くーちゃんママシリーズ
第三章 出産編 10
保育器に眠っている優希を見て、菱沼夫妻がどう思うか・・・・・倉橋は怖くて仕方が無かった。
女で無いのだからと、慰められるのも辛いし、痛ましいものを見るような眼差しを向けられるのも悲しい。
それでも、この世界では親に等しい彼らに自分が産んだ子に会わせないという選択肢は無い。どちらにせよ、今優希を守るのは
自分しかいないと、倉橋はどんどん自分を追い詰めていた。
「ゆうちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんが来てくれたわよ〜」
申請の通りに、綾辻が2人をそう呼ぶ。2人もにこやかに看護師達に挨拶をし、やがて4人は優希のいる保育器の前に立った。
「うちの王子様よ」
「・・・・・」
「・・・・・」
産まれてまだ一週間。見た目はほとんど変わっていない。相変わらず小さく、肌も赤く、目を開いてくれない小さな優希。
倉橋は両手を握りしめ、菱沼夫妻の反応を息をのんで待っていた。
「・・・・・うん、可愛い王子様だ」
「ごぜ・・・・・」
しばらくして、菱沼がそう言って倉橋に笑い掛けた。何時もの飄々とした、それでいて、温かみのある響きに、倉橋は唇を噛みし
める。こんな場所で泣くことは出来なかった。
「そうね」
その後で、涼子がそう言いながら倉橋の手を握り締めてくれる。こみ上げてくる感情をどう抑えたらいいのか、倉橋はただ小さく、
いいえと言うしか出来なかった。
相変わらず面会時間は少なく、あっという間に4人は病室へと戻ってきた。
綾辻は先程から何も言わない倉橋の顔を見る。どんな感情が彼の中に渦巻いているのかは分からないが、その表情に先程まで
の暗い影は無いように見えた。
菱沼夫婦の反応に安堵したのだろうと分かり、綾辻はそんな倉橋に声を掛けようとしたが・・・・・。
「本当にいい名前を付けたね、くーちゃん。優しくて、響きが綺麗だ」
いきなり、菱沼がそう言って倉橋を抱き寄せた。倉橋の方が少し身長が高く、菱沼も細身なのだが、培ってきた自信と年齢のせ
いか、倉橋を大きく包みこんでいるように見える。
(・・・・・まあ、仕方ないか)
菱沼が倉橋を気に入っていることは知っているので、今の抱擁も大らかに見ていないとなと考えたが、続いて出てきたのは菱沼
以上に倉橋を気に入っている大姐御だった。
「本当に、お前は良くやったわ。女でさえ大変な仕事を、こんな細い身体で立派に成し遂げた。五体満足のあんなに可愛い子
を産んだんだもの、自分のしたことを誇りに思いなさい」
「・・・・・涼子さん・・・・・」
自身も2人の子供を産んで育て上げた《母親》である涼子に繰り返しそう言われ、倉橋は俯いてしまった。
「これから大変なこともあるだろうけど、何かあったら直ぐに私の所に来なさい、綾辻は頼りないから」
そんな倉橋の身体を菱沼と挟み込むように抱きしめながら、涼子はきっぱりと言い切る。
「ちょ、ちょっと、涼子さん」
「あんたと優希くらい、私が守ってやるわ。だから倉橋、我慢はしないように。お前の感情は直ぐに優希に伝わるんだから。何時
でもどんと構えているのよ」
面倒なことは綾辻に全部押し付けなさいと言う涼子の言葉には苦笑が零れたが、綾辻としても十分その気なので、言い返しは
しない。
そんな倉橋に、菱沼が穏やかに声を掛けた。
「私達はお前を子供だと思っているのと同じように、優希を本当の孫だと思っているんだからね」
「でも、おばあちゃんと呼ばせることは許さないわよ」
「涼子さんはおばあちゃんじゃないよ。何時までも若くて綺麗だ」
「あら、ありがとう、辰雄さん。あなたもおじいちゃんには見えないわよ」
倉橋はもうこみ上げてくる感情を押し殺すことが出来なかったようで、小さな嗚咽を漏らすが、流れてくる涙を見せたくないのか
俯いたままだ。意地っ張りで、真面目で、繊細な心を持つこの存在がとても愛しい。
「克己、良かったわね」
小さく頷くその仕草を見つめながら、綾辻は幸せという言葉を実感していた。
