くーちゃんママシリーズ
第三章 出産編 9
「優希、私が見えますか?」
保育器に向かって、倉橋はまた同じ言葉を言った。
日に4回、短時間の面会時間しか与えられないまま、自分が優希を産んでからあっという間に一週間経ってしまった。
普通の出産ならば、赤ん坊を抱いて退院することのできる日数らしいが・・・・・倉橋は今だ優希を抱き上げることも叶わなかっ
た。
「・・・・・」
(私が親だと・・・・・分からないだろうな)
母乳など出ない倉橋にとって、肌と肌が触れ合うのも大切な親子のコミュニケーションなのだが、それさえも今の段階では指
先だけが限界だ。
「あら、倉橋さん」
倉橋がじっと保育器の中の優希を見つめていると、顔見知りの看護師が声を掛けてきた。手を触れさせたままだったので、倉
橋はイスに座ったまま頭を下げる。
「何時も優希がお世話になっています」
看護師達の間では、男同士のカップルは当初から注目の的だった。
生物学的な興味ということもあるのかもしれないが、綾辻も倉橋もどちらも容姿が良く、抱かれる側(赤ん坊を宿している)の倉
橋も、細身で綺麗ではあるものの、身長は平均以上のモテる要素が十分ある男で。
こんないい男同士がどうしてくっついたのだと残念に思う一方、これほどの似合いの一対も無いと皆思っていた。
明るい綾辻は、社交的で楽しくて。
真面目な倉橋は、誠実で優しくて、2人が揃った姿を見ることが出来ればラッキーだと噂し合っているほどだった。
「あ〜、優希君おねむなんだ。残念でしたね」
「目を開くことはありますか?」
面会時間には欠かさず来ている倉橋だが、今のところ優希が目を開けた姿はまだ見ていない。小さな小さな赤ん坊なのでそれ
も仕方ないかと思ったが・・・・・。
「ええ、ありますよ」
「・・・・・」
「大丈夫、直ぐに倉橋さんとも目が合いますよ」
明らかにがっかりしたふうに見えたのだろうか、自分よりも遥かに年下の看護師に慰められ、倉橋は微苦笑を浮かべながらそう
ですねと答えるしかなかった。
このまま無事に育ってくれればその機会も必ず訪れるだろうが、本当に・・・・・ちゃんと育ってくれるのだろうか?
「・・・・・」
自分が男だったばかりに、小さく産まれてしまった優希。子供は親が選べないというが、本当に申し訳ないという気持ちが日々
募っていく。
「倉橋さん、倉橋さんの身体の方はいかがですか?どこか調子が悪いということはありませんか?」
「はい。おかげさまで、こうして普通に」
本当のことを言えば、少し貧血気味で、時々フラッと足元がもつれる時がある。食欲もあまり無いし、微熱が続いて、夜も眠れ
ないが・・・・・それを看護師に言う必要はなかった。
今までも時折そんな風に体調を崩したことはあったがこうして無事なのだし、なにより自分よりも優希の方が1分1分を闘っている
のだ、弱音など吐いてはいられなかった。
「あ」
「お帰りなさい」
ドアを開けて中に入ってきた倉橋の顔色は相変わらず悪かったが、それに触れることなく綾辻はにっこりと笑いながら言った。
「私達のベイビーちゃんは元気だった?」
「・・・・・相変わらずでした。今日こそ、目を開いている所を見ることが出来るかと思ったんですが・・・・・」
「きっと、綺麗なママの顔を見ると眩しいと思っているからよ。早く目を開いて自分の顔を見て欲しいわね、こんなにもカッコいい
パパと可愛いママの子供である自分も、特別ハンサムだって分かるのに」
「綾辻さん・・・・・」
呆れたように名前を呼んだ倉橋は、はあと深いため息をついている。
(なんだ、笑ってくれたらいいのにぃ)
倉橋が日々表情が硬くなっているのを、綾辻はもちろん気付いていた。本当はそんな倉橋の側に四六時中いたいのは山々だ
が、そうすれば仕事を放棄するのかと怒りかねない。
せっかく愛の結晶を授かり、倉橋を自分にものに出来たのだとしみじみと感じているというのに、このまま別居となっては本末転
倒だと、綾辻は最低限の仕事はしているつもりだった。
(それでも、私は克己と違って人を使うことをなんとも思わないし)
押し付けるというのではなく、相手を信頼し、任せるのだ。
(克己に言ったら、きっと言葉を飾っているだけだって言うだろうけど)
綾辻は入口に立ったままの倉橋の手を引き、ベッドへ誘導しながら、今日言わなくてはならないことを伝える。
「後2時間くらいしたら、御前が来るから」
「・・・・・え?」
「涼子さんも一緒らしいわ。ゆうちゃんの顔が見たいって。驚くわよ〜、あんなに可愛いんだもの」
(たっぷり出産祝いも貰わないと)
(御前と、涼子さんが?)
