くーちゃんママシリーズ
第一章 懐妊編 6
そのまま、海藤のマンションで朝食をご馳走になった(倉橋はあまり食べられなかったようだが)2人は、海藤と共に本社ビルへと
向かった。
「・・・・・な〜に、また口がへの字になっちゃってるけど・・・・・何心配してるの?」
「・・・・・あなたは不安じゃないんですか?」
「組員達に言うこと?ぜ〜んぜん」
(むしろ、もっと早く言いたかったくらいだもの)
組員達には当然、今まで自分達2人の関係は秘密にしていた。
綾辻が倉橋に懐いているのは誰もが知っているが、頻繁に《好き》とか、《愛している》とか人前で言っている綾辻の態度を冗談
ゆえと思っている者が多いだろう。
どう考えてもストイックな倉橋と、女遊びが派手(既に過去のことだ)に見える綾辻が付き合っているとは考えられないはずだ。
(克己は秘密にしたがっていたけど、私はオープンにしたかったし)
生真面目で、他人以上に自分に厳しい倉橋。だからこそ、世間からははみ出し者に見られがちな組員達のことも真摯に考えて
いるし、それはシマの中の人間へも同様だ。
綾辻は組員の中や水商売の男女から慕われている倉橋のことが心配で仕方が無かった。
人当たりの良い自分に人間が寄ってくるのとはまた違う意味だと分かっているからだ。
「・・・・・迷惑を掛けてしまいます」
「組員を育てるいい機会だと思うようにしましょうよ。大丈夫、うちの人間はそれ程偏見を持ってないわよ」
なにせ、会長の海藤からして男の真琴を伴侶に選び、2人の間に子まで生したのだ。
「・・・・・」
偏見を持っていなくても、さすがに倉橋が妊娠していることを伝えればかなりの衝撃を受けることは想像出来る。
倉橋には笑顔を向けながらも、他者が一言でも倉橋を傷付ける言葉を言えば許さないと、綾辻は深く心に誓っていた。
程なく、事務所に着くと、海藤は下の事務所にいる組員の前に立った。
会社社長であり、ヤクザの組織、開成会の会長でもある海藤が朝から一同の前に立つのは稀なことで、皆いったい何があったの
かと真剣な表情になっている。
組員ではなく、純粋に会社組織の社員達にはまた別に知らせるからと、今目の前にいるのは海外に出張中の者や、どうしても
所用で来られない者達を除いて、綾辻が緊急招集を掛けた者も含め、100名ほどだった。
「朝から集まってもらったのには、お前達に報告がある為だ」
これだけの人数がいるのに、部屋の中はしんと静まり返っており、声を張るわけでもないが、海藤の声は部屋の中に響いた。
「綾辻、倉橋」
「はい」
「・・・・・」
名前を呼ばれ、綾辻は声を出したが、倉橋はとても答えることが出来なかった。
(い・・・・・き苦しい・・・・・)
自分の緊張感が再び高まっているのを感じた倉橋だったが、そんな自分の背をまるでエスコートするように押してくれる綾辻の手
に気付いた。
心配する事は無い・・・・・何だかそう言われているような気がして思わずほっと息をついた倉橋は、その綾辻と共に海藤の隣へと
立つ。
一同の視線が自分達へと注がれるのが良く分かった。
「報告は綾辻からだ」
「はい」
海藤に促され、綾辻は一歩前に出た。
「今から言うことは皆にとっては寝耳に水の話だと思うけど、苦情は全て私の方へと言ってきてね」
「あ、綾辻さん」
(文句を言われるのは、役目が疎かになる私の方で・・・・・っ)
自ら矢面に立つという綾辻に、自分だけが守られているような気がして倉橋は思わずその名を呼んだが、振り返った綾辻の表情
は真剣というよりも楽しそうに笑っていた。
「いいのよ、これは私の特権なんだから」
「・・・・・特権?」
「そ」
そう倉橋に言うと、綾辻は控えた一堂を見回した。
「このたび、私、綾辻勇蔵と倉橋克己は、はれて夫婦となりま〜す!」
「・・・・・っ」
いきなり核心をついた言葉に、自分の隣にいる倉橋が息をのむ気配がする。
もちろん、それ以上に組員達の驚愕は大きかった。
「ええっ?綾辻幹部、それってどういうことですかっ?」
「夫婦っていったい?」
「綾辻幹部、女いたんじゃないんですかっ?」
「綾辻幹部の片想いじゃ・・・・・っ?」
様々な疑問と驚きの声が上がったが、やがて開成会の中でも綾辻、倉橋の次の位置にいる幹部補佐の中で、一番年上にあ
たる高階(たかしな)が一同を静めた。
比較的若い年齢の者が多い開成会の中で、高階は40になる、綾辻よりも年上の男だ。
「綾辻幹部、私達にはイマイチ事情が掴めません。ですが、これだけの人数を集めて冗談を言うってのもおかしいですし・・・・・、
