くーちゃんママシリーズ





第一章  懐妊編   7







 ざわめきの中に少しだけ出てきた笑い。
組員達は確かに驚いた様子だったが、先程まで肌で感じた張り詰めた空気が少しだけ柔らかくなってきたような気がして、倉橋
は戸惑ったように傍にいる綾辻に視線を向けてしまう。
 そんな倉橋に笑い掛けた綾辻は、そのままその肩をグッと抱き寄せた。
 「あ、綾辻さんっ」
 「い〜の、私達もう公認なんだから」
 「こ、公認・・・・・」
(それはちょっと・・・・・複雑なんだが・・・・・)
綾辻が嫌だということではないが、倉橋の中でもまだくすぶる困惑は抜けきれていない。
 真琴と違い、初めての恋愛対象、セックス相手が男とは違う倉橋(恋愛はもしかしたら未経験かもしれないが)は、多少の違
和感を完全に拭い去ることは出来なかったのだ。
 「もうっ、克己がそんなんだと、こいつらは何時まで経っても認めてくれないじゃない〜」
 「す、すみません」
 「もう痴話喧嘩ですか、綾辻幹部」
久保が茶化すように言うと、今度こそ一同の中から笑いが生まれた。



(第一関門は突破・・・・・か)
 組員達の反応を用心深く見ていた綾辻は、組員達の中に始めから蔑みの混じった視線は感じていなかった。
男の、それも、一見してセックスというものを感じさせない倉橋が綾辻と付き合い、妊娠までしていたということは確かに驚いても仕
方が無いことだろうが、それによって倉橋の価値が下がるわけではないのだ。
(今までの克己の働きを見ていたらそんなこと言える人間なんていないはずだもの)
 倉橋が怖がっていた杞憂は、綾辻には全く無意味だと分かっていた。
それよりも、むしろ、今回のことで倉橋の恋愛対象が男でもありうると分かったことの危険性の方が心配だ。同じ男なので簡単に
押し倒されて・・・・・と、いうことはないと思うが、それでも今まで以上に監視をしておかなければならない。
それと・・・・・。
 「いい、みんな。これから克己の仕事は私が全部引き継ぐけど、知っての通り私は克己みたいに甘くもないし、自分だけが犠牲
になるつもりはないから、バンバン仕事を振り分けていくわよ!」
 「分かりました」
 「倉橋幹部の分も頑張ります!」
 「しっかりしてくださいよ、綾辻幹部。今までみたいにフラフラ遊び歩いていないように」
 組員達の口々の叱咤激励が耳に痛いが、反面嬉しい。
自然と綾辻の頬は緩んでしまっていたが、いいえと、反論する声が上がった。
 「私の仕事は、今まで通り私がします」
それは、当の本人である倉橋だった。
 「何言ってるのよ、克己。その身体で今まで通り働くなんて無茶よ」
 「世の中の妊娠中の女性の中では、出産直前まで立派に働いている方はたくさんいらっしゃいます。いいえ、普通の主婦の方
も、きちんと家事をこなしてらっしゃるでしょう」
 「あのね」
 「男の私が、彼女達に出来ることが出来ないわけがない」
 きっぱりと言い切った倉橋は、改めて組員達にきっちりと頭を下げた。
 「私のごく個人的な理由で迷惑を掛けてしまうが、それでも出来る限り通常の仕事はこなしていくつもりだ。ただし、容易に動け
ない時にはこの綾辻を手足としてこき使うつもりなので、皆、この人の監視を頼む」
 「はい!!」
綺麗に揃った返事に綾辻は呆気にとられたが、直ぐにその頬には苦笑を浮かべ、倉橋の肩を抱き寄せ(もちろん、直前で振りは
らわれたが、懲りずに手を伸ばした)て、組員達に向かって言った。
 「ご祝儀は何時でも受付中よ〜!!」






 「・・・・・」
 海藤の部屋に入った倉橋は大きな溜め息を付いた。
心配していた組員への報告が、思ったよりもスムーズに出来てホッとしたのだ。
(みんな・・・・・気を遣ってくれたんだろうな・・・・・)
 男の妊娠というのは少しずつ知られてきた上、開成会の人間にとっては会長である海藤と真琴という身近な例があるので、普
通よりは受け入れやすかったのかもしれないが・・・・・それでも、そういうことに一番縁遠そうな倉橋の懐妊はそれなりにショックだっ
ただろう。
 倉橋にすれば、それと同様に、自分と綾辻がセックスをする仲だと分かってしまったこともとてもは恥ずかしいことで、これからは事
務所の中では2人でいることは避けようと思ってしまった。
 「みんな分かってくれたみたいよね、良かった」
 「・・・・・ええ」
 それでも、後悔はしていないし、無かったことにしようとも思わない。ありのままの自分を受け入れてくれ、愛してくれたこの男を選
んだことは間違いないと思うからだ。
 「さてと、まだ難関があるのよね〜」
 「え?」
感慨深く自分の気持ちを見返していた倉橋は、うんざりとしたような綾辻の言葉に首を傾げた。
 「難関とは何ですか?・・・・・っ、まさか、私の親に・・・・・」
 「ん〜、それに近いかも」



