Love Song





第 2 節  Modulation










 控室の前に立った時、初音は緊張して動きを止めた。
今回のツアー中、もう何度も楽屋にも入らせてもらったし、リハの光景も見させてもらったが、入るその瞬間は何時でもとても緊張
するものだ。

 トントン

 それでも、何時までもその場に立っていても仕方が無いので、初音は小さくドアをノックする。すると、しばらくたってどうぞと中か
ら声が掛った。
 「失礼します」
 声をかけてドアを開くと、中には隆之が1人でいる。
濡れてしまったステージ衣装からは直ぐに着替えないと風邪をひくからと、隆之はステージから降りると直ぐシャワーを浴びること
が習慣になっているらしい。
 ただ、そうしてもライブの高揚感が直ぐに静まることは無く、彼はよくこうやって1人で長い間控室に閉じこもっていた。
(何を、考えてるんだろ・・・・・)
何回も見る光景。しかし、初音には隆之が何を考えているのか分からない。
自分に出来ることは彼の気持ちを波立たせないように、黙って部屋の隅にいることだけだった。



 身体が火照る。
ライブの後は何時もこんな感じで、隆之はなかなかこの空気を元に戻すことが出来なかった。
 裕人などは、ライブとその他と、きちんと自分の気持ちを切り替えることが出来るようだが、隆之はそれほど器用なことが出来な
かった。
 「・・・・・」
 はあと、深い溜め息をついて、ようやく隆之が閉じていた目を開いた時、視線の中に真っ先に入ってきたのは、自分をじっと見つ
める初音の顔だ。ここの所毎回そうで、隆之はゆったりとした笑みを頬に浮かべてごめんと言った。
 「直ぐに取り戻せなくて」
 「いいえ、俺が勝手にお邪魔しているだけで・・・・・」
 「初音はいいんだよ」
 こういう時、彼はいい意味で空気のような存在だ。
普段は自分の感情を面白いほどにかき回してくるくせに、1人でいたい時はただ黙って傍にいてくれる。
今まのライブでは、自分はいったいどんなふうにこの時間を過ごしていたのか、隆之はもう思いだせないでいた。それほどに、初音
の存在はとても大きいし・・・・・大切なのだ。

 「どうだった?」
 しばらく初音の顔を見つめていた隆之はそう訊ねる。初音は直ぐに顔を綻ばせてくれた。
 「気持ちよかったです」
 「・・・・・本当に?」
初音が自分に対して嘘や世辞を言うはずが無いと分かっていたが、どうしても一応そう聞き返すと、彼は目を閉じ、先程までの余
韻を感じるように呟く。
 「はい。まるで、音に揺らされて、声に抱かれたみたいに」
 「・・・・・」
(相変わらず、面白い言い回しをする)
音楽雑誌にはよく横文字やスタイリッシュな例えが踊っているが、こんな風に情緒的な例えをされるのはくすぐったいが心地良い。
本当に自分の音を大切に感じてくれているのだと、隆之は目を細めて笑った。



 ようやく現実の時間に戻ってきたらしい隆之に対し、初音はロビーで聞いたファン達の言葉を伝えた。
意識していない生のファンの声を隆之は聞きたがっていたし、初音もライブを見てくれた者達がどんなに【GAZEL】の音や世界を
好きなのか、一つでも多くの声を伝えたかった。
 「・・・・・そっか、都筑の音も受け入れてくれたのか」
 「はい」
 「・・・・・でも、彼は違うんだよなあ」
 「え?」
 「必ず自分のバンドに戻る。あの音は、俺達のものじゃないんだ」
 「あ・・・・・」
(そっか・・・・・)
 都筑の参加はあくまでも代理で、彼は多分長くいたとしてもこのツアーの最終日までで、次からはまた何時ものサポートメンバー
に戻るだろうし、都筑もここで学んだことを持ち帰って自分のバンドに生かすだろう。
 以前のサポートメンバーが悪いというわけではないだろうが、今回都筑がもたらした新しい風は、意外に隆之の中では強い嵐に
なっているようだった。
 「・・・・・でも、いいこともあった」
 「いい、こと?」
 「俺達の音は、もっと変われるということだよ」
 まだまだ進化出来ることが分かっただけでも、今回のハプニングはいいものになったと隆之は笑う。
初音もそれに合わせて笑おうと唇を動かしたが、彼らのゴールの無い高みを垣間見たような気がして、大変だなと思う気持ちの方
が大きかった。



 「お疲れ〜!」
 「ご苦労さん!」
 「飲み過ぎるなよ〜!」
 その夜は泊っているホテルのバーを借り切って、都筑の歓迎会と今日のライブの成功を祝った。
もちろんまだまだツアーは続くが、突然のハプニングを乗り越え、さらに今まで以上の成果を出したことへの自信をさらに高めてもら
うためにも、息抜きの時間は必要・・・・・ということだ。
 「都筑」
 「あ」
 裕人は、まだ戸惑って店の入り口付近に立っている都筑の腕を引っ張った。
 「俺は」
 「君が今日の主役じゃない。壁の花になるのは美人だけの特権だよ」
たとえ期限が短い間だとしても、都筑はもう大切な仲間だ。出来るだけ気持ちよく過ごしてもらうためにも、そしてこちら側も都筑の
ことを知るためにも、酒を酌み交わす時間というのは大切だった。
(それに、多少は面白いこともないと)
 じつは、裕人にとってはこれこそ本命の目的だったりする。
 「ねえ」
 「はい?」
裕人は声を潜め、そのものズバリ聞いた。
 「君と初音ちゃんって、特別な関係?」
 「は?・・・・・えっと、どういう意味でしょうか?」
 「言葉そのままだよ。ただの先輩後輩って間柄にしては、なんだかとっても仲がいいなあって思ってね」
 もちろん、男同士でも気の合う者は年齢構わずつるんで遊んだりすることは分かるが、なにせ初音の外見と性格があんな感じ
だ。ただの男同士の付き合いというだけでは何だか足りないような気がしていた。



 「君と初音ちゃんって、特別な関係?」
 「言葉そのままだよ。ただの先輩後輩って間柄にしては、なんだかとっても仲がいいなあって思ってね」

 裕人の言葉を聞き、都筑は探るような眼差しを向けた。
(どういう、意味だろ?)
裕人の口調は何時もと変わらず、からかうような、楽しそうなものだった。もちろんその眼差しも、リハやライブ本番で見せるような
真剣なものとは違う、リラックスしたものだと思う。
それでも、都筑が気軽に答えられなかったのは、なぜ今、こんな質問をするのか、その意味が分からなかったからだ。
 以前、飲み屋で裕人と会った時、偶然隆之と初音にも会った。
人好きする裕人とは違い、隆之は人見知りで付き合いが悪いという話は聞いたことがあり、自分に対する態度はその噂そのもの
だったが、初音に対してはどこか違っていた。
 その意味を深く考えていいものかどうか分からなかったが、なんだかその疑問の答えが、今の裕人の質問の意味のような気が
する。
(もしかして・・・・・)
 「それって、恋愛とかも込み、ですか?」
 「この業界にいれば、ゲイが珍しくないことは分かるよね?」
・・・・・分かる。ただ皆、おおっぴらには口にしないが。
 「・・・・・知りたいんですか?」
 「知りたいなあ。人の秘密って楽しいじゃない」
 「・・・・・」
(あなたにだけは知られたくないって感じなんだけど)
 自分にとっての初音の存在の意味。それを他の人間に改めて言葉にして伝えるというのも恥ずかしい気がするが、ここまで手の
内を見せられて黙って許されないだろうということは・・・・・さすがに都筑も想像出来た。