Love Song





第 2 節  Modulation



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 「・・・・・」
 その日、初音の足取りはとてつもなく重かった。
(う・・・・・休みたい)
明日から【GAZEL】は関東近辺のライブなので、今日のリハもその会場で行われることになっているのだが、何時もは隆之の歌声
を聴きたくてウキウキとして向かうのに、今日ばかりはどうしてもそんな浮かれた気分になれない。
(時間を元に戻したいよ・・・・・)

 一昨日、隆之に誘われて食事に行った。
凄く緊張して、それでも凄く楽しくて。隆之は日頃無口なのだという認識も、その時ばかりは崩れて・・・・・。そんな、普段は見るこ
との出来ない隆之の姿を見ることが出来て、それで気持ちよく別れるつもりだったのが。
 なぜか、隆之を一人暮らしの自分の家に呼ぶことになってしまい、緊張し過ぎて何を話したのかもよく覚えていなくて、気がつい
たら翌朝、狭いシングルのベッドの上で、隆之に抱きしめられるように眠っていた。
 2人共服を着ていたのが救いだったが、初音は起きた瞬間にパニックになってしまい、しどろもどろでとにかく謝り続けて、早々に
タクシーを呼んで隆之には帰ってもらった。

 「・・・・・」
 初音は大きな溜め息をつく。記憶に無い時間、自分は隆之に何を言い、何をしたのか、とても知りたいのに知るのは怖くて、あ
れからずっとグルグルと回る思考は止まらなかった。
 「あ、初音ちゃん」
 「!」
 様子を見るように、そっと関係者通路を覗いていた初音は、不意に後ろから声を掛けられてビクッと肩を揺らしてしまう。
 「どうしたの?」
 「あ・・・・・山崎さん」
そこにいたのはギターの太一だった。
隆之でなく、裕人でも無かったことに安堵して、初音はぎこちないながらも笑みを浮かべておはようございますと挨拶をした。
 「おはよう、オフはゆっくりと休めた?」
 「あ、えっと・・・・・」
 「あー、初音ちゃんは会社員だったっけ、ごめん、仕事で忙しかったよね」
 「い、いえ、そんなに忙しいことって無いです。俺は今【GAZEL】の専属みたいな感じで、他の仕事はほとんどしていないし」
 大好きなバンドの密着という仕事を任せてもらい、楽しみの方が大きい初音は申し訳ないと思うくらいだったが、定期的に雑誌
に載り始めたライブの密着レポートは評判も上々のようで、会社に顔を出した時も、編集長にしっかりと頑張れと笑いながら肩を
叩かれたくらいだった。
 「そっか。このままうちの専属ライターになっちゃえばいいのに」
 「え?」
 「あのヒロだけじゃなく、タカも気に入っている人材なんて貴重だからさ。もちろん、俺も好きだよ」
 「あ、ありがとうございます」
 そう言ってもらえるのは素直に嬉しいものの、今の状況は単に裕人に遊ばれている状態でとても仕事の腕を見込んでそう言って
もらっているとは思えない。
 今の会社を辞める気はないものの、それでもそんな風に望まれるほどに頑張らなければと、初音は先ほどまで感じていた後ろめ
たさを払拭するように大きく深呼吸をしてから、太一の後ろに続いた。



