Love Song





第 1 節  Lentissimo



13






 「ふ〜ん・・・・・なるほどね」
 丁度事務所にいた裕人は送られてきたファックスに目を通しながら、思わずといったように笑みを浮かべた。
元々【GAZEL】のファンだったということだからか、記事の中には【GAZEL】への深い愛情が感じられる。少し熱が入り過ぎている
箇所も無いことはないが、それもまあ愛嬌だと言ってもいいだろう。
 「ヒロ?」
 「初音ちゃんから」
 「え?」
 「この間の取材の原稿だよ。チェックお願いしますってさ」
 「・・・・・」
 そう言いながら隆之にファックスを差し出した裕人は、じっとその紙を見つめている隆之の横顔を見る。
 「ねえ、ヒロ」
 「・・・・・ん?」
 「この間の【ZERO】の都筑臣、初音ちゃんと結構親しい感じだったよね」
その言葉をどう取ったのか、隆之は顔を上げた。



 「初音ちゃんと結構親しい感じだったよね」
 「・・・・・」
(ヒロ?)
 その言葉自体、何気ない会話の一つだと思えないこともない。ただ、悪戯好きの裕人が自分に対して初音の名前を出してきた
ことに何か意味があるような気がして、隆之は警戒しながら顔を上げた。
 「実は僕も、彼とはまだ数回しか会ったことがないんだけど、元出版社の社員っていう変わった経歴だっていうのは知ってたんだ。
ただ、それが初音ちゃんの所だということまでは知らなかったけど」
 「・・・・・本当に、知らなかった?」
 「ホント」
 裕人が自分のバンドである【GAZEL】以外のアーティストをプロデュースすることには、隆之自身嫌だとは思っていなかった。
彼がそのことで【GAZEL】に手を抜くはずが無いと知っていたし、才能がある人間は誰にでも必要とされるだろう。
ただ、今回の【ZERO】に関しては少し複雑だった。
この先も裕人が都筑と関わりあうとしたら、多少なりとも隆之も繋がりを持ってしまうかもしれない。そこから、さらに・・・・・そう考え
ると、隆之は今までのように黙って裕人に従うことは出来ないように思えた。
 「ヒロ、俺は」
 「ダメ」
 「ヒロ」
 「僕は彼の声を気に入ってるんだ。甘いタカの声とは対照的な、心臓にズシンと響く低音がね。だから、絶対にあの声に合う曲
を作りたい」
 「・・・・・」
 「大丈夫。僕はタカの味方だから」
 笑いながら言う裕人は、きっと本気でそう言っているのだろう。
だが、裕人に仕事の制限を頼むのはやはり行き過ぎだという自覚はあるので、隆之も曖昧に頷くしかない。
(・・・・・俺は、どうしたいんだろうな)
胸の中のモヤモヤがいったい何なのか、自分が初音に感じているのはどういった感情なのか。
それを知る為にも、隆之は自分で一歩踏み出さなくてはならないかもしれないと感じていた。



 午後10時。
とっくに就業時間は過ぎているものの、初音は明日の取材の下準備でバタバタとしていた。
内輪の話だが、明日の取材相手は新人のロックバンドで、経費節約の為にカメラマンは付いて来ずに初音が写真も写すことに
なったのだ。
素人の初音だが、それでもそれなりな写真が取れるように、たった今まで即席の写真撮影の講習を受けていたのだが・・・・・。
 「あ〜あ」
(出来るのかな・・・・・)
 たった数時間の特訓で、初音の腕がプロ級になるなどとても考えられず、初音の気持ちは落ち込んだまま、それでもお腹は空
いたのでコンビニにでも行こうかと自社ビルの前を歩いていた時、

 プーッ

車のクラクションが鳴った。
幹線道路沿いのこの辺りは通行量も多く、初音にとってもそれは聞き慣れた音だ。
大して気にも留めずに歩いていたが、更にもう一度というようにクラクションは鳴る。

 プップーッ

(何だよ、煩いなあ)
 変な相手に絡まれるのだろうかと少し眉を潜めて車道を見た初音は、そこに見慣れない赤いスポーツカーを見て思わず足を止
めた。
 「派手・・・・・」
いったいどんな人間が乗っているのかと中を覗こうとすると、スーッと降りた窓の向こうには思い掛けない相手の顔があった。
 「タ、タ・・・・・ッ」
タカと叫びそうになった自分の口を慌てて両手で塞いだ初音は足早に車に近付いた。こんな場所で【GAZEL】の広瀬隆之がいる
とバレてしまったらパニックになってしまうからだ。
 「ど、どうしたんですかっ?」
 出来るだけ声を抑えて、それでも上擦って何時もよりも大きな声になってしまっていることの自覚が無い初音に向かい、隆之は
変装のつもりなのか掛けている眼鏡の奥の目をほんの少し柔らかくして言った。
 「今から帰りだろ?さっき編集部に電話してみた」
 「編集部に?」
(わざわざタカが?)
 その言葉に驚いた初音だったが、ふと日中に送ったFAXのことを思い出した。
もしかしたらその件について変更か、あるいは抗議があるのかもしれない。
 「あ、あの、何かおかしなとこ、ありましたか?」
 「・・・・・乗って」
 「え?」
 「目立つから」
 「あ、はいっ」
確かに、こんな場所に止まっている派手なスポーツカーはそれだけで目立つだろう。
初音は言われるまま右側に向かうと、失礼しますと口の中で言ってから中に乗り込んだ。
 「あ、あの、広瀬さん」
 「食事、まだだろ?」
 「え?あ、はい、え?」
 「食べに行こう、俺も今からだから」
 常日頃から口数の少ない隆之は、やはりこんな時も前後の説明は一切省いて用件だけを完結に言う。
言われた側の初音は何が何だか分からないまま、ただ大きな目を更に丸くして、運転席に座る隆之を見つめていた。