあってはならない。
真琴が自分からこの地に、ジュウの側に留まると思わなければ、本当の意味でジュウが真琴を手に入れたとはいえないの
だ。



(・・・・・どういう心境の変化だ?)
 数秒前まで、確かに自分に向けられていた強い殺気が、まるで空気が揺れるように粉砕してしまっている。
中国語での会話は、海藤もある程度はちゃんと聞き取れた。

 『先ずは、家の雑事を済ませてしまおう』

ジュウがウォンに言ったそれは、いったいどういう意味なのだろうか?
 「カイドー」
 その海藤の疑問が分かっているかのように、ジュウは振り返って名前を呼んだ。
 「私は今から香港に戻る」
 「真琴は・・・・・」
 「マコは今回は連れて行かない。向こうでの掃除が終わらなければ、マコにまで危害がいくかもしれないしな。今回のこと
で私がマコをどう思っているのかは知られてしまったが、お前がいるのならば危険は無いだろう」
まるで、海藤を真琴のボディーガードとして見ているような言葉に真琴は困惑した表情になったが、海藤はそれを当然の
ことだと思っていた。ジュウの思惑とは違うが、真琴を守ることは自分しか出来ないし、他に譲るつもりも無い。
 「このまま、全てを忘れて欲しいんですが」
 「無理だな」
 「・・・・・」
 「私はもうマコを知ってしまった。私の脳は愚かではない、忘れてはならない記憶はきちんと残している」
 「・・・・・そうですか」
 「お前がマコの男でなければ、私の部下として連れて行きたいくらいだよ、カイドー。今の時代、中国人だから、日本人
だからと、差別していてどうなるという。過去の遺跡のような人材は、中身が腐りきらないうちに捨てた方がいいようだ」
 「・・・・・」
(それが、この男のやり方か)
 革新的な考えのジュウに、自国民族の血を重視する古い幹部は反発もするだろう。
冷徹な彼が今まで彼らを野放しにしていたのは、それなりに先代のロンタウを支えてきた者達に対する敬意もあったのか
もしれないが、彼らはやり方を間違えた。
 人間らしい感情が欠けていたジュウが、初めて欲しいと、大切だと思った相手に手を出そうとしたのだ。
きっと、彼らに待っているのは、永遠の暗闇・・・・・死だろう。
 「マコ」
 「は、はい」
 「空港まで見送りに来てくれないか?しばらくお前の顔が見れないんだ、出来るだけ側にいたい。・・・・・カイドー、お前
はそれさえも許さないほど心の狭い人間ではないだろう?」
 「・・・・・」
 「・・・・・海藤さん」
  ここは、きっぱりとNoだと言わなければならない場面だ。
しかし、ジュウの想いに応えられないという罪悪感を抱いている真琴は、きっとそれぐらいはしたいと思っているのだろう。
どうしても駄目だと首を横に振れない自分が分かりきっていて、海藤は深い溜め息をつくしかなかった。






                                      






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