Love Song





第 2 節  Modulation










 「今度、飲みに行こう」
 「え?」
 「前はヒロに邪魔をされただろう?今度こそ2人で行こう。・・・・・そうだな、来週東京に戻るからその時」

 隆之にそう言われた時、それがたとえ社交辞令だとしても初音は嬉しかった。
ただ、今はツアー中で、途中休暇があったとしてもメンバーはそれぞれ忙しく、自分などに構う時間はないと思っていた・・・・・の、
だが。
 「こ、これでいいかな」
 初音は自分の身体を見下ろした。ジーパンに、シャツに、肩掛けの鞄。一見大学生のような普通の格好で、とても社会人だと
は思われないだろう。それでも、中性的な服ではないので、女の子と見間違われる心配はないはずだ。
(まさか、本当に連絡をしてくるなんて・・・・・)
 「友達の悪戯かと思ったよ・・・・・」
 初音の【GAZEL】好きは友人達の間でも有名で、時々声真似をして(よく聞けば違うと直ぐに分かるのだが)悪戯電話をしてく
る者もいた。だから、その電話もてっきり何時ものそれだと思い・・・・・。

 「初音、約束通り出掛けようか」
 「え?」
 「飲みに行くって言っただろう?」
 「・・・・・もうっ、何時もその手に乗ると思うなよなっ」
 「え?何時もって・・・・・」
 「・・・・・え?」

 その後、電話の相手が本物の隆之だと分かり、初音は自分が何を言ったのかももう覚えていない。ただ、謝って、隆之は笑っ
て許してくれて。
ただ、その条件に、一緒に飲みに行く約束をさせられた。

 そして、翌日である今日、午後5時半。初音は待ち合わせである赤坂の駅前にやってきた。
隆之ほどの有名人がこんな所に来て大丈夫かと、初音は店で待ち合わせをしようと言ったのだが、隆之は笑いながら大丈夫と
言ってきた。
 電話越しでも低く響く甘い声にそれ以上意見することなど出来なくて、初音はつい頷いていたが、何時でも隆之を連れて逃げ
出せるように逃走経路だけはちゃんと確保していようと、近くに停まってあるタクシーを見ながら、何度も腕時計に視線を落として
いた。



 約束の時間よりも30分ほど早かったので、当然のごとく隆之はまだ来ていない。
平日ということと、まだ少し時間が早いこと。そして場所柄のせいか、学生の姿はそれほど多くないように思えた。
 「・・・・・」
(どこから来るんだろ・・・・・きっと、タクシーだとは思うけど・・・・・)
 「・・・・・」
(まさか、バスや電車ってわけはないだろうし)
 隆之がツアー中絶対に車を運転しないことを知っている初音は、駅と道路を交互に見ながら落ち着かない気持ちを誤魔化す
ようにしていたが・・・・・。
 「初音」
 「!」
 突然肩を叩かれ、初音は慌てて後ろを振り向いた。
 「・・・・・た、隆之、さん?」
 「学生みたいな格好だけど・・・・・可愛いな」
その声は聞き慣れた、それでいて何時でもドキドキさせてくれる大好きな人の声。
 「・・・・・」
 「ん?どうした?」
 「ど、どうしたって、その格好・・・・・っ」
(変装、全然してない!)
帽子を被り、サングラスを掛けて・・・・・そこまではいいが、後は全く何時もと変わらない雰囲気の隆之に、初音は何時周りに隆
之の正体がばれてしまうかと怖かった。
いや、現に何人かの若い女が、こちらを見てひそひそ何かを話している。
 「た、隆之さんっ、早くっ」
 「大丈夫」
 「大丈夫って、だって!」
 「堂々としていれば、返って目立たないものだよ」
 どんな根拠でそう言っているのか、隆之はそう言った後まるで初音をエスコートするように腰を抱き、そのまま車には乗らずに街
を歩き始めた。



 素顔で街を歩くことは何度かある。
そもそも、隆之はインドアな方で、何か目的が無いと仕事以外でわざわざ自宅マンションから出ることは無いのだが、それでも帽
子とサングラス程度の変装で十分だった。
 周りも、【GAZEL】の広瀬隆之と疑うが、あまりにも堂々としていたのでよく似た一般人という疑いも消えなかったらしく、結果、
数人から本人かどうか確かめられたくらいだった。
もちろん、答えは、

 「よく似てると言われてる」

だ。にっこりと笑って言えば、相手は収まってくれる。
 「た、隆之さんっ」
 大体、初音と会うのにどうして顔を隠さなければならないのだろう。
悪いことをしているのではないし、何より自分達は男同士で、見られても困ることは無い。
(こんな時くらい、それを利用させてもらわないとな)
 「初音」
 「あ、あのっ」
 「大人しくしないと、かえって目立つんじゃないか?」
 「!」
 途端に大人しくなった初音の様子に思わず笑みを誘われ、隆之はようやくゆっくりとその姿を見ることが出来た。
ジーパンにシャツ、肩掛けの鞄。その姿は、見ようによっては高校生のように幼くて、とても音楽雑誌の記者だと思う者はいない
だろう。
 外見だけではなく、その表情もそう思わせるのかもしれない。一々目を大きくして、焦ったように辺りを見回して。
人によっては落ち着きなく見えるかもしれないが、隆之には好ましく思える。
相手が初音だから・・・・・そう思う。
 「来てくれて良かった」
 急な約束だったので、もしかしたら直前で断られる可能性も考えた。
自分は取材される側で、初音は取材する側で。その力関係から考えれば、初音が自分の誘いを断ることは出来ないだろうが、
義務だけで来てくれたのではないと思いたい。
 自分の言葉に、周りを気にしていた初音は視線を向けてきて、当たり前ですと言った。
 「大好きな人に誘われて、断ることなんかしませんよ」
大好きな人・・・・・その意味を初音はちゃんと考えているのだろうかと、隆之は苦笑を零した。



 周りの視線は感じるものの、隆之本人が気にしないというのならば初音もそうするしかない。
ただ、何時でも彼を庇えるようにと思っていると、来てくれて良かったという隆之の言葉が耳に入ってきた。
そんな風に思ってくれているなんて思いもよらなかった。
 「大好きな人に誘われて、断ることなんかしませんよ」
(そんな勿体ないこと、絶対に出来ない)
 誘われたこと自体はとても光栄で、きっと緊張するだろうが絶対に思い出に残るものになると思う。
ただ、今の自分はファンではあるが、一方では彼を支えるスタッフの端っこに名前を連ねている。嬉しいとばかりは言っていられな
いというのが現実だった。
(休みは明日までだし、今日は早めに送って行こう)
 自分が酔い潰れないようにしなければと心に誓う。
 「あの、お店なんですけど・・・・・」
あまり高級な店は知らなくて、編集長に泣きついて教えてもらった店が何件かある。接待ではないので経費で落とすつもりはなく、
ちゃんと軍資金は財布の中に入れていた。
 「ああ、もう予約してる」
 「隆之さんが?」
 「個室で、静かな所だよ。一応、創作和食だけど・・・・・いい?」
 「は、はい」
(どんな店だろ?)
 隆之がわざわざ予約を取ってくれた店。こう見えて好き嫌いも激しいらしい隆之の口に合う店なので、きっと美味しい所だと想
像出来る。金額のことを考えると少し怖いが、最悪カードを使えば何とかなるだろう。
 「楽しみですね」
 「ああ」
 初音の言葉に、隆之も笑いながら頷いてくれる。何だかデートみたいだなと気恥ずかしい思いも抱きながら、初音は隆之の隣
を歩いていた。