いったい、綾辻幹部と倉橋幹部が夫婦になるっていうのはどういうことですか?」
「そうね、皆にとっては唐突な話かもしれないけど、私はずっと前から克己に惚れてたの。もちろん、友情じゃなくって、欲情を込
めた感情よ」
組員達の前で自分の恋愛事情を話すのは気恥ずかしいが、自分がどれ程倉橋に対して真剣な思いを抱いているのかを知っ
てもらう為には、隠すこともなく、恥ずかしいとも思わなかった。
「克己は知っての通り真面目だし、ノーマルな嗜好の持ち主だったから当然初めは拒絶されたけど、押して押して、ようやく私の
粘り勝ちっていうか・・・・・克己は絆されてくれたの」
あまりにも突然の告白のせいか、組員達はいったいどういう風にその言葉を取っていいのか分からないようだ。
傍にいる者と顔を見合わせている素振りに、綾辻は内心苦笑してしまった。
(普段からの態度って大切よねえ)
これで、倉橋だけでなく自分も普段から生真面目にしていれば、周りももっと早く信じてくれたのかもしれないが・・・・・。
(次の言葉でもっと驚かせちゃうけど)
「後、順番が逆になっちゃったけど、克己に赤ちゃんが出来ました!皆、労わってあげてね?」
「ええっ?」
今度こそ、まるで津波のような驚きの声が上がる。
綾辻は顔を真っ白にしている倉橋の身体を自分へと抱き寄せて囁いた。
「大丈夫よ、克己」
根拠の無い自信だったが、綾辻はきっぱりと言い切った。
「私の大事な奥さんを苛めたりしたら許さないわよ」
全身に突き刺さるような眼差しを感じ、倉橋は俯いた顔を上げることが出来なかった。
普通の男女の結婚や妊娠とは違い、自分はもう30も半ばのただの男だ。こんな自分が綾辻のような完璧な(あくまでも倉橋の
目から見た、だが)男と結婚とか、妊娠とか言っても、早々信じられるものではないだろう。
「倉橋幹部」
「・・・・・っ」
先ほどの高階が倉橋の名を呼んだ。
「な・・・・・んだ」
声が喉に絡まってしまうのを何とか押さえて言うと、倉橋は伏し目がちに顔を上げた。
(な・・・・・に?)
視界の中に入ってきた高階の顔は、恐れていたような蔑んでいるものではなく・・・・・何だか心配そうに眉を顰めている。
自分の態度のどこがおかしいのだろうと思っている倉橋の耳に、思い掛けない言葉が飛び込んできた。
「失礼ですが・・・・・これは、同意なんでしょうか?」
「え?」
「俺達は、綾辻幹部が倉橋幹部を追い掛け回していたことを知っています。ここまで本気だったのかというのは・・・・・正直、気
が付かなかったというしかないですが、倉橋幹部の日頃の態度から考えれば、今回のことがとても同意だとは・・・・・」
「まさか、無理矢理?」
「そうだとしたら、綾辻幹部、許せないっす!」
「そうだぜっ、俺達だって抗議しますよ!」
「・・・・・皆・・・・・」
「なあに、皆克己の味方?私に付く奴いないの?」
不満を楽しそうな口調で言う綾辻に、何時も男と行動を共にする幹部候補の強面の久保(くぼ)が、眉を顰めながらじろりと
綾辻を睨んだ。
「日頃の自分の行いを考えてくださいよ」
「え〜」
自分と行動を共にすることが多い久保は、綾辻自身が選んだだけに頭の回転も速く敏い男だ。そして、開成会の中でも極少
数の、自分が倉橋に本気だという想いを知っているはずだった。
だからこそ、久保の中では今回のことはとうとう・・・・・と、いう所だろう。
「く〜ちゃん、私の部下でしょ?冷たいんじゃない?」
「部下でも、今回のことは別ですよ。俺は倉橋幹部の味方ですから」
「俺も!」
「俺だって!」
「・・・・・ホント、男タラシなんだから」
(く〜ちゃん、ナイスアシスト)
綾辻に一番近い男がこれほど厳しい意見を言えば、少なくとも組員達は倉橋に対して同情的になるはずだ。倉橋が心配して
いるような蔑みの視線は、被害者のような形の倉橋には向けられないだろう。
綾辻が意味深な視線を久保に向けると、久保は器用にも難しい表情のまま片眉を上げてみせる。
思わずふき出しそうになった綾辻は、それを誤魔化すかのように海藤に視線を向けて言った。
「会長、皆酷いんです〜」
「日頃の行いだろ」
そう言って、海藤は僅かに眼差しを緩める。この状況をあくまでも傍観者の立場・・・・・と、いうより、倉橋側に立って見ているよう
だった。
(もう・・・・・社長も克己には甘いんだから〜)
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組員達の前で、結婚&妊娠宣言。
悪役になる綾辻さんは立派ですが、日頃の行いも響きますよね(笑)。