 戸惑った様子の倉橋に、綾辻はふっと笑みを浮かべた。
確かに、一度は倉橋の両親に会おうとは思う。彼の言葉から考えたら自分達の関係をとても許すような人間には思えないが、倉
橋を自分の籍に入れてしまう前に、挨拶だけはしておこうかと思っていた。
 ただ、それは今ではないと思う。最悪、両親に子供をおろせと言われたら・・・・・いや、男の身で妊娠したということを侮蔑された
ら、繊細な倉橋の神経が参ってしまうことは容易に想像出来るからだ。
 「綾辻さん」
 「社長、言っておいた方がいいでしょう?」
 「人伝に聞かされたら、それこそヘソを曲げる人だからな」
 海藤は綾辻の言う難関の正体は分かっているらしく、苦笑しながらも同意してきた。
 「社長?」
 「克己、分からない?」
 「分からないから聞いているんです」
倉橋の声の様子が少し怒ったものに変化してきた。
別に、秘密にしておく名前でもないし、これ以上焦らすことも無いだろう。
 「軽井沢」
 「・・・・・あ、御前?」
 「そう。内緒にしてたら、絶対後で叱られちゃうわ。それに涼子さんは克己がお気に入りでしょう?お母様にはちゃんとご挨拶して
おかないと」
 「・・・・・でも、御前にお知らせするようなことでしょうか・・・・・」
 「あったり前!克己、あんた、開成会の中での自分の位置、ぜ〜んぜん分かってないわねえ」
 どう考えても、大事にされているのは自分ではなく倉橋だろう。ただ、倉橋は真面目で、好きだの嫌いだのという感情を見せない
ので誰もが手を差し伸べるのを躊躇っていただけだ。
今回、そんな皆のアイドルを横から掻っ攫っていった形になる綾辻は、方々への挨拶は出来るだけきっちりとしておかなければなら
ない。
海藤の伯父で、前開成会会長の菱沼(ひしぬま)もその1人だった。
 「しかし・・・・・」
 「克己は何も心配しなくても大丈夫よ。それより私の方よ、うちの娘にって一発もらっちゃうかしら」
 「何言ってるんですか」
 倉橋は冗談だと思っているようだが、綾辻は本気だ。
(御前はまだしも、涼子さんには絶対怒られちゃいそう・・・・・)
順番が逆だと(入籍してから妊娠)、変な方向で叱られるかもしれない。






 事務所ビルのエントランスで、倉橋は落ち着き無く立っていた。
つい10分ほど前に、後15分くらいで着くと綾辻から連絡があったのだ。
(わざわざこちらに来て頂くなんて・・・・・挨拶をするなら、私達が向こうに行くのが筋なのに・・・・・)
 二日前、綾辻は軽井沢の菱沼に、自分との結婚の報告をした。
同時に、今倉橋が妊娠していることも話し、挨拶に行きたいと言うと、何を馬鹿なことをとどうやら一喝されたらしい。大事な時期
の倉橋に長い間車に揺られることはさせてはならないと優しく気遣われ(綾辻にはかなり怒ったようだが)、今回菱沼の方から東京
までやってくるという話になったのだ。
(本当に申し訳ない・・・・・私が無理でも、綾辻さんだけでも行ってもらったら良かったか・・・・・)
 「・・・・・」
 倉橋は自分の身体を見下ろした。
 「・・・・・」
それまでは、何時でも直立で立っていたはずの自分が、無意識の内に片手で腹を押さえているのに気付くと、慌ててその手を身
体の横へと持ってくる。
(何をやってるんだ、私は・・・・・)
 「倉橋幹部、事務所で座っていてください。御前が来られたら連絡しますから」
 「いや、私が出迎えをしなければ」
 「じゃ、じゃあ、せめて、ロビーのソファに腰掛けていてください」
 「・・・・・」
 倉橋は自分にそう言う組員に視線を向けた。まだ20代前半の若い男だが、彼が自分の身体を心配して言ってくれているのは
良く分かる。
(そこまで気遣われなくてもいいんだが)
ただ、気持ちはやはり嬉しい。倉橋は頬を僅かに緩めた。
 「ありがとう、すまない」
 「いっ、いえっ」
 なぜか、顔を真っ赤にした若い組員が慌てたように視線を逸らしてしまい、倉橋はどうしたのかと首を傾げながらさらに訊ねようと
する・・・・・が、

 プッ プッー

 「あ」
短いクラクションの音が鳴り、三台の車が次々と玄関先へと横付けになった。





                                   





組員達への報告も無事終了。
次は御大、菱沼伯父の登場です。