Love Song
第 2 節 Modulation
17
初めてファンの前で演奏をした時、隆之もギターを持っていた。
バンドという形態で、本当ならば楽器の音だけでの組み合わせを望んでいたが、
「歌いなよ、タカ。タカの声も、立派な楽器だよ」
そう言った裕人の声に後押しをされて、人前で歌うようになった。
それからは、自らがかき鳴らす楽器よりも言葉で表現する方がより気持ちがこもることを知り、さらに歌声を磨くようになり、何時し
か楽器を手に取ることも無くなった。
『恋が降る日』は、完全に歌へと気持ちが傾く前の曲だ。
自分でも気に入って、何度も何度も練習を重ねたそれを、何年もたって再びファンの前で歌うなど考えてもいなかった。
「タカッ」
裕人のソロの間バックステージに戻った隆之は、差し出された水を何口か飲んだ。
「声、どう?」
「いいよ、出てる!」
「今までで最高!」
ツアーの後半戦がスタートしたばかりなので自分の調子がどこまで維持されているかと心配だったが、スタッフは皆そう声をかけ
てくれるし、音楽に対しては厳しい意見を言う裕人も歌の合間に寄越した視線が満足そうだった。
(良かった・・・・・)
今日という日は、ある意味隆之にとっては特別な日で、最高のコンディションでいたい。
「タカッ、出番だ!」
持っていたペットボトルを置き、軽く汗を拭った隆之は頷いた。まだまだ、ステージは長い。
裕人は目まぐるしくキーボードの上で指を動かしながら、今日のファンの反応を肌で感じ取っていた。
(やっぱり、リフレッシュは必要だな)
長いツアーをする場合、たいていはある程度曲順は決まっているものだ。アンコールなどはその会場会場で変わる場合もあるが、
今のバンドはいくら気分が高揚したとしても枠というものは崩さない。
だからこそ、裕人はツアーの前半と後半でまったく別の構成にする。
その方が何度も訪れてくれるファンも楽しめるし、演奏する自分たちも気分が新鮮になって楽しいのだ。
特に今回は、初音の提案で珍しい試みをする。
三人が揃ったギターの演奏。昔のあの曲を、今の自分はどんなふうに表現出来るだろうか。
そして・・・・・。
「・・・・・」
大きな歓声に迎えられ、下がっていた隆之が登場した。
(タカ、楽しませてよ)
あの曲を、今の隆之がどう表現するか、裕人は楽しみで仕方がなかった。
「タカーッ!!」
「ヒロ〜ッ、こっち向いて〜!」
「たいっちゃん!かわい〜!!」
歓声が凄い。
耳を塞ぎたくなるようなほどの大きさは、ファンたちの想いの大きさそのものだろう。
(本当に、毎回凄いな、【GAZEL】のライブ)
まだ学生の頃は、チケットを取るのも一苦労だった。ファンクラブの中でも凄い倍率で、当選しないライブも多々あった。
そういう時はDVDになる時を心待ちにして、画面を食い入るように見つめたものだ。
そんな時を考えれば、今の自分はとても幸せだと思う。仕事とはいえ【GAZEL】のツアーに同行できるし、間近で彼らの演奏を
聞ける。
その上、バックステージを覗いたり、リハーサルも見れたり、昔の自分に落ち込まなくていいよと言ってあげたいくらいだ。
「ねえねえ、今回もいい曲ばっかりだよねっ」
初音の後ろで、少女たちが話しているのが聞こえる。
「いっつも、昔の曲もしてくれるもんねっ。ニューアルバムの曲もいいけどさ、昔の曲だっていいのばっかだもん!」
「・・・・・」
(うん、分かる分かる)
新旧織り交ぜて選曲をしてくれる【GAZEL】はファンに優しい。そして今日、昔からのファンはもっと嬉しい光景を見ることが出来
るはずだ。
「おいっ」
後ろの声に意識を向けていた初音は、少し痛い力で頭をこつんと叩かれた。
「集中」
「あ、はいっ」
臼井に注意され、初音は急いでファインダーを覗く。
