くーちゃんママシリーズ





第四章  子育て編   8







 「ゆーちゃん!」
 午後3時を過ぎた頃、開成会の事務所に元気な声が響いた。
 「こら、たかちゃん、その前にご挨拶でしょ?」
 「あ、こんにちは!」
真琴に促され、あっと表情を変えてそう言い直した開成会会長の長男、貴央の姿に、事務所の中にいた組員達の厳つい顔も
綻んだ。
 「良く来たな、貴央!」
 「おっ、それ幼稚園の制服か?」
 「うんっ、かっこいー?」
 「凄くカッコいいぞ」
 「マコッ、かっこいーって!」
 「良かったね」
 まるで自慢するように振り向く貴央に笑みを浮かべた真琴は、騒ぎを聞きつけて声を上げた優希に視線を向けた。
この時間は事務所にいる誰かが面倒を見ているということは知っているので、頻繁ではないが時折こうして事務所を訪ね、自分
が子守を引き受けていた。
 大学を復学したとはいえ、貴央のことも考えて単位を取るのはゆっくりとしたペースでと海藤と話していて、思いの外自由になる
時間が多いのだ。
 同じ男の身体で出産をした倉橋だが、彼は元々この開成会には無くてはならない存在で、出産してからも間を置くことも無
く仕事復帰をした。そんな倉橋に安心してもらうためにも、まだまだ新米から抜け出てはいないものの、子育てをしてきた自分が
手助けすべきだと真琴は考え、それを海藤に伝えて了承も貰っていた。

 今日は、春から貴央が通うことになる幼稚園の制服を取りに行ったりと、様々な雑用が重なって遅くなってしまったが、そのおか
げで貴央は組員達に初めての制服姿を見せることが出来るので随分ご満悦だ。
 「そっかあ、貴央ももう幼稚園かあ〜」
 「はい。これで、俺ももう少し大学に行く時間が増えそうです」
 「あっ、え、えっと、すみませんっ」
 貴央には年齢の序列を教えるために妙な敬語は使わないでくれと頼み、組員達もそれを了承していたが、つい真琴にまで馴
れ馴れしく話しかけてしまったらしく組員は慌てて謝罪してきた。
 しかし、自分よりも年上の相手にそんな言葉遣いをされても気にならない真琴は、構いませんよと笑う。
 「倉橋さんは?」
 「倉橋幹部は丁度くみ・・・・・社長と打ち合わせ中で」
 「じゃあ、顔は見せない方がいいかな」
真琴はそう呟くと、若い組員に抱かれている優希のもとに駆け寄った貴央を見つめた。



 事務所から内線が掛かってきて、倉橋は海藤と共に一階へ降りた。
 「真琴」
 「あっ、おとーさん!」
直ぐに海藤に気づいた貴央が駆け寄ってきて、腰を屈めた海藤に抱きついてくる。
少し前までは真琴の言葉を真似たのか「カイドーさん」と言っていた貴央も、幼稚園に上がる前に「おとーさん」と呼び名を変えた
らしい。
「パパ」の方が呼びやすいのではないかと思ったが、

 「菱沼の伯父さんが、自分のことをおっきいパパって呼ばせてるから」

と、真琴が苦笑しながら教えてくれた。どうやら貴央の中でも、海藤と菱沼の位置の違いは分かっているらしく、それならばと今の
呼び方になったらしい。
 今年5歳になる貴央。
貴央も、日々成長しているが、やはり少し言葉が遅いと感じていた倉橋も、幼稚園に行くと決まってからの貴央の成長振りには
目を見張るものがあった。
 「こんにちは、貴央君」
 「こんにちは!」
 子供らしい高い声の挨拶に、倉橋は頬を緩めた。
 「制服、よく似合っていますよ」
 「ホントッ?」
 「ええ」
幼稚園に行くという話は聞いていたが、制服姿を見るのは初めてだ。
帽子から上着、ズボンに靴。まっさらなそれを着た貴央は随分成長したように見える。他人の子の成長は早いという話は聞いた
ことがあるが、今の自分の気持ちはまさにそれだった。
 「おとーさんはっ?」
倉橋の言葉に気を良くした貴央が、今度は海藤を見て訊ねる。
 「かっこいー?」
 「ああ、立派なお兄ちゃんだな」
 どうやら、海藤もその姿は初めて見るらしい。貴央を屈んだ膝の上に腰掛けさせて話し掛ける様子を見ていれば、貴央はその
言葉に首を傾げて聞き返した。
 「おにーちゃん?」
 「お前は優希のお兄ちゃんだろ」
 「あ、そっか!」
 パッと海藤から離れた貴央は、また思い出したかのように優希の側に駆け寄っていく。子供らしい切り替えの早さに苦笑してい
ると、真琴がすみませんと謝ってきた。
 「何だか、煩くて」
 「いいえ」
 「仕事の邪魔しちゃったんじゃ・・・・・」
 真琴の眼差しは海藤に向けられる。すると、海藤はクシャッと真琴の頭を撫でると、丁度休憩時間だから大丈夫だと穏やかな
口調で言った。



