Love Song





第 2 節  Modulation



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 落ち込んだような表情は学生の頃と少しも変わらない。
都筑は変なことを言って初音に嫌な思いをさせてしまったことを後悔した。
(言いかけてやめるなんて、一番卑怯だよな)
 自分の言葉に関心を持って欲しい。どうしたのだと心配して欲しい。
そんな感情が入り混じってしまい、初音の性格を良く知るはずの自分が彼にこんな表情をさせているのだ。
 「ただちょっと、疲れただけ」
 「あ・・・・・」
 思ったとおり、初音は心配げに顔を覗き込んできてくれた。サポートメンバーという、正規のバンドメンバーとは立場の違う自分。
それも、今日本で一番勢いがあるバンドに、緊急で助っ人に入ったのだ。そのプレッシャーや不安は相当なものだろうと、初音は
先回りをして考えてくれたのだ。
 「大丈夫ですか?」
 「うん」
 「・・・・・」
 「本当だって。初音の顔を見たら治った」
 「なんですか、それ」
 冗談だと思ったのか、初音の表情が緩む。その顔を見た都筑は、ポンと頭を叩いて立ち上がった。
 「練習に行くよ」
 「都筑先輩」
 「せっかく凄い人たちと一緒にいるんだからな。盗めるものは盗んでやるよ」
軽く手を振って、都筑は歩き始めた。しかし、初音に背中を向けた瞬間、頬が引き攣るような感覚に襲われる。
(ったく、情けないな)
 さっき、隆之がアコースティックギターを弾いている部屋の前を通り掛った。
【GAZEL】のツアーでは内容を変更することは珍しくないらしく、今回は初音の提案から3人でのギターとアカペラの曲を三曲演
奏すると聴いた。
 隆之はどんなふうに弾くのだろうか。
それはちょっとした興味のはずだったのに、都筑はその音を聞いて行くうちに打ちのめされたような気がしたのだ。
(俺が・・・・・泣くなんて)
技術は、多分自分の方が上のはずだ。
声やその歌い方は、相手がボーカルなだけに負けるかもしれないが、ギターに関しては負けることは全く考えていなかった。
 ・・・・・それなのに、泣いてしまった。
あまりにも聞こえてきたギターの音が優しくて、隆之の声が切なくて。
 そして、これが初音の好きになった広瀬隆之の世界なのだと見せ付けられるような気がして、都筑は何だか今までの自分を形
成していたものがバラバラに壊れてしまうほどの衝撃を受けてしまったのだ。
 「・・・・・勝てない」
(今の広瀬隆之には、勝てない)
 こんなふうに考えていては、勝負する前から負けてしまう。
都筑は何とか意識を切り変えようと思ったが、それは簡単なものではないような気がしていた。



 都筑のことが心配でも、自分は何も出来ない。
下手に慰めの言葉を言ったとしても、プロである都筑の気持ちを逆に波立たせる可能性だってあるかもしれないと、初音は都筑
を引き止めることはしなかった。
それでも、何かしたいという気持ちはある。
(後で・・・・・飲み物でも差し入れに行ってみよう)
話をするだけでも違うのではないかと思いながら廊下を歩いていた初音は、ふと聞こえてきた声にパッと顔を上げた。
 「で、タカは間に合いそうなのか?」
 「素人じゃないから、取り掛かりは早いけど」
 「・・・・・」
(タカの・・・・・?)
 聞こえてきたのはスタッフらしき声だ。
それは向かいの簡易キッチンから聞こえてくる。
 「ああ見えて3人とも完璧主義だからさ、多分ライブ当日まで徹夜続きなんじゃない?」
 「身体が持つといいけど」
 「来年のアルバム作りも同時進行だからなあ。まったく、良い案が出たのかどうか分かんないって」
 そこまで聞いた初音はそっと踵を返した。これ以上聞く勇気が無かった。
(無理させてる・・・・・)
ツアー後半が始まるまで後数日。その間あの3人はきっとファンに喜んでもらうように完璧な演奏をしようとするだろう。
今まで付き合ってきた中でも、曲を作り、人に見せるということに真摯な3人だということは分かっていた。自分が簡単に考えた提
案が何だか大きなことになってきているのを感じ、初音は何だか怖くなってしまう。
 「・・・・・徹夜って、するのかな」
 まさか数日間ぶっ続けでは無理だろうが、それに近い生活サイクルになってしまいそうだ。
 「・・・・・」
(俺に出来ることって・・・・・ある?)
ただ見ているだけなんてとても出来ない。
 「出来ること・・・・・出来ることか」



