Love Song





第 1 節  Lentissimo










 全く気乗りしないまま、初音は都内の撮影スタジオにやって来た。
(どうして急に・・・・・)



 一昨日の後味の悪い取材の後、重い足取りで会社に戻った初音は、突然抱きついてきた編集長の身体を支えきれず
に、思わずその場に尻餅をついてしまった。
 「なっ、何なんですか?」
 「よくやった!!」
 「え?」
既に【GAZEL】サイドから苦情の電話でも入っていると思い込んでいた初音に聞かされたのは、思い掛けない言葉だった。
 「プロモ撮影の密着っ?」
 「そうだ!今までなかなか裏側を見せなかった奴らが、わざわざお前を指名してきた!チャンスだぞっ?とにかく顔を覚えて
もらって、美味しいネタを拾って来い!今の音楽界で【GAZEL】以上に注目されてる奴らはいないんだからな!いいか、く
れぐれも機嫌を損ねるな!」



 「編集長・・・・・勝手なことばかり言うんだから・・・・・」
 それでも、編集長があれ程興奮するのも無理は無い。
雑誌の表紙はもちろん、特集を組めば桁違いに本が売れる金の卵だ。もし、これを切っ掛けに連載や写真集の話などが
出てくれば、莫大な利益をもたらすだろう。
(責任重い・・・・・)
 しかし、雑誌記者とはいえ、元々初音は【GAZEL】のファンだ。会社の利益うんぬんよりも、まずファンの目で見てしまう。
 「はあ・・・・・」
 「いらっしゃい」
 「!」
 自動ドアをくぐった初音は、いきなり声を掛けられてハッと顔を上げる。
そこには【GAZEL】のリーダーでプロデューサーでもある裕人が、ニコニコ笑いながら立っていた。
 「ヒ、ヒロッ?あ!すみません!」
 つい何時も呼んでいる言い方になってしまい、初音は慌てて頭を下げた。
 「いいよ。でも、ほんとに今でも僕らのファンなんだ?」
裕人の微妙な言い回しにも気付かず、初音は焦ったまま頷いてみせた。
 「は、はい!ファンクラブにも入ってます!」
 「それは光栄」
クスクスと笑う裕人は、男だと分かっていても中性的な魅力を持っていて、初音は改めてこんなに間近で見る裕人の素顔
にポオ〜となっていた。
(化粧なんて全然してないのに・・・・・綺麗・・・・・)
 「?」
 じっと自分を見つめてくる初音に、裕人は軽く首を傾げてみせる。
ワザとらしくないのに、それもまた絵になっていて、初音は一度深呼吸してからゆっくりと言った。
 「先日は大変失礼しました、『M.J』の桜井初音です。今日はご招待頂いて・・・・・」
 「ご招待って、まるでお誕生日会みたいだね」
 「あ・・・・・」
 「こちらこそ、よく来てくれました。誤解があったらいけないけど、この間の取材、僕らはちっとも怒ってなんかいないよ?むし
ろタカが大人気ない真似して申し訳なかったって」
 「そんなこと!せっかく取材の機会を頂いたのに、お、私の方こそ私的なことを言ってしまって・・・・・」
 「ああ、ファンだってこと?」
 「・・・・・はい」
 「昔、ファンレターくれたよね?」
 「え?」
 「初期の男のファンの名前は結構覚えてる。桜井初音・・・・・まるで女の子のように綺麗な名前だったから特に印象にあ
るんだ。すぐ気付かなくてごめんね?」
 「い、いえ、俺、覚えてくれてたなんて・・・・・すごく・・・・・」
 言っているうちに、初音の目にはみるみる涙が溢れてきた。
社会人にもなって人前で泣くのはみっともないと分かっているが、どうしてもこみ上げてくる感情を止めることが出来ない。
数え切れないほど多くのファンの中のたった1人に過ぎなかった自分の名前を、きちんと覚えてくれていることが嬉しくてたまら
なかった。
 「困ったな・・・・・僕が泣かしちゃったみたいだ」
 「すみませ・・・・・」
 「いいよ。スタジオに入る前に、ここで思いっきり泣いたら?鼻かむならティッシュあるよ」
冗談めかして言う裕人に、初音は泣き笑いの表情になる。
先日の後悔がやっと消えていくのを感じ、初音は思い切ってここまで来た自分を褒めたくなった。