異国の癒す存在
8
『』は中国語です。
赤いサンタクロースの衣装を着た真琴を、ジュウは目を細めて見つめていた。
あまり自分達には関係ない季節行事だが、こうして見ると楽しむにはいいイベントなのかも知れない。
「・・・・・」
「・・・・・」
真琴の勤務状況は、数日前、たまたま知り合った男から聞き出していた。
男は真琴がバイトをしている店の他の系列店で同じ様にバイトをしていた男だったが、丁度夜の街で偶然中国系の飲
み屋に入り、高額な支払いが出来ずにいたところを、たまたま助けてやったので協力をしてくれたのだ。
まさか、真琴と同じ系列の店に通っている男を狙って、香港伍合会の息が掛かった店の女がわざわざ声を掛けたわけ
ではない。
ビールの2、3杯で、100万以上もの請求したのも、その店の人間が勝手にやったことだ。
その男が偶然真琴を知っていて、助けた自分達に好意で真琴のことを教えてくれたのは本当に運が良かった。
真琴の店の店長が事故に遭ったのも、そのせいで真琴が内勤ではなく配達に回されてしまったのも、ここで自分と会った
のも。
全てが偶然・・・・・だ。
『ジュウ、どうされるのですか』
ジュウの肩にコートを掛けたウォンが、ジュウの意向を確かめるように聞いてきた。
今回の来日ではあくまでウォンが主役で、ジュウは自分の身分さえ隠しての訪日だ。せっかくの機会なのでウォンが手を
結ぶことになった大東組のことを確かめる他、東京の地下にいる同胞とのコンタクトも取る予定であったのに、貴重な時
間を平凡な日本人の男の為に使ってどうするのだと思っているのだろう。
ウォンが以前飼わないかと打診してきた美しい猫のことは直ぐに切り捨てたのに、見た目普通の兎にジュウほどの男がど
うして拘るのか、ウォンには理解出来ないのかもしれない。
しかし、人の心というものは、誰かと同じものでは有りえないのだ。
「マコ」
「はい?」
「私は数年ぶりに東京にやってきた。かなり以前とは変わっていて途惑う事も多い。出来れば案内してもらいたいんだが
どうだろうか?」
「え?」
突然のジュウの申し出に、真琴は困ったように眉を潜めた。
同時に、直ぐ傍にいるウォンの空気も揺れたことを感じ取る。
しかし、2人の途惑いは予想済みなので、ジュウはさらに言葉を続けた。
「もちろん、相応の礼はさせてもらう。マコが本来働いて貰う以上の報酬を渡すつもりだし、店のオーナーには私から話を
付けよう」
優しい真琴ならば断わらないだろうと思った。
困った人間は放っておけないらしい性格に、店の人間にはきちんと話すと伝えたし、さらに報酬まで付けるのだ。
真琴がどれくらいと思っているのか分からないが、もちろんそれなりの額を払うつもりだった。
「働く時間を割いてもらうからには、4、50万で足りるだろうか?」
「えぇっ?」
だが。
真琴はそれほど時間を置くことも無く、見下ろすジュウの青い目を真っ直ぐに見返して言った。
「す、すみません、ちょっと、出来ないです」
予想外の返事に、ジュウの眉がほんの僅か動いた。
同時に、ジュウとウォンの周りに何時の間にかいた護衛の男達がゆらりと立ち位置を変えて、無表情に真琴を見下ろし
ている。
自分達の大切な、絶対的な存在であるロンタウの言葉をこれ程あっさりと拒絶した人間に対して、何時でも攻撃を出
来る体勢になったのだ。
「マコ」
しかし、そんな周りの雰囲気に真琴は全く気付かない様子だった。
「本当に、すみません。時間があれば、俺も観光案内くらいはお付き合いしたいんですが、今店は凄く忙しい時で、俺
なんかの手でも無いと困ると思うんです」
「・・・・・」
「それに、俺はあまり夜出歩かないし、元々東京の人間でもないので、今の時間から案内出来るとこなんて思い付か
ないし。すみません、ジュウさん」
本当に申し訳ないというように頭を下げる真琴をジュウはじっと見つめる。
(礼という言葉にも動かないか・・・・・)
4,50万といった金額が安過ぎたのか・・・・・だが、そこで100万単位の金額を言ったとしても、真琴ならばやはり断わる
ような気がした。
突然のジュウの申し込みには少し驚いた。
何も自分が案内しなくても、多分それなりの地位には就いているだろう男には、他の方法はたくさんあるような気がしたか
らだ。
取引先の人間に頼んだり、専門のガイドを雇ったり。
そうすることが面倒なのか、ただ単に真琴に頼むのが気軽に思えたのかもしれないが、今の時期1人でもローテーションか
ら外れると店にとってはかなりの負担になるし、店長が動けないという事情もある。
(悪いけど、仕方ないよな)
「本当に、すみません」
「・・・・・」
「で、あの、今の金額は、ちょっと多過ぎだと思いますよ?1日誰かガイドに雇っても、2、3万・・・・・あ、それも多いか
な」
(いったい東京の相場っていくらなんだ?)
