Love Song





第 2 節  Modulation










 タクシーで隆之が予約していた店に向かった時、初音はその前に100円均一の店に行ったことを深く後悔してしまった。
その場所とのあまりの差に、自分と隆之の住む次元の違いがはっきりと分かったからだ。
(・・・・・こんな店、有名人しか来れないんじゃ・・・・・)
自分のような一般人が足を踏み入れていい場所なのかどうか、初音はその玄関先に立った瞬間から何度も心の中で繰り返す
ものの、今更引き返したいとは言えなかった。
 「お待ちしておりました」
 出迎えてくれたのは、壮年の男性だ。服装や物腰からも上の地位の人間であると感じる。
 「あ、あの、隆之さん」
 「ん?」
 「あ・・・・・と」
 「どうした?」
 「い、いいえ、何でもないです」
(・・・・・とにかく、大人しく後をついて行こう・・・・・)
 創作和食という響きから、居酒屋に似た店かと思ったが、それはどちらかといえば料亭に近い雰囲気だった。
玄関から中に入れば、ここが都内かと思うほどに広い日本庭園が広がっていて、そこを真っ直ぐに歩くと、それぞれ客同士が顔
を合わせないように個室になっている部屋の玄関へと案内された。
 「本日の魚と肉ですが・・・・・」
 そう前置きされて、男性と入れ替わりに現れた上品な和服姿の女性が食材の説明をしてくれるものの、何が何やら・・・・・有
名な産地を言われたが、愛想笑いをして誤魔化すだけだ。
 「初音は何が食べたい?」
 「え・・・・・お、俺・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・お、お任せしてもいいですか?」
 はっきり言って、何を注文していいのかさえ分からない。
メニューが無く、値段も分からないのに、ヘタに高いものを注文してしまったら、それこそこのままここで気を失ってしまう。
 「・・・・・」
そんな初音の思いを知ってか知らずか、隆之は全て任せるからという一言で注文を終えた。



(・・・・・失敗したか?)
 初音がとても緊張しているのは分かったが、今更他の店にしようとは言えなかった。
裕人が教えてくれたこの店は完全にプライバシーが守られている上料理も美味しく、好き嫌いが多い自分もかなり気にいってい
る店なので、初音も絶対に気に入ってくれると思ったのだが・・・・・自分と初音の感覚には違いがあるということを、隆之は改め
て感じてしまう。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 今まで初音と一緒に食事をしたのは打ち上げの時と、偶然居酒屋で会った時。
居酒屋も嫌いではないが、賑やかな場所で自分の正体を知られてしまうよりも、2人きりでいられる静かな場所がいいと思って
わざわざこの店を選んだ思いが、もしかしたら初音にはいらぬ気遣いだったのかもしれない。
 「・・・・・」
人のことを思って行動することはとても難しいなと思い、隆之は初音に分からないように溜め息をついた。

 しばらくの沈黙の後、料理が次々と並べられる。
男2人ということで少し量も多めで、鮮やかな色彩のそれらを見ると、緊張していた初音の表情にも変化が見えた。
 「美味しそう」
 「美味いよ、ほら、食べよう」
 「はい。いただきます」
 きちんと挨拶をしてから箸を運んだ初音は、煮物を一つ口に含んで直ぐに声を上げた。
 「美味しい!」
 「そう?」
 「隆之さんも食べてみて下さいっ」
初音は自分の皿から煮物を取って隆之に食べさせてくれようとしたが、直ぐに隆之の面前にも同じものがあることに気付いて手
を引っ込めようとする。
 しかし、隆之は待ってと言った。
 「それがいい。それを食べさせて」
そう言うと、初音に向かって口を開けた。



