異国の癒す存在
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『』は中国語です。
これで全てが解決したとはとてもいえないだろう。
ジュウが今回真琴を香港に連れて行かないのはあくまでジュウ側の都合で、真琴の説得や海藤の意志に屈したのでは
ないだろうというのはよく分かっていた。
それならそれで、海藤は全く構わなかった。再びジュウがこの日本を訪れ、今度こそ真琴を連れ去るというのなら、それ
までに自分が今よりももっと力を付けていればいいだけのことだ。
日本の一組織が香港マフィアに勝てるはずがないと、今から思っていてどうなるというのだ。
自分の中で変わらない事実は一つ、真琴は絶対に手放さない・・・・・それだけを思っていればよかった。
今直ぐに帰るというジュウの言葉は嘘ではなく、ジュウは言葉通り車をホテルに呼ぶとそのまま成田空港へと向かった。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
大好きな人と、自分を連れ去ろうとしていた相手に挟まれるように同じ車に乗っているのはとても不思議な気分だが、自
分が間に入らなければ海藤とジュウが隣り合わせに座ることになってしまうので、真琴は居心地の悪さを感じながらも少し
視線を伏せたまま、早くこの時間が過ぎてくれないかと考えていた。
「マコは、どうやってカイドーと知り合った?」
「え?」
そんな真琴の気持ちを知ってか知らずか、ジュウが不意に話し掛けてきた。
今更な質問だが、そう言えばジュウは今までそんな話を聞いてきたことはない。自分と海藤の繋がりが知りたいのかなと思
う反面、とても人には言えない始まりでもあったので、嘘が苦手な真琴はどう誤魔化そうかと迷ってしまった。
「無理矢理ですよ」
すると、今まで黙っていた海藤が、事も無げに真実を告げる。
「無理矢理?」
「私を怖がっていた真琴をレイプしました」
「か、海藤さんっ?」
(な、何でそんなことっ?)
既に海藤は何度もその時のことを謝罪してくれ、真琴の中では昇華した過去の出来事だ。
確かに始めはその経験のせいで海藤のことを恐れていたが、その時の思いに今の自分の海藤を想う思いが負けていると
は思わなかった。
どちらにせよ、これは2人だけの(そこには倉橋と綾辻もいたが)秘密のはずで、ジュウに言えば更に何か誤解されるので
はないかと心配だ。
「・・・・・私と、カイドーと、何が違う?」
案の定、ジュウは本当に不思議そうに真琴に訊ねてきた。
その答えは決まっている。相手が海藤だったからだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・マコは、ずるくて・・・・・優しいな」
はっきりと海藤の名前を言わないで、分かって欲しいと眼差しで訴える真琴にジュウは苦笑を浮かべる。とても冷酷だと
言われているマフィアのトップには見えないその表情が悲しくて、真琴は再び俯いてしまった。
空港に着くと、そのまま別室に案内された。
自家用ジェットに乗り込むので登場時間などは決められてはいないのだが、それでも飛行待ちの時間があるようで、それ
まで後15分ほど待つようだ。
無理なことをゴリ押しするほど恥知らずではないジュウは、謝罪するウォンに軽く頷くだけでソファにゆったりと腰を下ろす。
共にやってきた真琴と海藤は、入口付近に立ったままソファに腰を掛けなかった。
「疲れるだろう、座りなさい」
「い、いえ、ここで」
「・・・・・」
真琴はジュウの言葉に首を横に振ると、ますます隣に立つ海藤に身体を寄せる仕草をした。
空港までやってきて、もしかしたらやはりこのまま香港へと連れて行かれるのかと思っているかもしれないが、ジュウは自分
が一度口にしたことを覆すつもりは無かった。
「・・・・・」
(確かに、2人でいるのは似合っている)
