くーちゃんママシリーズ





第二章  マタニティー編   2







 恋人といえないまま、それでいて肉体関係を持っていた時、倉橋は何度も綾辻のマンションへ行った。
セックスをするのに、綾辻と2人どこかのホテルに入るということは考えられなかったし、かといって、自分のマンションに綾辻を呼ぶこ
とは躊躇われた。
 自分のテリトリーの中に、幾ら肉体関係を持っている相手とはいえ招き入れることはどうしても出来なかったのだ。
本当は、綾辻のマンションに行くのにも勇気がいったのだが・・・・・綾辻の一番傍にいて、その私生活もある程度は知っているかも
しれない補佐の久保が、

 「ああ見えて、あの人は遊び相手を自分のマンションには連れて行きませんよ。俺が知ってる範囲では、今まで1人もいませんで
した」

 何度か綾辻の誘いを断った後に、偶然事務所のエレベーターの中で2人きりになった時に言われた言葉。
 久保が自分達の関係をどこまで知っているのか分からない。それでも、倉橋はその時確かに安堵した。自分以外の人間が知
らない綾辻の一部を、確かに知っているということが何だか嬉しくて仕方が無かった。

 その綾辻は、倉橋との同居が決定してから引っ越した。
セキュリティー万全で、周りの環境もよく、もちろん間取りもそれまで以上に広い部屋だ。

 「私のためなら止めて下さい。今の部屋も十分広くていいじゃないですか」
 「克己との新しい生活だもの。新しい場所で、一から2人で家族を作っていきたいの」

 けして安い買い物ではないはずなのに、男は少しの躊躇いも無く行動していく。その強引さが怖いと思う反面、そこまでして引き
ずられなければ動けないだろう自分も分かっていて・・・・・倉橋は、迷いながらも綾辻の後ろを歩いていく。振り向いて、手を伸ば
してくれる男に、必死に付いて行くために・・・・・。



 「ただいま〜」
 「・・・・・」
 「ほら、克己」
 「・・・・・ただ、いま」
 まだ真新しいマンションに綾辻と共に帰るようになって数ヶ月。まだ、ただいまという言葉を言うこと自体に慣れない倉橋は、綾辻
に促されてようやく口にする。
 そんな倉橋を笑いながら見た綾辻は、スーツの上着を脱いでソファへ投げ、シャツの袖を捲くった。
 「さてと、何食べる?」
 「あ、私は何も・・・・・」
 「少しは食べた方がいいわよ。まあ、今日は遅いし、具沢山のお茶漬けでも作るから、早く部屋着に着替えてきたらどう?」
 「・・・・・すみません」
自分の身体が普通ではないからだろうが、家事はほとんど綾辻がしてくれていた。
 もちろん、自分よりもはるかに綾辻の方が家事の能力があることは分かっているが、倉橋は何もせず、世話をされるだけという立
場に納得しきれていない。
何かをしたいと思うのに、結局何をすればいいのか分からないのだ。
 「・・・・・」
倉橋は黙ったまま綾辻が脱ぎ捨てたスーツの上着を取ると、それを持ってリビングから出て行った。



 「・・・・・」
 少しだけ、元気が無い倉橋。
身体の調子が悪いというよりは、メンタルな部分の悩みからかもしれない。
 「何も考えなくて、のんびりしてくれてたらいいのにね〜」
 きっと、同棲(倉橋は同居というが)しているくせに、自分は何もしないということが情けないというか・・・・・後ろめたく感じている
のだろう。
 「だって、仕方ないじゃない。克己より私の方が慣れてるし」
(体力だって違うもの)
 神経を使っている仕事をして、その上で帰ってきて食事の支度をすることは、それまでの倉橋の生活からしても考えられないこと
だろう。
外食が多いから好き嫌いがあるのか、それとも好き嫌いが多いから、好きなものだけ外で食べたいと思っているのかは分からない
が、今はもう倉橋1人の身体ではないので、とにかく栄養をとらせねばならないと思っている。
それには、家で作るのがいいし、だったら、料理に慣れている自分が作るのは当然だろう。
 「食事だって、掃除だって、洗濯だって、好きな相手だからしてあげたいのよ」
 仕事面に対してはデキる男が、普通の生活に関しては不器用なところも、綾辻にとっては可愛くて、何でも率先して世話をした
くなってしまうのだ。
 「可愛い克己が悪い」



 部屋着(スウェット)に着替えた倉橋がリビングに戻ってきた時、既に綾辻は食事の支度をほぼ終えていた。この短時間で食べら
れるものを作るということが凄いと思う。
 「克己は鮭茶漬けよね」
 「あ、はい」
 ごく自然に椅子を引かれ、すみませんと言いながら腰を下ろした。
 「梅干しもあるけど、入れる?」
 「いいえ」
 「酸っぱいの苦手だものねえ。身体にはいいんだけど」
 それでも無理に押し通すことはせず、綾辻は綺麗に盛り付けた茶碗を倉橋の前に出した。
ちゃんと生の鮭を使い、海苔も、塩も、全てをきちんと組み合わせて作っている。
(何時も思うが・・・・・この人はどうしてこんなことが得意なんだ?)
 この数ヶ月で、綾辻は自分の食べ物の好き嫌いは全て把握し、なおかつ、幾つかの食べられなかったものを工夫して食べられ
るようにもしてくれた。
自分など、今だ綾辻が何が一番好きなのかも、食べられないものがあるのかも分からないのだが・・・・・。
 「さあ、どうぞ」
 「・・・・・いただきます」
別に料理が出来なくても生きていけるが、何だか何時も、どんなことも、倉橋は綾辻に負けたような気がしていた。