 初音はカメラを持ってステージの前に立っていた。
今は当然観客はいないが、ここに立っているだけで歓声が聞こえてくるような気がした。
 「・・・・・っと、何してるんだ、俺っ」
 今は感傷に浸っている場合ではなく、目的を果たすために動かなければならない。初音はキョロキョロと辺りを見回し、少し離れ
た場所で作業をしているカメラマンの姿を見付けて駆け寄った。
 「臼井さん!」
 「ああ、初音ちゃん」
 彼は記録フィルムを取るカメラマンだ。
他にもスチールカメラマン、DVD制作のカメラマンと、その名がつくものだけでもは10人いる。
 「どうした?雑誌用か?それとも個人用?」
 臼井はその中でもチーフカメラマンの位置にいて、カメラ撮影に慣れていない初音に色々と教えてくれている相手だった。
 「あの、もう次のライブの撮影ポイントって決めてあるんですか?」
 「ああ」
 「3人の生演奏の時も?」
 「さっきヒロと打ち合わせしてね。それがどうかしたか?」
 「・・・・・お、お願いがあるんですけど!」
どうしようかと迷ったのは一瞬だけだった。
初音は深く頭を下げると、困惑したような表情の臼井に向かって続けて言う。
 「1日でいいんです、生演奏の時のベストポジションを俺に譲って貰えませんかっ?」
 「え?」
 「お願いします!」
 自分などが撮る写真と、カメラマンと呼ばれるプロが撮る写真。どちらが【GAZEL】の魅力を最大限引き出すかなんて分かって
いた。
それでも、初音はあの歌の良さを一番伝えることが出来るのは自分ではないかと考えた。
 自分が胸を打たれた歌詞、涙した歌詞。それは万人共通のものではないだろうが、絶対に納得してもらえる瞬間を写せるので
はないかと思う。
 何より、あの歌の良さを皆に伝えたいという思いは大きくて、頑張ってくれる3人を後押しをしたくて、こんな風に無謀なことを頼
み込んだ。



 「あ、ヒロッ」
 休憩をしようとレッスン場を出た裕人は後ろから呼び掛けられて足を止めた。
そこにいたのはカメラマンの臼井だ。彼との打ち合わせはもう済んだはずだが、どこか変更点があるのかと首を傾げて彼が近付く
のを待った。
 「生演奏の時だけど」
 「ああ、急に変更してごめんね」
 【GAZEL】のライブはオープニングからアンコールまで緻密な計算で出来ている。そんな中での急な変更は演奏している者以上
に周りのスタッフが大変なのだが、今回も裕人は半ば強引に押し切った。
 一応は悪いなと思うので謝罪するものの、スタッフも裕人が完璧を目指すというのは知っているので嫌な顔をする者はいない。
先程の打ち合わせの時も、臼井は苦笑しながら裕人の指示に頷いていたはずだが・・・・・。
 「後半初日だけ、カメラマンが代わるからな」
 「初日だけ?」
 「撮影ポイントも任せることにした。3人の邪魔はしないようにと言ってあるから大丈夫だと思うが・・・・・」
 そこまで聞いた裕人は、ある可能性を思い付いた。そして臼井の顔をじっと見つめ、フッと頬を緩める。
 「よく許したねえ、素人相手に」
 「素人じゃないだろ」
 「え?」
 「【GAZEL】に関してはプロだ」
 「・・・・・ふふ、なるほど」
(【GAZEL】のプロという言い回しはピッタリかも)
もう少しいえば、【GAZEL】というよりも隆之のプロだろうが、あの熱い眼差しで撮られた自分達の姿を、今ではライブでも歌わな
いあの曲を演奏する自分達がどんな顔をしているのかを見るのはなんだかゾクゾクとする。
 「事後報告になったけど、いいか?」
 「OK」
 例えどんなイレギュラーなことがあったとしても、それが良い方向に進むためのものならば何の問題も無かった。
裕人はそう言って臼井と別れて外に行こうとしたが、その足取りが自然に弾んでいるのが自分でも分かる。
 「どんな感じだろうな」
 初音と知り合ってから、どんどん今までになかった【GAZEL】が見えてくる。特に顕著な隆之がさらに変化してくれるのを期待しな
がら、裕人は数日後に迫るツアー後半に思いをはせていた。