Love Song





第 1 節  Lentissimo



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 『ツアーの密着、初音ちゃんの上司もOKみたいだよ』

 少し高めの、楽しそうに笑う裕人の声が耳に残る。
三日前、突然初音のいる編集部に掛かってきた電話。【GAZEL】の裕人からだというだけでも部屋の中は沸き立ったのに、裕人
の用件が今度のツアーの密着の話だと分かると、さらにその興奮は大きくなった。
 今までも、もちろん【GAZEL】はツアーの様子を収めた本を出してきたが、それは全て所属事務所の関係する大手出版社が出
しており、初音の勤める中堅の出版社はどうしても手が出せなかったのだ。
 「やったじゃないか!!桜井!」
 「すごいじゃないっ、【GAZEL】のご指名よ!」
 「売れることが約束されてる本じゃないかよ!」
 隆之だけではなく、裕人からも電話があるということで、初音は自分でもよく事情が飲み込めないまま、完全に【GAZEL】と親し
いという認識になってしまった。
 皆、興奮したように言い、【GAZEL】と繋がりを持った初音を羨ましがったが、当の初音はあまりにも話が進み過ぎてどうしたらい
いのか今だ分からない。

 「明日、ヒロから初音の会社に電話をさせる」

 隆之は確かにそう言ったが、まさか本当に裕人が電話を掛けてくるとは思わなかった。
そもそも、隆之が急に言い出したツアーの随行を、【GAZEL】のメンバーであり、総合プロデューサーでもある裕人が簡単に許すと
は・・・・・かなり変わった言動をする裕人だが、仕事に関しては絶対に妥協しないという話を聞いていた初音は、許しなどもらえ
ないと思っていたのだ。
 もちろん、隆之がその場のノリでそんなことを言うということも考えられなかったが、叶わない夢としてそう言ってもらえただけでも嬉
しく思っていた。
それで、終わったはずだった。

 嫌なはずがない。
ずっと好きだった【GAZEL】のライブを裏側から見れるということは嬉しくてたまらないが、自分がそれを完璧に伝える事が出来るの
か・・・・・自信がなかった。
(大丈夫なのかな・・・・・俺)



 「・・・・・はあ〜」
 初音は溜め息をついた。
事務所の人間から裕人がいると言われた会議室に向かった初音。
もう、このドアの向こうには裕人がいるはずだ。いや、ひょっとして隆之も一緒かもしれないと思うと、何と話を切り出していいものか
と悩んでしまった。
(仕事をありがとうございますって言うのも変だし・・・・・)
 「・・・・・でも、ちゃんとお礼を言わないと・・・・・」
 「お礼って?」
 「うわっ」
いきなり真後ろで声がして、初音は文字通り飛び上がった。

 そこにいたのは裕人だった。
てっきり部屋の中にいると思った裕人がそこにいたので、初音は一瞬言葉につまり、次に深く頭を下げた。
 「あ、ありがとうございました!」
 「何のこと?」
 「え、あの、今回のツアーの同行を許していただいて・・・・・」
 「嘘」
 「え?」
 「本当は、どうして自分なんかにって思ってるんだろ?君は表情が豊かだから良く分かるよ」
 別に怒っているわけではないだろうが、後ろ向きの考えが嫌いなような裕人に自分の気持ちを知られてしまうのが怖くて、初音は
どうしようかと視線を彷徨わせてしまう。
 それでも・・・・・ここで逃げるわけにはいかなかった。
 「す、すごく、光栄に思っています」
自信がないのは本当だが、それと同じくらい嬉しいという気持ちも本当だ。
小さな声ながらはっきりとそう言った初音を見て、裕人はにっこりと笑いながらその背を押した。
 「そう思ってくれているのなら嬉しいけどね」



 部屋の中には最初誰もいなかったが、裕人が現れると自然にスタッフが集まってきた。
【GAZEL】はデビュー当時からほとんどスタッフを変えていないので、長い間ファンだった初音は彼らの顔をパンフレットなどで知って
いた。
 昔はその分野でも駆け出しの立場だった彼らも、今では【GAZEL】での経験を生かして一線で働いている。その彼らの仲間に
自分が入っていることが不思議でたまらなかった。
そして・・・・・。
(あ・・・・・)
 最後に、隆之と太一が現れた。
太一は部屋の中にいる初音を見ると、一瞬驚いたように目を見張って、次にパッと隆之を振り返り、こそこそと何か話している。
(たいちゃん、知らなかったんだ・・・・・)
心の中で何時もの呼び方をした初音は、再び自分に視線を向けてきた太一に慌てて頭を下げた。
 「これでみんな揃ったね」
 隆之と太一が椅子に座ると、裕人が口を開いた。
 「打ち合わせを始める前に、新しい仲間の紹介するよ。初音ちゃん」
 「は、はい!」
名前を呼ばれた初音が音をたてながら椅子から立ち上がると、全身に20人近くの視線が集まるのを感じる。足が震えてしまった
が、初音はとにかく頑張って立った。
 「この間のPVの時にも来ていたの、見た人間もいると思うけど、彼は桜井初音ちゃん。今回全ツアーを一緒に回ってライブ記録
を残してもらうから。詳しい連絡先は・・・・・名刺持ってきた?」
 「はいっ」
 「そんなに緊張しなくてもいいよ。詳しい連絡先はそれを見て。可愛いからって口説いたりしないでよ」



 「・・・・・」
(ヒロの奴・・・・・)
 その場の空気をというより、ガチガチに緊張している初音の緊張を和らげる為の軽口だろうが、あまりそういった意味のことを言っ
て欲しくなかった。
そうでなくても、業界人の中にはその手の趣味の人間は多い。物慣れない初音は格好の餌食になってしまいかねないだろう。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 一同が笑う中、隆之の視線を感じたのか、裕人が視線を向けてきた。
楽しそうに目を細める様は、これで自分の弱みを握ったと思っているせいかもしれないが、元々裕人に勝てるとは思っていないの
でそれ程気にならない。
 それよりも、自分が頼んだ通り、初音のツアー同行を許可してくれたことに感謝した。
 「じゃあ、時間も無いし、打ち合わせを始めようか」
 「何から?」
 「選曲は済んでるよ」
 「ツアースタッフの面接はこっちで任せてもらってもいいよな」
早速というように、スタッフが様々な問題を切り出してきた。
全てに総合プロデューサーである裕人の許可がいるということで、こういった機会がないと問題が前に進まないのだ。気持ちよく歌
が歌えれば他に要望はない隆之が椅子に座りなおしていると、隣の太一が声を落として聞いてきた。
 「で、条件って何なんだよ」
 「条件?」
 「あの子を今回のツアースタッフに潜り込ませたことへの条件。まさか、本当に親切でって思ってないよな?」
長く一緒にやってきた太一は、さすがに裕人の性格をよく掴んでいた。