くーちゃんママシリーズ





第三章  出産編   5







 木曜日。
何時もよりずいぶん早く病院にやってきた綾辻は、何時ものスーツとは違うラフなニットシャツに、ジーパンといういでたちだった。
茶髪に、ピアス。派手な容貌。パッと見たら職業不詳の遊び人に見えなくもないが、どことなく上品に見えるのはブランド物の服の
せいだとは当然のごとく思っていない。
 「あ、用意出来てる?」
 病室にやってきた綾辻は、緊張した面持ちの倉橋に出迎えられた。
 「・・・・・今日はすみません」
近くのテーブルの上に置かれたメモ用紙とペン。生真面目な倉橋の性格が分かるように、鉛筆とボールペンと消しゴムまで用意さ
れている様子に、綾辻は思わず笑みを浮かべてしまった。
 しかし、倉橋にお願いをされてから今日の日を楽しみにしていた綾辻とは別に、倉橋はなかなか笑みを向けてはくれない。
少し気を逸らしてやろうと、綾辻は軽い口調で言った。
 「なあに、その顔」
 「・・・・・何時もの顔です」
 「そうね〜。何時もと同じようにラブリーだけど、少しだけ緊張しているみたいよ?別に、今から抗争に行くわけじゃないし、もっと
楽〜にしましょうよ」
 「そ・・・・・う、ですね。他の方を怖がらせてはいけませんし」
 「・・・・・」
(そういう意味じゃないんだけど)
しかし、今そう打ち消しても倉橋の耳には届かないだろう。どちらにせよ、今からのことを考えれば今のうちに緊張していた方がい
いかもしれないと、綾辻は肩を竦めて椅子に腰を掛けた。

 母親教室。
男2人だけなら参加することもありえなかったそこに、今日は堂々とカップルとして乗り込むことになった。
出産に際しての注意や、産まれた後の様々な世話の仕方。病院によって様々らしいが、どちらにせよ新米パパママにとっては随
分と為になる教室だ。
 倉橋がそれに参加したいと言い出した時、いったい何の冗談かとも思ったが、考えれば倉橋がこんなことで冗談を言うはずがな
く、綾辻はその彼の気持ちを一瞬で悟ってすぐにOKの返事を出した。
 男同士ということに、未だ自分ほど割り切っていない倉橋が、こんな教室に出ればどんなに自分達が目立ってしまうかもちゃん
と分かっているだろうに、出ようとする気持ち。
 絶対に傷つけたくはないと、綾辻はすぐに病院に連絡を取り、当日出席する夫婦の氏名を調べた。その背景も調べて、今後の
自分達に関係ないかどうかも調査させる。
 性格までは分からないが、何かあれば自分が全ての矢面に立てばいいと思いながら、一方で綾辻は、倉橋が自分と、腹の子
と、本当に家族になろうとしてくれているのだと感じて、嬉しくてたまらなかった。



 午後2時。
母親教室が行われる2階の部屋にやってきた倉橋は、ドアの直前で止まってしまった。
 「克己?」
 中からは若い男女の楽しそうな声が漏れ聞こえてくる。世間的にもきちんと夫婦と認められている男女の中に、今から自分と綾
辻が混ざり、変な雰囲気にはならないだろうか?
 「・・・・・ほら」
 「・・・・・」
 そんな自分に、綾辻が手を差し伸べてくれる。その手をじっと見つめた倉橋は、やがておずおずと手を伸ばし、それを掴んだ。
(私は、1人じゃない)
ここには、自分と腹の子を心から大切に思ってくれる男がいる。たとえ全ての眼差しが好奇と嫌悪の色をしていたとしても、綾辻
の眼差しが暖かいのは事実だ。
 「・・・・・行きましょう」
倉橋は覚悟を決めて、綾辻と共に部屋の中に入った。

 今日、母親教室に参加するのは、綾辻達を含めて6組の夫婦だ。出産時期を考えて選ばれたらしい。
 「・・・・・」
さすがに、男2人で部屋の中に入った時、5組の男女の眼差しは驚きに満ちたものだった。
どうしてという意味を含んだ視線が、自然にパジャマを着た倉橋へと移り、その僅かに膨らんだ腹を見てさらに驚愕に満ちている。
(・・・・・やはり、場違いなのは確かだしな)
 「皆さん、私達」
 「あのっ」
 綾辻が柔らかく切り出す前に、倉橋は思い切って言葉を切り出した。
 「今日、皆さんとご一緒に講義を受けさせてもらいます、綾辻と申します。男である私が共にいることで、御不快な思いをされる
方もいらっしゃるかもしれませんが、良い子を産むために、どうか私もここにいさせてください」
お願いしますと、倉橋は頭を下げる。すると、その肩を抱き寄せた手があった。
 「私達、見ての通り男同士だけど、こうしてもうすぐ赤ん坊が産まれるの。この子を待ち望んでいるのは、皆さんと同じ気持ちだ
から、どうか温かく見守ってね?」



 お願いとウインクすると、若い妊婦達はみな一様に頬を染め、よろしくお願いしますと言ってきた。
ここにいる旦那連中よりは、遥かに女の扱いに長けているという自負のある綾辻にとっては当然の結果だが、その分、初対面の
男達には評判は悪い(酒を酌み交わしたら直ぐに打ち解ける)という悪い面もある。
 しかし・・・・・。
 「今日は、よろしくお願いします」
そんな旦那連中には、倉橋が1人1人、丁寧に挨拶をしていた。20代後半から、30代後半の男達は、みな信じられないという
ような眼差しで倉橋を見つめている。
 「は、はあ」
 「よろしくお願いします」
 「こ、こちらこそ」
 「・・・・・」
(ちょっと、克己〜、愛しいダンナの面前でタラさないでよね〜)
 倉橋は、どう見ても女には見えない。しかし、細面の繊細な容貌は綺麗と表現するのには十分で、その上どこかしっとりとした
落ち着きのある倉橋は、なんだか別次元の存在に見えるのだろう。
この人物ならば、子供を産んでもおかしくはない。そう思われるのが倉橋にとっていいのか悪いのか分からないが、とりあえずは
何とか悪意を向けられないままで進めることが出来そうだった。