突然のことに、倉橋は一瞬何と言っていいのか分からなかった。
妊娠のことはもちろん、出産したことも綾辻の方から報告がいっているはずだが、まさかわざわざ病院まで来てくれるとは全く考え
ていなかったからだ。
「ど、どうしましょう」
倉橋は自分のパジャマを見下ろした。
「スーツ・・・・・綾辻さん、急いでスーツを・・・・・」
「あら、そのままでいいじゃない」
「よくありません!あのお2人を迎えるのに、こんなにみっともない格好で出迎えるなど・・・・・っ」
「みっともなくないわよ。それよりも、スーツ姿で待っている方が驚かれちゃうわよ。涼子さんだって出産経験者なんだし、今の克
己の状態をちゃんと分かってくれているんだから、堂々とこの姿で待っていていいの」
「そんなこと・・・・・」
とても綾辻と同じ思いにはなれないが、綾辻が服を用意してくれなければ自分はここから動くことが出来ない。いや、優希を病院
に残したまま自分がどこかに行くのなど考えられなくて、倉橋はただオロオロと視線を彷徨わせるしか出来なかった。
「く〜ちゃん!!おめでとう!!」
「ご、御前」
そして、ピッタリ2時間後、特別室の倉橋のもとに菱沼夫妻が現れた。
綾辻がドアを開けるなりそう叫んだ菱沼は、所在無げにベッドの脇に立っていた倉橋の身体をガバッと抱きしめる。身長こそ倉橋
の方が僅かながら高いものの、今回の出産でかなり痩せてしまった倉橋は菱沼よりも一回り小さく見えた。
(も〜)
いくら菱沼に恋愛感情が無いということが分かっていても、自分以外の男が倉橋を抱きしめることを楽しく見ていることは出来
なくて、綾辻はハイハイと言いながら2人の間に強引に割り込み、菱沼の身体を引き離した。
「御前、克己はまだ本調子じゃないんだから無理させないでくださいね」
「あ、綾辻さん」
何を言うのだと、倉橋は綾辻の服を引いたが、ここは譲ってはいけない所だ。
(それに、この人はちゃんと分かっているし)
たかがそれくらいで上下関係がどうのこうのと言うタイプで無い菱沼は、大げさに肩を竦めながら酷いなあと笑いながら言う。
「せっかく久しぶりに会えたのに、邪魔をしないで貰いたいね」
「来ただけで十分邪魔です」
「そ、そんなことはありませんっ。わざわざお越しいただいて、本当にありがとうございます」
深く頭を下げて言う倉橋を見て、菱沼は目を細めた。
気が合うというのは多分自分なのだろうが、菱沼は真面目で不器用な倉橋のことを気に掛けてくれている。それは、今病室の中
に入ってきた、美しく、厳しい女性も同様で・・・・・。
「倉橋、おめでとう」
「涼子さん・・・・・」
鮮やかな藤色のスーツを着こなした涼子は、とても50を過ぎているとは思わないスタイルの良さで、さっそうとハイヒールで歩き
ながら倉橋の前に立つ。
「大変な思いをしたと思うけど、あなたも赤ん坊も無事だと聞いて安心したわ。良くやった」
「・・・・・ありがとうございます」
涼子は菱沼以上に倉橋のことを気に入っている。
自分とこういう関係だと知る前は、倉橋に良い嫁を捜してやるのだということが口癖のようだったが、そんな倉橋自身が子供を産
んだという事実は、涼子にとっても大きな出来事だっただろう。
しかし、彼女は豪胆な人で、ヤクザで男でも子供を産んで何が悪いと思うような人だ。それほどに強い人が倉橋の味方なのだ