 「・・・・・」
 「・・・・・」
(お、おかしくない、よな?)
 学生の頃、友人達とお互いの弁当のやり取りをしたり、ふざけて食べさせあいこもしたことがある。
意識しなければそんなにおかしなことではないと思うのだが、その相手が憧れの相手だと思うと急に緊張してしまった。
 「・・・・・」
 隆之は軽く目を閉じて口を開けて待っている。初音は少し持っている箸が震えてしまったが、それでも何とか隆之の口に煮物
を含ませた。
 「・・・・・美味しい」
 「でしょう?」
その言葉に安心して初音も笑うが、そもそもこの店は隆之が紹介してくれて来たのであって、彼が店の味に詳しいのは当たり前
だろう。それでも、彼の美味しいという言葉に嬉しくなって笑った。
 「あ。これも美味しそう」
 「これもどうだ?」
 「いいですね〜」
 手の凝った盛り合わせと味からも、この店が随分レベルが高いことが分かったものの、その頃にはもう美味しさの方へと神経が
向いていたので、初音はずっとニコニコしながら食事を進めてしまった。



 食事をして。酒も少しだけ勧めた。
 「お、俺、あまり飲めなくて」
 「ちゃんと送って行くから大丈夫」
 「そんな心配なんてしませんけど・・・・・」
そう言いながら、初音は隆之が注いだビールのグラスに少しだけ口をつける。
 「・・・・・」
(確か・・・・・寝るんだったな)
 以前、何気なく言った初音の言葉が隆之の頭の中を巡った。

 「酔うとどうなるんだ?」
 「どうって・・・・・それほど飲んだことはないんですけど、あ、一度だけ、都筑先輩ちに泊まったことがあって」
 「・・・・・都筑の家に?」
 「なんか、俺眠っちゃったみたいで。暴れたり吐いたりしないだけましだって言われました」

あの、都筑の部屋に泊ったというが、それならば今夜酔ってしまえば、このまま隆之のマンションに来るのだろうか。
さすがに、酔った相手にどうこうしようとは思わないが、それだけ、相手に対して気を許しているのだという証のような気がして、隆
之はもっと自分に気持ちを委ねて欲しいと思っていた。
 「ねえ、今までのライブ、正直言ってどうだった?」
 「ライブ?カッコいいに決まってるじゃないですか!」
 初音は身を乗り出して隆之に訴えて来る。
 「俺っ、毎回毎回、泣きそうになって!」
 「え・・・・・」
 「俺だけじゃないですよっ?見に来てくれたファンのみんな、おんなじよーに思ってますよ!」
 「そう、かな。そうだったら嬉しいけど」
初音の勢いに思わずそう答えた隆之だったが、初音の顔が少し赤くなっていることに気付いていた。まだビールを1杯飲みほし、
2杯目に少し口をつけた程度だというのに、もう酔ってしまったのだろうか。
(これ以上は飲ませない方がいいんだろうか)
 明日が休みだとは言っていなかった。変な酔い方をして、明日に影響があっては申し訳ないと今更ながらに思ってしまう。
 「初音、大丈夫か?」
 「大丈夫!」
こんな風に、自分の言葉に素直に答えることこそが少しおかしいのだが。
 どうしようかと考えていた間が面白くなかったのか、初音は少し口をとがらせている。こんな表情は自分に対して見せたことのな
いもので、それだけでも既に初音が酔っているのだという証に思えた。
自分に対して文句を言うのかなとも思ったのだが、初音は思ってもみないことを隆之に訴えて来る。
 「俺、本当に幸せです。大好きな【GAZEL】のツアーを全て見ることが出来て、憧れのタカの歌を直に聞けて・・・・・嬉しくて、感
動して、毎回ありがとうって叫び出したくなるくらい」
 「初音」
 「ありがとう、タカ。俺を選んでくれて。大切なスタッフの1人にしてくれて、ホントに、ホントにありがとう!」

 ゴンッ

 大きな音がしたが、どうやらペコっと頭を下げた初音のそれがテーブルにぶつかったようだ。
 「いったあ〜」
初音は額を押さえてうんうんと唸っている。その様子が可愛くて、隆之は思わずぷっとふき出してしまった。