それからさらに一週間。
ようやく出産時の傷が癒え、体力もある程度回復した倉橋は退院することになった。
本来なら自分と一緒に優希もと思うが、とてもまだ保育器の外に出せる状態ではなく、そんな赤ん坊を倉橋が自身の手で育て
ることも不安だった。
「病院に任せるのが一番安心ですよ。会いたくなったら行けばいいし」
出産経験のある真琴のアドバイスもあり、何より長い間不在にしてしまった開成会での仕事も気になっていて、倉橋は後ろ髪
を引かれる思いで優希に会いに来た。
「優希・・・・・お前を置いて行くことになるが・・・・・」
(置いて行かれたとは思わないでくれ)
きっと、倉橋が望めば、綾辻も海藤もその我が儘を許してくれるのではないかと思う。しかし、それでは倉橋の気持ちが済まな
かった。子を産み、男ながら母親という立場になったが、自分は組織の中枢を担う存在でもあるのだ。
「毎日、会いに来るから」
保育器の中へと手を伸ばし、握られたままの小さな拳にそっと指先を触れる。
応えてくれないだろうか・・・・・そう思っていると、倉橋の退院を聞いていた看護師達が集まってきた。
「今日、退院されるんですよね、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
倉橋は立ちあがると、丁寧に一礼をする。
「この子はまだしばらくお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします」
彼女達が自分が出来ない優希の世話をしてくれるのだと、倉橋が感謝と願いを込めて言うと、看護師達は笑いながら答えてく
れた。
「もちろん、安心して任せて下さい」
「今、綾辻さんもナースステーションに挨拶に来られたんですよ、ケーキとおせんべいを持って」
「・・・・・そうですか」
(気付かなかった・・・・・)
医師にももちろんだが、看護師達にもそんな気遣いをしなければならなかったのだということに、倉橋はたった今気付いてしまっ
た。
いくら今まで病院にいたとはいえ、そのくらい気付かなくてどうするのだと自分自身を責めてしまうが、相変わらず感情が顔に出
難いので看護師達は気付かなかったらしい。
「本当に、よろしくお願いします」
まだしばらくはこちらに通いますからと言うと、看護師達はなぜか楽しそうに待ってますと言った。
「ん?どうしたの?」
「・・・・・色々、気遣っていただいて・・・・・すみません」
車に乗り込んでしばらく、綾辻は病院を出てからずっと黙っていた倉橋に声を掛けた。優希を置いて退院することが辛いのかと
思ったが、どうやらその感情とは別に思うことがあったらしい。
倉橋は詳しいことは言わないが、その無言の中に様々な感情が読みとれて、綾辻は口元を緩めた。
(子供を産んでも、その性格は変わらないみたい)
それは、綾辻にとっては好ましい。些細なことで悩む必要はないと思うのだが、悩み多き彼を少しでも良い方に導くのが自分の使
命のように感じているからだ。
「・・・・・みんな、克己が戻ってくるのを楽しみにしているわよ」
だから、綾辻はわざと全然別の話題を振った。
「克己のどなり声が懐かしいみたい」
「・・・・・なんですか、それは」
倉橋の声の中に、少しだけ笑みが戻ってくる。
「あなた、ちゃんと管理していたんでしょうね」
「もちろんよ。でも、私自身が管理が必要な人間だし〜」
「・・・・・それは自慢にはなりませんよ。・・・・・全く、報告と違う状態なら、厳しく指導しないといけませんね」
「・・・・・」
その口調は既にヤクザの組の幹部のものになっていて、綾辻は早く倉橋に皆の顔を見せてやりたいと思ってしまった。
倉橋が戻り、開成会の事務所内は一気に活気を取り戻した。
もちろん、倉橋がいなくても諸々の対応に遅れは無かったが、組の中でも一番厳しい姿勢の倉橋がいるだけで空気が引き締ま
る感じがする。
「あんた達、いい?克己には一番大事なベビーちゃんがいるんだから、面倒な仕事を押し付けたりしないのよ〜っ?」
