異国の癒す存在
6
『』は中国語です。
「今頃、社長はマコちゃんとイチャイチャしてる頃よね〜。羨ましいったらないじゃない・・・・・邪魔しちゃおうかしら」
真夜中の繁華街を1人で歩きながら、綾辻はブツブツと愚痴っぽく呟いていた。
別に、本気で海藤と真琴の邪魔をしようとは思っていないが、ようやく恋人らしい関係になった自分の愛しい相手は相変
わらずそっけない態度ばかり取るので、少し・・・・・ほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまうのだ。
もちろん、人一倍恥ずかしがり屋の相手の性格は知っているつもりだが、綾辻も少しは恋人同士らしい甘い時間を過ご
したいとも思う。
(まあ、今はさすがにそんな気は起きないっていうのも分かるけど)
中国マフィア・・・・・香港伍合会。
そのトップであるロンタウがどういった目的で真琴に近付いているのか。
偶然か、必然か・・・・・それを確かめるまで、彼の恋人の憂鬱が消えることは無いと分かっているので、綾辻はこうして自
分の情報網の一つである人物に会いにやってきたのだ。
「あ、ユウ、久しぶり!」
「なに、元気そうじゃない」
「何だよ、ずっと顔見せなくて、遊んで行けよ!」
「また今度ね〜」
ここでは綾辻は開成会の幹部、綾辻勇蔵ではなく、ただのユウだと認識されている。もちろん素性を知っている者はか
なりいるだろうが、そんなものは自分達の間には関係ないのだ。
だからこそ綾辻も、たった1人でこの街にやってきた。
歩いているうちに、街の様子ががらりと変わった。
先程までは親の脛をかじっているような若者達と、ホストやキャバクラ嬢のような若い女達、そして地方から出てきたような
物慣れない様子の人間達ばかりだったのに、今は容姿を見ただけでも外国人だと分かるような、まるで日本ではないよう
な光景が広がっていた。
その中で、綾辻は一軒の小さな店に入った。
「こんばんは〜」
「ユウ!めずらしね!」
「ホント、お久しぶり。ねえ、ワンいる?」
「ワン?奥いるよ。ユウ、来た言ったらよろこぶね!」
片言の日本語と、東洋系の容貌の女に笑って見せると、綾辻はそのまま細い階段を上に上がっていく。
そして、突き当たった木のドアを軽く叩くと、中からゆっくりとドアは開いた。
「久しぶりだな、ユウ」
「ええ。まだ日本にいてくれて良かったわ」
「掴まるような馬鹿じゃない」
下にいた女よりも遥かに流暢な日本語を操るこの男の名前はワン。
多分本名ではないだろうが、綾辻にとってそれが偽名かどうかなど関係なかった。
10年以上も前から知り合って意気投合し、それ以降ワンがもたらす情報には嘘は無かった・・・・・それが全てだ。
簡単にドアを開けてくれたのも、下の入口の監視カメラで綾辻の顔を確認したからだろう。一見古い飲み屋風の建物で
あるが、中は最新のセキュリティーを完備している。
それほどにしておかないといけないほどに、ワンの情報は価値があり・・・・・危険なのだ。
「今日はどうした」
ワンは40を少し過ぎた年頃の、痩せぎすの男だ。見た目は腕力も無いように見えるが、かなりの武術の使い手でもあ
る。
綾辻がここに来るのは3年ほどぶりだ。何か理由があるんだろうと目線で促され、綾辻は狭い板の間に直に腰を下ろしな
がら言った。
「香港伍合会、知ってる?」
「ロンタウが来ているらしいな」
「あら、情報が早い」
「そっちこそ、あまり関係が無いはずだろう?ああ、大東組の関係か?」
「残念ながら違うわ。実は、うちの会長のいい人に近付いてるらしくてね」
「ブルーイーグルが?」
綾辻の言葉がかなり意外だったのか、ワンは思わずといったようにその名を口にした。
「それは、本当に香港伍合会のロンタウか?」
「多分、間違いないと思うわ。日本語を流暢に操る中国人で、青い目をしていて・・・・・ああ、そういえば、ジュウって名
乗ったらしいけど」
「ジュウ!」
「何?違うの?」