 簡単な食事は直ぐに済み、綾辻は茶碗を下げながら風呂に入ることを提案した。
 「あ、片付けくらい私が」
これくらいさせてくれと立ち上がる倉橋の手元から素早く洗いものを奪った綾辻は、所在無げに立っている倉橋に向かってにっこり
と笑った。
 「いいから、ね?」
 「綾辻さん」
 「明日も早いんだから、早く風呂に入って寝た方がいいわ。それとも、私も一緒に入って背中を流してあげましょうか?少し大き
くなったお腹にも触れてみたいわ」
 時刻はもう午前0時になろうとしている。早く倉橋を寝かさなければ、どうせまた朝は早いのは分かっていた。
綾辻としては、そろそろ仕事を休んで欲しいのだが、今もって重要な仕事をし続けている倉橋の負担を、家にいる時くらいは絶対
にかけさせたくない。
 「変な冗談を言わないで下さいっ」
 どうやら倉橋は、今の自分の言葉を冗談とでも思っているのかもしれない。まあ、少しだけ表現は変わってしまったが、意図はま
ま正確に伝わっているようだ。
 「お、お先に入らせてもらいますっ」
慌ててバスルームへと向かう倉橋の後ろ姿を、綾辻はこけないようにと思いながら見送った。



 部屋は、それぞれの個室と、客間と、寝室、そして物置になっている部屋がある。
倉橋は当初自分の個室になるだろう部屋にシングルベッドを入れようとしたが、綾辻が頑強に反対して寝室は共にすることになっ
た。
 大きな寝室の中に、大きなキングサイズのベッド。
それなりに身長のある自分達男2人が寝ても全く問題なく、むしろ、もう2人くらいは横になれそうなほどに余裕がある。

(何時まで経っても・・・・・慣れない)
 先に風呂から上がり、寝室にやってきたものの、倉橋はベッドに横にならずに綾辻を待っていた。
綾辻には何時も必ず先に寝てていいと言われるのだが、一つのベッドに一緒に眠るわけで、かりに寝ていたとしても目が覚めてし
まうだろうし、そもそも人の家で(倉橋の意識の中では、今だここは綾辻の家、だ)暢気に自分だけ眠れるはずが無い。
 「・・・・・」
(この、待っている時間も嫌なんだが・・・・・)
ベッドの端に腰を掛けながら、倉橋は綾辻を待つ。男が来るのは、多分もう直ぐだろうと思った。



 「・・・・・お待たせ」
 寝室に入った時、また倉橋がベッドに腰を掛けている姿を見て綾辻は内心苦笑した。
(本当に頑固よねえ)
それ程待たせてはいないだろうが、それでも律儀にこうして起きて待っている姿に、嬉しいと思う反面まだまだだなと思ってしまう。
(大事な身体なんだから、寝込みを襲うなんてことないのに)
 「早く寝ましょうか」
 「は、はい」
 「ほら」
 先に綾辻がベッドに横になって上掛けを捲ってやると、少しだけ躊躇った倉橋がその横に入ってくる。
広いベッドなので離れて眠ることも当然出来るが、もちろん綾辻はそんなことを許すはずも無く、そっけなく背を向け手しまう倉橋
の身体を後ろからそっと抱きしめた。
 「・・・・・」
 倉橋の妊娠が分かり、用心してセックスをしなくなって以来、綾辻は一緒に眠る時は必ずこの体勢をとる。
もちろん、向き合って眠りたいという気持ちはあるが、こうして倉橋の身体の温かさを感じられるのならばこれでも構わないし、何よ
り・・・・・。
(ここに・・・・・いるのね・・・・・)
 そっと、倉橋の腹の上で自分の手を組む。チープな言い方で言えば、ここに2人の愛の結晶が息づいているのだ。
 「今日もお疲れ様」
 「・・・・・あなたこそ・・・・・」
 「ねえ、克己、そろそろ仕事・・・・・」
 「嫌ですから」
 「・・・・・」
 「あなたや組には迷惑を掛けませんから」
寝室の中で交わされる小さな声。その声の中にも、揺ぎ無い倉橋の決意がうかがえる。
(本当に出産する直前まで働いていそう)
 自分の言うことには耳を貸さなくても、海藤が言えば多分倉橋は仕事を休むだろうが、綾辻はそうまでして倉橋の生きる場所を
奪いたくは無かった。
 「無理しないのよ?何かあったら、直ぐに私に言って」
 「・・・・・」
 直ぐに、倉橋からの返答は無かった。それでも、しばらく待つと・・・・・腹の上に置いた自分の手の上に、倉橋の手が重ねられる
のが分かる。
それが返事だと思った綾辻は、ふっと笑って倉橋の首筋に顔を埋めて目を閉じた。





                                   





今回は2人の生活を書いてみました。
多分、こんな感じだと思います。