綾辻の言葉にも、最初は難色を示していた倉橋も、毎日二度、優希に会いに病院に行く自分の立場を考えると、その言葉に
甘えることも必要だと感じるようになった。
毎日、ほとんど変化の無い優希の顔を見るのは、安堵と共に一抹の不満も感じてしまい、本当に成長しているのかと、一向に
減らないチューブの数に眉間の皺も消えないが、そんな自分を励ましてくれるのは、同じ男で出産をし、立派に子育てをしている
真琴だった。
「たかちゃん、ゆうちゃんだよ」
「ゆーちゃん」
一か月経ち、両親以外の面会も短時間ながら許されると、真琴は貴央と共に頻繁に面会に同行してくれた。
幼い貴央は、始め周りの気配に戸惑っていたようだが、何回も連れてこられるうちに、どうやら優希の顔を覚えたらしい。
ゆうちゃん、ゆうちゃんと言いながら、保育器の中を覗き込む姿を見ると、倉橋は昔、貴央が保育器の中にいた頃のことを思い
出した。
その貴央が、こんなにも立派に成長し、自分の足で歩き、言葉を話す。優希も同じように、立派に育ってくれるのではないかとい
う希望が生まれた。
「あっ、今笑ったみたいっ」
「え?」
「ほらっ」
真琴の言葉に保育器の中を覗くと、何時もと変わらない優希の表情・・・・・いや。
「・・・・・本当、だ」
少しだけ、頬が動いた気がする。それは、笑みという動作ではないだろうが、そう見えてしまうのは親の欲目なのだろうか。
「大きくなってるんですね〜」
「・・・・・」
「楽しみですね、退院するの」
「・・・・・はい」
本当に、自分の腕に抱いて病院を出ることが出来るのかどうかと毎日毎日不安だが、確かに優希も少しずつだが成長をしてい
るのだ。そう思い、倉橋は頷く。
他の赤ん坊達よりも随分時間が掛かるだろうが、それでも必ずその先があるはずだ。
それが1日でも早く、1時間でも早くと思いながら、倉橋は保育器の中の我が子を見つめていた。
そして。
「ふふ、日頃の行いが良いと、お天気も味方してくれるのねえ〜」
出産から二か月ほど、少し冷たい風が吹き始めた11月11日。それでも日差しは温かく、退院日和だと綾辻はずっと上機嫌に
言い続けている。
ようやく体重が2000グラムの大台に届き、いよいよ今日、優希を我が家へ連れ帰る日が来た。
一か月を過ぎた頃から腕に抱くことが出来るようになり、ミルクもあげるようになったが、それはあくまでも限られた時間の中だっ
た。
反面、看護師が常に側にいてくれることにより色々と任せ、安心出来ていたことが、これからは全て自分が目を光らせ、対処し
なければならないという重い責任感を感じてしまう。
退院出来るとはいえ、まだまだ目が離せない幼い優希。本当に自分は大丈夫なのかと思い、車から降りた倉橋の足が止まっ
てしまった。
「克己?」
「・・・・・」
自分は何も言っていない。それでも、綾辻は笑いながらウインクをしてきた。
「何も考えることは無いわよ、私も一緒なんだから」
「・・・・・綾辻さん」
「パパって呼んでくれてもいいのよ、ママ」
「・・・・・なにを馬鹿なことを言っているんですか」
どこからどう見ても自分は男でしかない外見なのに、ママと呼ぶのは違和感があり過ぎる。しかし、綾辻の言葉に文句を言った
途端、倉橋の肩から力が抜けたのも確かだった。
「馬鹿なことを言っていないで、しっかりして下さいよ」
「克己がお尻を叩いてくれたらだいじょーぶ」
「・・・・・びしびし叩かせてもらいますからね」
綾辻は怖いと笑いながら言い、倉橋の腰を軽く抱き寄せるようにして歩き始める。
倉橋もその手を嫌だとは思うことなく、それよりも、早く自分達2人の間に優希を迎え入れたくてしかたないと感じた。
「急ぎましょう」
そう言いながら、倉橋は自分達の迎えを待ってくれている優希のもとへと足を向けた。
第三章 出産編 完
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出産編はこれで完結。
次回はたっち・・・・・か、その少し前にしようかな。
くーちゃんママはもう少し続きます。