(あ、来てる)
 ドアの向こうから賑やかな声が聞こえてくる。
ヤクザの事務所では聞くはずの無い子供の声に感じるのは微笑ましさで、この声の主のために買ってきた物もどうやら無駄になら
ないようだと安心した。
 「たかちゃ〜ん!!」
 バンッと、ドアを開けるなり叫ぶと、
 「ゆーぞー!!」
貴央にだけ許した呼び方が帰ってきて、目の前に自分の腰ほどもまだ成長していない子供が駆け寄ってきた。
 「あらっ、それ、幼稚園の制服?」
 「うん!かっこいー?」
 似合うかどうかの前にそう聞くというのは、既に何人もの相手にそう言われたからだろう。期待に輝く目を見つめていると、何だか
少しだけ意地悪したくなってしまった。
 「ふふ、可愛いわよ?」
 「・・・・・かわいー?」
 「あら、やだ?」
 「・・・・・かっこいーがいー」
 どんなに小さくとも男のプライドはあるようだ。
綾辻は内心可愛いと叫びながら、貴央の身体をギュウッと抱きしめた、
 「もうっ、カッコイイわよ!ケーキ2個あげちゃう!」



 綾辻と海藤が貴央の相手をしている間、倉橋は優希を抱き上げて真琴に対していた。
子育ての先輩である真琴には聞きたいことがたくさんある。特に、今は離乳食に切り替えた時期なので、倉橋としては心配する
ことも多かった。
 「やはりまだ、離乳食はあまり食べてはくれないんです。だからその分、ミルクをやることになってしまって・・・・・」
 「完全に切り替えることは無いんじゃないんですか?貴央の時も、離乳食にしてから完全にミルクを止めるまで1年近くも掛かっ
たし」
 「そうなんですか?」
 「俺も、心配になって病院で聞いたら、人それぞれだからって笑われちゃいました。中には、小学校に上がるまで、哺乳瓶を放さ
ない子もいるって」
 「小学校に・・・・・」
 「だから、1年で切れて凄いじゃんって思っちゃって。それに、ゆっくり成長したら、その分自分にも考える猶予を貰えたんだって思
うようになったら気が楽になりました」
 思い掛けない言葉に倉橋は目を瞬かせた。自分の身体が女性とは違うので優希の成長も遅れがちなのだと思っていたが、同
じように考えていた真琴も今ではその遅れを受け入れているという。
 「・・・・・心配ではないんですか?」
 「心配だけど、身体のことはちゃんと病院で見てもらってるし、後は生活の中で成長していくしかないんだろうなって思ってます」
 本当は何も考えていないんですけどと言って笑う真琴は、本当に強いと思う。
自分は綾辻をはじめ、海藤や真琴、組員達に支えてもらってここにいるが、真琴の時は何もかも初めてで不安も大きかったはず
だ。
 それが、今笑ってここにこうしているということ自体、普通の大学生であるはずの真琴はとても・・・・・とても強くて、眩しく感じてし
まった。

 「ゆうちゃん、ぷくぷくだし、栄養は心配ないと思いますよ。ウンチもちゃんと出てるんですよね?」
 真琴は優希の手を掴んだ。先ほどからの賑やかさのせいですっかり目が覚めてしまっているらしい優希は、真琴の手に嬉しそう
な声を上げている。
どうやら優希は真琴と貴央が本当に好きなようだ。
 「ええ。少し柔らかいですが」
 「まだミルクを飲んでいるから仕方が無いかも。下痢が続かない限りは大丈夫ですよ」
 「・・・・・」
 「倉橋さん?」
 「あ、いえ、何だかとても不思議だなと思って」
 「はは、そうですよね。男の俺達が子供のウンチの心配なんて・・・・・ホント、おかしい」
 本当に、おかしいとは思うが・・・・・それでも、自分達にとってはこれが日常なのだと思えるほどには、生まれてきた子供達をお
互いが愛している。
 「真琴さんは立派です」
 その思いを込めて呟いた倉橋の声を耳にした真琴は途端に顔を赤くし・・・・・倉橋さんだってと言ってくれる。
(いいえ、私などはまだまだです)
真琴が悩み、戦った数年間に、自分のこの一年数ヶ月はまだ及ばないと、倉橋は真琴に向かって手を伸ばしている優希を強く
抱きしめた。



 「頑張ってくださいね」
 つかの間の休憩の後、海藤、倉橋、綾辻はそれぞれの仕事に戻ることになった。
緊急な仕事ということではないが、それでも日々の雑務は処理しなければ減らず、まだ優希や貴央と遊びたいとダダをこねる大
きな子供の襟首を引っ張りながら倉橋は言った。
 「あなたにはミルク代を稼いでもらわないといけません」
 「やだあ、それってパパの役目じゃない〜。じゃあ、私がパパでOK?」
 何を今更だと思う反面、心のどこかで自分がママと呼ばれることには抵抗がある。真琴も、貴央にはママとは呼ばせていない。
(だが・・・・・ここで何か言えばさらに時間が掛かるな)
 「いいですよ」
 「えっ?」
まさか、倉橋があっさりとそう言うとは思わなかったのか、綾辻が意外なほど声を上げた。
 「いいの?」
 「いいですよ」
 「じゃ、じゃあ、克己が私のつ・・・・・いたっ」
 それ以上恥ずかしいことは言わせたくなかった倉橋は綾辻の後頭部を叩いた。優希にとって綾辻が父親だということは揺ぎ無
いが、自分との関係はあくまでも対等だと・・・・・思いたい。
 「早く仕事を終わらせてください。今日は真琴さんや貴央君も一緒に夕食をとる約束をしているんですから」
 「もう〜、つれないんだから」
 綾辻の言葉を背に聞きながら歩き始めた倉橋だったが、言葉で言うほどに綾辻が落ち込んでいないということは声の響きからも
十分感じ取れた。
(・・・・・全く)
むしろ、どこか楽しそうな声に自分の方が恥ずかしいと思いながら、倉橋は赤くなりそうな頬を軽く叩いて意識を切り替えるべく咳
払いをした。





                                   





今回はマコとたかちゃんも登場。
次回はそれからまた少し時間が経ちます。