と思うと、綾辻は絶対に悪さは出来ないなと苦笑してしまった。
本当は出産にも立ち会いたかったくらいよと言ってくれる涼子の気持ちが嬉しかった。
男は常に男らしく、極道はその道に誇りを持てというのが涼子の持論だが、男である自分が子供を産むことも誇りに思っていいの
よと言ってくれた。
「大体、弱い男が出産の痛みに耐えられるなんで無理だって言われていたけれど、お前はちゃんとその痛みに耐えたんだから」
「・・・・・」
「外野の視線も言葉も、一切耳に入れなくていいのよ、倉橋。口だけで何か言う奴より遥かに、お前のやった仕事は大きなこと
なんだから」
「・・・・・はい」
今は内密にしていても、いずれは倉橋の出産のことは周りに知られる可能性が高い。男のくせに、ヤクザのくせにと言いだす者
はきっといるだろうが、それを気にすることなど無いと言ってくれる涼子の気持ちが心強かった。
「これ」
そして、涼子は白い封筒をとり出した。
「こんな所で無粋かもしれないけど、出産祝いよ、受け取ってちょうだい」
「そ、それは駄目ですっ、頂けませんっ」
「それなら、これはお前にじゃなく、優希ちゃんへのお祝いってことで。遠慮しないでとっておきなさい、綾辻」
「は〜い、ありがとうございます〜」
「・・・・・っ」
(せめて二、三度は断るものだろうっ)
ヤクザの世界は冠婚葬祭に煩いものだが、そこに出産祝いというのはなかなか入ってこない項目だと思う。それも、相手は自分の
身内の幹部同士だ。
「こうして我が儘を通して下さっただけでも感謝しています。涼子さん、本当にこれは・・・・・」
「馬鹿ねえ、倉橋。世の中、お金で買えないものもあるけど、お金があって困ることも無いのよ」
涼子は艶やかに笑いながらそう言うと、倉橋の手に封筒を握らせた。
(年の功って言ったらブッ飛ばされちゃうかも)
そう思いながら、綾辻も改めて涼子に礼を言う。
「ゆうちゃんのために大事に使いますね」
「そうして頂戴」
「どうします?ゆうちゃんに会って行かれます?」
「そうしたいのは山々だけど、私達が急に行っても会えるものなのかしら」
「病院には、おじいちゃんとおばあちゃんが来たからって言えば、一目見るくらいならば許してくれると思いますけど」
元々、長い面会は当分無理で、それでも菱沼夫妻には優希の顔をちゃんと見て欲しくて・・・・・優希に無償の愛情をくれる彼ら
に現状を理解して欲しくて、綾辻は2人が見舞いに来ると連絡があって直ぐに病院側に許可を貰っていたのだ。
「いいわよね、克己」
「・・・・・」
一瞬、倉橋は口を噤んだが、直ぐに顔を上げると、お願いしますと頭を下げた。
「会ってやってください」
「ええ」
「楽しみだねえ、2人の子供ならどんなハンサムさんかな?」
「静かにしないといけないわよ、辰雄さん」
「はいはい、分かってますよ、涼子さん」
相変わらず涼子には弱い菱沼は、そう笑うと綾辻にウインクしてくる。どこも妻には弱いのねえとおかしくなりながら、綾辻は自分
が先導して病室を出た。
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次回は菱沼夫婦とゆうちゃんのご対面。
次回、今編終りの予定です。