Love Song
第 1 節 Lentissimo
18
不思議そうに言う隆之の言葉に、初音の方こそ何と答えていいのか分からなかった。
確かに、自分がもう少し経験を積んだ記者だったならばそれも堂々と言えるかもしれないが、まだほんの駆け出しにすぎないの自
分は・・・・・。
(・・・・・どうして、だろ)
初音は、隆之がどうしてそこまで自分を買ってくれるのか、そのことの方がよく分からなかった。初対面の時は、あれほど自分に
対して強い調子で言葉を投げかけてきたのに、なぜ今はこんなにも優しくしてくれるのだろう。
(それが分からないから、不安が大きいのかも・・・・・)
隆之の変化に自分が付いていけない。それが、自分の心の不安の、大きな要因なのかもしれない。
(俺が気にし過ぎなのかな)
「後で戻りますから」
初音のその言葉に、隆之はそれ以上そこにいることが出来なくて下に戻った。
「あ、タカ、みんな捜してるぞ」
「ああ」
「タカ、今ヒロが」
「分かってる」
こんなに時間が無い時に、たった十数分でも行方不明になる自分が悪いという事は分かっていたが、隆之はどうしてもあのまま初
音に声を掛けないでいることは出来なかった。
いや、今でも、出来れば傍にいたいのだが、自分の存在が初音にプレッシャーを与えているだろうということも分かっていたので、
必要以上に傍にいることは出来ない。
こうなると、本当に隆之は初対面で初音を問い詰めたあの時間をやり直したくてたまらなかった。
(あの時、初音があの手紙の主だって分かっていれば・・・・・)
あんなにも冷たい態度はとらなかったと思うが、今となっては・・・・・。
「タカ」
「・・・・・」
打ち合わせをする控室に入ろうとした隆之は、後ろから声を掛けられて振り向いた。
「どこ行ってた?」
自分以上に忙しくしているはずの裕人は、相変わらずの笑みを頬に浮かべている。多分、自分がどこにいたのかなど予想が付い
ているだろうに、そんな事を言ってくる裕人が憎らしかった。
「・・・・・ちょっと」
それでも、言い返せばそれ以上に問い詰められる事は分かっているので、隆之は言葉短かにそう答えると、さっさと部屋の中に
入っていった。
初音が、自分の居場所がないと戸惑っていることには気付いていた。
そして、そんな初音にどう声を掛けていいのか分からず、ただじっと視線で追いかけている隆之の眼差しも当然分かっている。
(あ〜、忙しいのがなあ)
しかし、さすがにもう間近に迫ったツアーの様々な雑事で忙しくしている裕人は、2人の関係にチャチャを入れる暇も無かった。
「・・・・・」
「あ、ヒロ、二幕の照明なんだけど」
「オープニングなんだけどさ、登場の仕方・・・・・」
「・・・・・1人ずつ言って」
別に、スタッフを信用していないわけではない。デビュー当時から一緒にやっている者達もいるし、そんな彼らは自分の考えも全
て分かってくれている。
任せても十分なのだが、何でも自分でしないと気がすまない性格は、たぶん一生治らないのだろう。そのせいで自由になる時間
が無くなり、人をからかう暇が無くなったとしても、だ。
(タカと初音ちゃんのことは、まあ、おいおい)
実際にツアーが始まれば、意外に時間が作れる。その時になってじっくりと考えようと、裕人は珍しく真面目に手元の計画書に
視線をおとした。
《【GAZEL】の熱い魂を感じ、私は涙が止まらなかった》
そんな一文で始まった初音の記事は、【GAZEL】のツアーが始まって一週間後に紙面を飾った。
いよいよ始まったツアーは、先ずは横浜アリーナの3夜連続から始まるのだが、2年ぶりとなるそのツアーはチケット発売30分で
全公演SOLD OUTになり、当日の会場の周りはダフ屋のチケットを求めて多くのファンがやってきていた。
「・・・・・信じられない」
バックステージパスを貰っている初音は、基本的にどこでも自由に見ることが出来る。
楽屋裏から、ステージそで、会場の中や、チケットを切っている入口まで。
一ファンだった頃、一度でいいから覗いてみたいと思った場所に自由に行けるということ自体が嬉しく、それでもライブ当日で忙
しく動き回るスタッフの邪魔にはなってはいけないとも思い、初音はこそこそと動き回っていた。
「後、10分・・・・・」
幕が下りている向こう側ではファンのざわめきが聞こえ、こちら側では既にバックバンドのメンバーがそれぞれの位置についている。
初音もそろそろ場所を移動しなければならないかと思っていたが・・・・・。
「初音」
「あ」
ステージ衣装に着替えた隆之がそこに立っていた。
何時もとは違い、ステージ用のメイクも施している彼をこんなに間近で見ることが出来るとは、今の今まで思ってもみなかった。
「が、頑張ってください」
(う・・・・・平凡・・・・・)
もっと気のきいた言葉を掛けたかったのに、普通の言葉しか言えない自分が恥ずかしくて初音は俯いてしまったが、その腕が不
意にぐっと強く引き寄せられる。
「え?」
「ちゃんと見てろ」
ごく間近で、何時もよりも強い口調で言う隆之の迫力に、初音は思わずコクコクと頷いた。
「見、見てます」
「今の俺達が、お前が手紙をくれた頃の俺達と同じかどうか・・・・・確かめてくれ」
「ひ、広・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・隆之、さん?」
「行ってくる」
「!」
その瞬間、面前に隆之の顔が迫ってきたかと思うと、吐息が唇に触れた。
(い・・・・・ま?)
「桜井さんっ、下がって!」
「あ、はい」
今、隆之が自分に何をしたのか、周りにはそれこそメンバーや十数人ものスタッフもいたというのに、皆それを問い詰めることもせ
ずに、直ぐに開幕の準備を始める。
初音はその流れに押されるようにステージ裏へと移動したが、1人きりになると思わず自分の唇を押さえて・・・・・どうしてと口の
中で呟いてしまった。
確かに、唇が触れた。頬ではなく、唇に、きちんとした意図を伴って、だ。
「・・・・・」
もう直ぐに幕が開くという時に、もしかしたら気が高ぶってしてしまった行動かもしれない。大体、隆之ほどの人が、わざわざ男にキ
スを仕掛けてくる意味などある方がおかしい。
ただ、やはり初音にとってはその行動は簡単に忘れることなど出来なくて・・・・・。
「・・・・・っ」
その時、耳をつんざくギターの音が鳴り響く。
「Come here!!」
隆之の声が響き、【GAZEL】のライブの幕が上がった。
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