ステージでは裕人と太一のMCが始まっていた。あまり話すことのない隆之の代わりにMCを進んでする裕人は話上手だし、太
一は笑えるボケを返して、今会場の中は笑いに包まれている。
(でも、タカだって時々加わってるし)
あくまでもごくたまに隆之も話に加わるのだが、そんな時の三人のコンビネーションは抜群だ。
「腕は疲れてないか?」
「だ、大丈夫ですっ」
「肝心な時に攣ったら大変だからな、集中していても時々手を休ませることも必要」
「はいっ」
『恋が降る日』までもう少し。
初音は大きく深呼吸をした。
間近で見る【GAZEL】のステージはやはり凄い。
いや、凄いというより背中が痺れるような感覚に襲われ、時々指が違うコードを弾きそうになった。初めてちゃんとしたステージに
立った時も緊張したが、さすがに今回は規模が違い過ぎて比べることも出来ない。
「・・・・・」
都筑は溜め息をついた。
だが、それは諦めの溜め息ではなく、あまりにも大きい存在に対する敬意を含んだものだと言いたい。
(本当に、デカイ差だ)
目の前で演奏している彼らに自分が追いつく姿は今は想像出来ないが、絶対に無理だとは思いだくない。トップを走っている
【GAZEL】を追い抜く気でいないと、バンドを結成した意味など無いのだ。
「・・・・・」
その時、不意にポンと肩を叩かれる。
3人のMCに気を取られていた都筑は、別のサポートメンバーを振り返った。
「サイコー」
にっこり笑って声を掛けられ、都筑はありがとうと笑みを返す。
「やっぱりすごいよ、【GAZEL】は」
「ああ。でも、今は俺たちだって【GAZEL】だ」
「・・・・・俺たちも?」
思わず聞き返すと、彼はニヤッと笑った。
「俺たちがいなきゃ、あいつらの音は成立しない。そう思ってりゃ、委縮することも無いし、自分の力を見せ付けられるほどに力を
出せるぜ」
「・・・・・そうか」
「まあ、俺だって初めからそう思えたわけじゃないけど」
さすがに、最初に指名された時はビビったと言う。
「ヒロがさ、何時も言うんだ。ここにいるメンバースタッフすべて合わせて【GAZEL】だってさ。あんな顔してるけど、意外に体育会
系なんだぞ」
こそこそと話をしていると、まるでタイミングを合わせたかのように振り向いた裕人が笑った。
「あいつ、後ろに目があるんじゃないか?」
そうぼやいた言葉に、都筑も同意して吹き出してしまった。
ステージは順調に進んで行った。
初めは歌うことに神経を集中していた隆之も、ある歌を歌い終わって意識が切り替わる。
(この後だ)
ステージ上の照明が落ちると、客席がいっせいにざわめいた。まだ終わる時間ではないと分かっているのか、どうしたんだろうと
いう疑問の声が聞こえてくる。
「早くっ」
急いでステージを下りた隆之たちは衣装を着替えた。
何時もは黒を基調にしたものが多いのだが、次はシンプルなシャツとジーパン姿だ。
「いよいよだね」
隣に立つ裕人が言った。
「ああ」
「初音ちゃん、どう思うかな」
「・・・・・がっかりさせないようにしないと」
今更自信がないとは言わないし、短い時間だったが出来る限り練習もした。しかし、自然に硬くなってしまう声に、太一が励ます
ように声をかけてくれる。
「大丈夫だって、タカの演奏は完璧だったよっ」
「・・・・・うん」
それに、これは自分1人だけの曲ではない。【GAZEL】の3人がいて初めて完成するものだ。初音に自分の歌声を聞いてもらい
たいという気持ちと同時に、3人での音のハーモニーも感じて欲しい。
(今の俺たちをちゃんと見ていてくれ・・・・・)
「3人とも、スタンバイ!」
「よし、行こう」
スタッフの声にお互い肩を叩き合いながら、隆之たちは再びステージへと向かった。
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