 「はい、ひっ、ひっ、ふーっ」
 「「ひっ、ひっ、ふーっ」」
 出産時の呼吸法。
何もない時に聞いている分には少しおかしいが、夫婦単位でしている方側は真剣な表情だった。
 「・・・・・」
 綾辻は、ふと隣に座っている倉橋の手元を覗き込んで笑みを浮かべる。多分、この中でも一番真剣に話を聞いているだろう可
愛い男は、妊娠中の食事や栄養について、体重管理、出産時の呼吸法まで、簡単な図解で書いていた。
(案外、絵上手ねえ)
 「次は、綾辻さん」
 「は〜い!」
 「・・・・・はい」
 参加は、綾辻の名前だ。それだけでも結婚しているみたいだと綾辻は上機嫌だ。
授業を行う助産婦と看護師も2人のことは承知しているので、他の夫婦と変わりなく指導してくれるのがありがたい。
 「お父さんは、お腹に手を置いてください。この赤ちゃんが無事に産まれることを願って、頑張りましょうね」
 「もちろんっ」
 「・・・・・」
 綾辻ははりきって倉橋の腹に手を置いた。
 「ほら、克己、ひっ、ひっ、ふーっ、ね?」
 「・・・・・ひっ、ひっ、ふー」
周りの視線が多少は気になるようだが、それでも素直に呼吸法を習う倉橋の姿は、きっと組員達の誰も想像出来ないだろう。
普段誰よりも冷静沈着に指示を出している幹部の、思いがけなく可愛い姿は、自分しか見ることは出来ないのだ。
(それにしても・・・・・社長も同じことしたのかしら?)



 続いては、授乳の仕方。
さすがにここは自分達には関係ないと思ったが、ミルクをあげる方法はまた別らしい。
 「あ、克己さん、上手!」
 「ホントねえ。男の人の方が腕も長いし、安定するのかしら」
 自分に気を遣ってくれているのか、そう言って手元を覗き込んでくるまだ年若い妊婦に、倉橋は何と答えていいのか分からない
ように苦笑した。
 「いえ、皆さんの方が・・・・・」
 「あ、あの、私のお腹、触ってくれません?男の子って分かってるんだけど、克己さんみたいに綺麗な子になってもらいたいの」
 「あっ、私も!」
 「私は、克己さんのお腹に触りたい!」
 「い、いえ、それは・・・・・」
(いったい、何時から名前を呼ぶようになったんだ・・・・・?)
 別に、それが嫌だというほど倉橋も子供ではないつもりだが、なんだか始めに想像していたものとはかなり違う。もっと、張りつ
めた雰囲気で、緊張したまま、綾辻と2人だけで世界を作って・・・・・。
(・・・・・母親というのは、随分と強いものなんだな)



 父親の赤ちゃんの入浴練習。
 「ほら、ね、私達って女性よりも手が大きいでしょう?しっかりと頭を支えたら簡単に安定出来るし。ねえ、センセ」
 「ええ、綾辻さん、お上手ですよ」
助産婦に褒められた綾辻の手際に、他の父親達は感心したように唸る。
 「綾辻さん、1人目なんですよね?手際いいですねえ」
 「ふふ、要はコツだし」
 「私はまだ怖さの方が先に立ってしまいますよ」
 「じゃあ、そうだ、このお人形さんを赤ちゃんじゃなくて、大事な奥さんだと思ったら?この後楽しいことが待ってるぞって思ったら、
自然とリラックス出来るんじゃない?」
 「娘が産まれたら困るじゃないですか〜」
 男同士、少しだけ際どい話をして楽しむ。
伴侶が男だとしても、父親になるのは同じ男だ。しかも、倉橋のような綺麗な男が相手ならば『あり』かもと思っている者達も多い
らしく、綾辻としては自慢で仕方がなかった。
 「でも、もう直ぐなのねえ」
(こんな風に自分の子供をお風呂に入れるなんて・・・・・あ。じゃあ、もしかして、克己とも一緒に?)
 恥ずかしがり屋な倉橋は、今まで一緒に風呂に入ってくれたことがない。いや、彼の意識が半分飛んでいる時に、何度か一緒
に入ったことはあったが、今度は親子一緒にと言えば進んで一緒に入ってくれるかもしれない。
(ふふ、いいわね〜)



(・・・・・何を考えてるんだ?)
 他の父親達と一緒に、赤ん坊の入浴の練習をしている綾辻は妙に楽しそうだ。
男の性格を知っている倉橋は、その笑みの意味を考えて思わず眉をひそめたが、他の母親達にとっては綾辻はやはり『いい男』
の部類らしい。
 「いいなあ、克己さんの旦那さん、カッコよくって」
 「2人ともカッコイイし、産まれてくる赤ちゃんも期待しちゃう」
 「あ、一緒に写メ撮らしてもらってもいいです?」
 「そ、それは、ちょっと・・・・・」
 赤ん坊を挟んだスリーショットなど、恥ずかしくて顔も上げられない。
それだけは勘弁して欲しいと思いながらも、倉橋は思い切ってこの母親教室に来て良かったと思っていた。





                                   





今日で出産前の話は終わり。
次回からいよいよ・・・・・です。