 ずっと、視線は感じていた。
それでもこちらからは何も反応しないでいると、しばらく経ってたまりかねたように楽しそうな声が話しかけてきた。
 「機嫌が良さそうだね」
 「・・・・・そう?」
 「うん。雰囲気が柔らかい。ツアーの中日って、緊張が途切れてしまわないようにわざと神経を集中させているようなとこがあった
だろう?でも、今回は違うように見えるから」
 「・・・・・」
(鋭いな、相変わらず)
 隆之は常日頃の自身の様子をつらつらと説明してくる裕人の言葉に苦笑を漏らした。
確かに、ツアー中の休みは緊張感を解すのに大切な時間であるが、その一方でグズグズに馴れ合ってしまわないようにと気もつけ
ていた。それを、裕人はしっかりと気がついていたらしい。
 「休み、何してた?」
 「ん〜・・・・・特に」
 何も無かったというよりも曖昧な表現。その表現に、敏い裕人は何かを感じたらしい。
 「特に?どこにも行かなかったわけ?」
 「なんだよ、そんなに俺の行動が気になる?」
プライベートには基本的には無関心であるものの、それが自分達のバンド活動に関係あることだったら深いところまで追求してくる
裕人。
今回の自分の様子は、どうやらその後者に当てはまるらしい。
(マイナスじゃなかったらいいと思うんだけどな)
 「タカの行動っていうか・・・・・その原因がっていうか」
 「原因、ね」
 初音と2人きりで食事をしたことは別に話しても構わない。
ただ、その後の自分達の行動は・・・・・別に疚しいことがあるわけではないが、少しだけ秘密にしていたいと思った。
 何より、あのことが裕人に知られたと初音が気づいてしまったら、今後プライベートで会うことを拒否されてしまいかねない。せっ
かくここまで近付いたのだ、もう少し深くお互いを知るまでは、隆之は簡単に口を割るつもりは無かった。



(・・・・・隠してる)
 「面白い原因なんて無いって」
 隆之は誤魔化しているつもりだろうが、そんな風にしようとしていること自体、普段の彼からは想像出来ないことだった。
あれだけモテる外見をしていながら、隆之は思いの他真面目で、ウブだ。
以前付き合っていた女のことも知っているが、浮気もしていない隆之の人気が徐々に大きくなることに勝手に不安になり、会えな
い時間が有り過ぎて怖かったのだと、女の方が浮気をしてお終いになった。
 多分、隆之はそれ程その恋人のことを好きではなかったのだと思う。もちろん、大事にはしていたと思うが、別れた後も隆之の歌
声に変化は無かった。
失恋をしたら、声に艶が出るはず・・・・・密かにそれを期待していた裕人はガッカリしたものだ。
 それが、最近隆之の声に色気が出てきた。
切ないような、何かを求めている飢餓感のような・・・・・そんな変化をもたらしたのは初音だと、多分本人もどこかで分かっているは
ずだ。
 男とか、女とかは関係なく、隆之に変化をもたらしてくれる初音。良い方に変わるのならば、ドンドンと接近して欲しい。
 「タカは口が堅い」
 「だから」
 「分かったって、何も無かったんだろ?」
(あっても、僕に話すつもりは無いってこと)
 「まあ、いいや。悪くないし」
 「え?」
 「ふふ」
もう直ぐ、初音もここにやってくるだろう。無口でポーカーフェイスの隆之とは違い、とても分かりやすい初音をからかって遊んでやろ
うか。
(庇ったら、それこそ突っ込めるし)

 トントン

その時、ドアがノックされた。
 「は〜い、どうぞ」
(来たかな)
裕人は頬に笑みを浮かべたまま振り向いた。



 「そこで初音ちゃん拾った」
 直ぐにスタッフのもとに行こうとした初音だったが、太一が強引にメンバーの楽屋に連れて行った。
まさかその腕を振りほどくわけにも行かなくて渋々同行した初音だが、太一がドアを開けた途端に見えてしまった隆之の姿に、唐
突にあの日の朝のことがフラッシュバックしてしまった。

 「え・・・・・タ、タカ?」
 「おはよう、眠れた?」
 「・・・・・ええぇぇぇーっ?」

 寝起きの隆之の色気は壮絶で、少し掠れた声は鼻血が出そうなほどに魅惑的で・・・・・それが、否が応でも今目の前にいる
隆之に重なってしまい、初音は瞬時に真っ赤になる。
 「あれ?」
 そして、そんな初音の変化を裕人は見逃さなかった。
 「あれ?初音ちゃん、真っ赤だよ」
 「え?」
初音はパッと目を瞬かせた。
 「顔」
 「か、顔、ですか?え?ど、どうしてだろ?」
(ふ、普通に、普通にしないとっ)
裕人に指摘された初音は思わず顔に手をやろうとしたが、それを辛うじて押さえるとはははと空笑いをしながらそんなこと無いです
よと、どもりながら答える。
 「あっ、こ、この中、暑いからっ、きっと、そうですよ!」
と、強引に納得(?)させると、改めておはようございますと頭を下げた。