客観的に見れば、隙の無いスーツを身に纏っている怜悧で静かな美貌の海藤と、普通のセーターにダウンジャケットと
いう姿の真琴は全く違う種類の人間だ。
それでもこうして並んで立つと、不思議にしっくりくる・・・・・それは、2人の互いを想う気持ちがそう見せているのかもしれな
い。
「仕方ない」
真琴に対する自分の気持ちを自覚したとはいえ、ジュウはどうしても今だ人事のように自分の心のうちを考えてしまうの
は直らなかった。
真琴を欲しいと思っているくせに、真琴と海藤の関係を肯定しているというのもおかしな話かも知れないが・・・・・ジュウが
自分の欲望にもっと素直になるまでにはもう少し時間が必要だろう。
「・・・・・しばらく、マコと会えないのは寂しいな」
「ジュウさん・・・・・」
「出来るだけ早く迎えに来るようにしなければ・・・・・」
「そ、それは、出来ません」
困ったように眉を下げたその表情に、ジュウは思わず笑ってしまった。
(やはり、マコはトウゥだな)
愛らしくて、か弱くて、それでいて人を癒してくれる存在。今から連れ帰ることは叶わないが、この日本に自分を癒してくれ
る存在がいると思えばジュウの気持ちも変わってくる。
(早く、マコを迎えに来なければ・・・・・)
可愛いトウゥが寂しさで泣いてしまわない様に、全ての準備をスムーズにしなければならないだろう。
『あれらはどうした』
『既に機内に』
『向こうは』
『バオジン老は拘束しました。一族の者も9割がた』
裏切り者の排除と処罰はスムーズにしなければならない。時間が掛かるほどに、反対に現ロンタウとしての力不足を追
求されることになるからだ。
そして、もう一つ。
『リエンの両親も直ぐに呼び寄せろ』
『・・・・・リエン様をどうなさるおつもりですか』
『欲しいものは一つだ。それに害を生すかもしれない要因は作らない方がいい』
そう言うと、ジュウは海藤に視線を向けた。
海藤も、そしてその側にいる綾辻も、今の中国語のウォンとの会話は聞き取れただろう。これで、政略結婚の為に決めた
婚約を解消すると言ってのけるほどに、自分が真琴に本気だということも分かったはずだ。
「・・・・・」
海藤がジュウに視線を向けてくる。
あからさまな敵意ではなく、静かで強い意志を込めた真っ直ぐな視線・・・・・それが、心地良いとさえ思う。
(これで全てが終わったとは思うな、カイドー)
「準備が整いました」
「あ・・・・・」
空港職員の女性が部屋にやってきた。
時間はまだかと思っていた真琴だったが、いざ出発の時間が来たと言われると気持ちがざわめいてしまい、思わず目の前
のソファに座っているジュウを見てしまった。
「分かった」
何をどう考えているのか、表情からはまるで読み取れなかった。
ジュウの頬には真琴と会う時に何時も浮かべている柔らかな笑みが浮かんでいて、機嫌が悪い風には見えないのだが。
(このまま、何も無く帰ってくれるんだろうか・・・・・)
やっぱり気が変わってしまったと、海藤を傷付けようとはしないだろうか・・・・・だが、そんな風にジュウを疑ってしまう自分
が嫌で、真琴は唇を噛み締めて目を伏せてしまった。
「マコ」
ゆっくりと、ジュウが近付いてくるのが分かる。俯いた真琴の視界にジュウの履いていた靴が入ってきた時、真琴の耳に
柔らかな声が聞こえた。
「私と別れることが、少しは悲しいと思っているのか?」
「・・・・・」
「また直ぐに会える。今度は暖かな時期になるだろうが」
「・・・・・っ」
それは、突然だった。
いきなり腕を掴まれて引き寄せられた真琴は、一瞬、頬に柔らかな感触を感じる。
直ぐに反応したらしい海藤が腰を掴んだ為に唇にキスをされることは無かったが、頬に触れてしまった感触に呆然としてし
まった真琴に対し、ジュウは目を細めて言った。
「再見(サイチェン)」
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