真琴のバイト代は、友人達に聞いてもほぼ相場だと言っていた。
ただ、東京に出てきて間もなく、海藤と出会って一緒に暮らすようになって・・・・・衣食住はほとんど海藤の世話になって
いる状態(学生のうちは甘えろと言われた)なので、相場と言うものがよく分からなかった。
多分、自分は海藤のおかげでかなり贅沢な生活をさせてもらっているとは思っている。
申し訳ないなと思う反面、海藤が甘えて欲しいと思っていることも分かるので、真琴は自分の中で許せる範囲で海藤に
甘えている状態だ。
そんな自分でも、今のジュウの提示した金額は桁が違うと思う。
(外国の人だから相場が分からないんだろうな)
暢気にそう思った真琴は、それじゃあと頭を下げて店に戻ろうした。
すると、
「・・・・・え?」
背を向けようとした真琴の腕を、ジュウがいきなり掴んだ。
「あ、あの、どうしたんですか?」
まだ聞きたいことでもあったのかと真琴が振り返った時、その背に聞き慣れた声が掛かった。
「どうしたんだ、マコ」
(マコ・・・・・知り合いか?)
真琴を愛称で呼ぶ若い男。
街で見掛けるような茶髪でだらしない恰好ではなく、短かめの髪にダウンジャケットにジーパンというどちらかといえば平凡
な容姿のその男を目を眇めて見つめたジュウは、ようやく記憶の中の顔と一致させることが出来た。
(あの夜、マコを呼びに来た男か)
「古河さん、今来たんですか?早かったですね〜」
「店長の怪我のことを言って、話を早めに切り上げさせてもらったんだ。・・・・・お前は、配達の途中じゃないのか?」
チラッとジュウを見て言う若い男は、その周りの男達の様子に気付いていないわけではないようだった。
さりげなくジュウの腕の中から真琴を引き寄せて、自分の隣へと連れて行く。
「そうですよ、さっきカラオケ店に行ったとこで」
「じゃあ、早く戻らないといけないんじゃないか?今日は店長が動けないんだろ?」
「あ、そうだった!すみません、ジュウさん、もう戻らないと」
「・・・・・ああ」
「じゃあ、行きましょう、古河さん」
「急ぐぞ。・・・・・失礼します」
男は丁寧に頭を下げ、真琴を自分の前に歩かせてその場を立ち去っていく。
『よろしいのですか』
目の前から獲物を攫われた形になってしまったジュウに、ウォンはこのままでいいのかと声を掛けた。
しかし、ウォンが懸念しているよりはジュウの感情は波立ってはいないらしい。
『マコの周りにいる人間は、なかなか面白いな』
『ジュウ』
『私の正体を知らないとはいえ、あれほど堂々とした態度を取れるとは・・・・・そうだ、ウォン、マコの相手と会ってみたい
な。お前は一度会っているだろうが』
『本気ですか?』
『私が嘘や冗談を言うと思うか』
『・・・・・調整してみましょう』
あの真琴を腕の中にしっかりと囲い込んでいる男がどういった人物なのか。ジュウは今の若い男に真琴の側にいることを
許しているらしい開成会というマフィアの長である海藤に興味が生まれた。
![]()
![]()