Love Song





第 1 節  Lentissimo



12






 「桜井っ、校正、デスクに置いてるからな!」
 「あ、はい!」
 午前中、家から直接取材に行っていた初音は、会社にやってくるなり編集長からそう怒鳴られた。
いや、多分本人は怒鳴っているという感覚さえ無いだろうが、初めてあの大声を聞いた時、初音は心臓が止まるかと思うほどにビ
クッとしてしまった。今はようやく慣れたが。
 「・・・・・わ・・・・・」
 急いで自分のデスクに座り、置かれていた原稿を見た。
本刷りに入る前に、写真の位置や文字の間違えを探したりと、これも取材以上に大事な仕事なのだと教わった。
だが、初音は編集者の視線で見るより先に、そこに写っている隆之の姿に一瞬見惚れてしまった。
(やっぱり・・・・・カッコいい・・・・・)
これほどに憧れている人と、もう何度も直接会ったということが今もって信じられないくらいだ。
(本当に一緒にご飯も食べたのかなあ)

 大学の先輩である都筑と会ったのは三日前だ。
その時、長年初音が【GAZEL】のファンだということを知っていた都筑が、本来は裕人との打ち合わせの席だったのに初音を呼ん
でくれた。
都筑がバンドでメジャーデビューすることにも驚いた初音は、思いがけず現れた裕人と隆之(隆之は裕人が強引に連れてきただけ
らしい)の姿にもっと驚いてしまった。
 仕事の席に第三者である自分が現れたことで、初めはあまり機嫌が良くなかった隆之も、最後には笑みを浮かべて初音と話し
てくれた。
それだけでたまらなく嬉しくて、初音はここ数日ずっと上機嫌だ。
もちろん、代打ではあるが、【GAZEL】の担当になってからずっと、この上機嫌は続いている。



 「桜井、あそこの事務所は厳しいからな、ちゃんと抜け落ちが無いようにチェックしろよ?」
 「はい」
 「あ、それと、向こうの事務所にファックスするのも忘れるな。向こうのOKが出てから初めてGOだ」
 「分かってます」
 今日本の音楽界で一番勢いのある【GAZEL】の扱いは特別だ。
これが単に調子に乗っている勢いだけのグループではなく、実力も伴ったプロフェッショナルな集団だからこそ、仕事をする側の人間
も緊張感を持って接していた。
 「・・・・・」
 記事は、今度の夏のライブのことが中心だ。
記事を読んでいると、初めて会った時の不機嫌な隆之の顔が頭の中に浮かんだ。
何度も何度も同じ質問をされて面白くないと言っていた、画面の反対側で見ていた時のクールで大人びた表情とはまるで違う少
年っぽい顔。
こんな風にこの仕事をしなければ知らなかった顔だ。
(本当にラッキーだったな)
初音は改めて自分の幸運に感謝すると、チェックを終えた原稿から手を離した。



 編集長に言われた通り、【GAZEL】の事務所に原稿を送り、初音は別の仕事に取り掛かった。
初音が担当しているのは【GAZEL】だけではなく、今注目の新人バンドというものも同時進行している。
 「あ」
 その記事を見た初音は、ふと顔を上げて隣に座っている先輩記者の山之辺(やまのべ)に聞いた。
 「山さん、【ZERO】って知ってますか?」
 「ゼロ?」
 「今度、秋にメジャーデビューするんですけど・・・・・」
 「あ、都筑臣でしょ?」
山之辺が答える前に、前の席に座っている4歳年上の女性の先輩である近野(こんの)が、山になった書類の隙間から顔を出し
ながら言ってきた。
 「近野さんは都筑先・・・・・さん、知ってるんですか?」
 「経歴が珍しいしね。ルックスも私好みだし」
クスクス笑って、近野が頷いた。
 「去年転職してきた私とはタッチの差で止めちゃったし、あんまり知らないのよねえ、彼のこと。でも、インディーズにいるの勿体無
いと思ってたんだけど、とうとう表に来るのかあ。あ、でも、どうして初音ちゃんが知ってるの?」
 女性の近野にちゃん付けされるのはどうも変な感じなのだが、何度言っても呼び名を変えてくれないので、初音は今は諦めの
境地になっていた。
それよりも、今は近野が都筑を知っていることの方が嬉しくて、初音は内緒話をするように少し声を落として言った。
 「都筑先輩、大学時代の先輩なんです」
 「うっそ!」
 「こ、声、大きいですっ、近野さんっ」
 「そんなの初耳よ!どうしてもっと早く言わなかったのよ〜!」
 「だ、だって、聞かれなかったし」
 「そういう手駒はさっさと白状するに限るのよ!」
 「て、手駒・・・・・」
 「そうか、【ZERO】って都筑のバンドなのか。あいつ、バンドやるって本気だったんだなあ」
 「・・・・・」
(みんなあんまり知らないのか)
 大学時代から、初音は都筑が音楽をとても愛していることを身近で見て知っていた。
だからこそ、音楽関係に強いこの出版社に入ったのだと納得もしていたが、彼は音楽をしている人間を間近で見て、やはり自分
も音を作り出すことを諦め切れなくなったのだろう。
そのことを、仕事場の人間にもあまり話していないというのが都筑らしくて、初音は少しだけ笑ってしまった。
(結果が出るまでは口に出さないタイプだもんな、先輩は)
 「初音ちゃん、取材しなさいっ、取材!」
 「へ?」
 「絶対売れるって、都筑臣は!今の内に唾付けとかなくちゃ!」
 「・・・・・」
(こ、これが、記者魂ってやつ?)
特種は見逃さないというような近野のバイタリティは、見ているだけで圧倒されそうな感じがする。
 「分かったわねっ?」
 「は、はい・・・・・いずれ」
最後の言葉はまるで付け足すように言った初音は、まだ都筑の話で盛り上がっている2人から顔を逸らすと、はあ〜と深い溜め
息をついてしまった。