「いいや、それはロンタウの愛称だ。だが、その名を教えられる者も呼ぶことを許された者も、かなり限られた者達ばかり
のはずだ。彼自らその名を教えたとしたら・・・・・それはかなり大きな意味だぞ」
「・・・・・どういう?」
「ロンタウが、欲しいと思っている」
予想ではなく、確信しているというような口調だった。
「・・・・・」
「お前の頭の女、飛び切りの美人か、とんでもない金持ちか?」
「・・・・・ごく普通」
(男だし)
綾辻は溜め息が漏れそうだった。
そうではないかと薄々は思っていたものの、第三者からこうきっぱりと言い切られてしまうとそれは確信に近いものに変わっ
てしまった。
(マコちゃん、大物釣り過ぎ・・・・・)
真琴のせいではないだろうが、そう思ってしまっても仕方ないだろう。
「そうか。まだ妻子はいないと聞いているが、まさか日本人を・・・・・いや、それは周りが許さないだろうが・・・・・」
「ねえ、彼ってどんな顔してるの?歳も容姿もシークレットなんでしょう?」
「そういうわけではない。ただ、ロンタウを名乗って出てきた時、その場にいる者は結果的に彼の容姿を誰にも伝えられな
くなるってことだ」
「それって」
「粛清されて地下に沈められるか、命も無くなってしまう。それほど、彼が姿を現すというのは意味があることなんだ」
「・・・・・」
「ユウ、お前の頭には悪いが、その女の事は諦めろと言ってやれ。ブルーイーグルに狙われて守り通せるなんて有りえな
い」
「・・・・・参考にするわ、ありがと」
綾辻は立ち上がった。
何時もならこれからワンと飲むところだが、今日はとてもそんな気にはなれず、ワンも綾辻を引き止めようとはしなかった。
「厄介ね・・・・・」
来た道を戻りながら、綾辻は何度目か分からない溜め息をついた。
ワンの前では平静を装ったが(多分、見破られているだろうが)、これからのことを考えると頭が痛い。
海藤はたとえ相手が誰であっても真琴を手放すつもりは無いだろうし、綾辻ももちろんそう思っている。
ただ、そんな感情だけではすまないほどに、相手は大きかった。
「どうするか・・・・・ちょっと情報が少ないわよね」
ワンはもちろん優秀な男だが、日本に在住しているのでほんの少し情報が遅い。そして、リアルタイムな内情も、全て聞
いているとは限らなかった。
こうなれば、香港に行った方がいいということだろう。出来れば日帰りか、せめて1泊もすれば、かなりの情報が手に入れら
れる可能性は高い。
向こうにも綾辻の知り合いはいたし、こういう時に便利な別名も綾辻は持っているのだ。
「・・・・・東條院の名前、借りちゃおうかしら」
普段は無用の長物であるこの名前も、海外でのネームバリューは侮れないものがある。
現当主は綾辻のことを表面上認めてはいないが、綾辻が血縁であることは疑いの無い事実でもあるので、彼がどうして
も力を借りたいと言えば、無視という形の協力をしてくれるはずだ。
「・・・・・」
ふと、携帯のバイブに気付き、綾辻は液晶を見た。
その名前に思わず頬を綻ばせる。
「はいは〜い、私よん」
【・・・・・電話くらいちゃんと出てください。誰からか分からないでしょう?】
「私が克己からの電話と他人の電話を間違えるわけないじゃない」
【・・・・・何か分かりましたか?】
「そのことだけど、私、明日香港に行くから」
さすがに、いきなりの言葉に驚いたのか、電話の向こうの倉橋の声が詰まる。
それに気付いたが、綾辻はわざと気軽な調子で言葉を続けた。
「多分、一泊するだろうけど、大丈夫よ、浮気なんかしないから。それより3、4人連れて行くから、そっちの方の調整よ
ろしく」
【あ、綾辻さんっ】
「ん?何?」
【・・・・・大丈夫なんですか?】
倉橋の精一杯気遣う言葉に、綾辻は顔が見えない相手に向かって鮮やかに微笑み掛けた。
「大丈夫よ、ありがと、克己」
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