Love Song





第 1 節  Lentissimo










 スタッフが言った通り、今日の撮影では1曲はおろか、前奏さえも撮り終えない内に日が暮れてしまった。
素人の初音が見てもどこに問題があるのかと思うほどに3人のパフォーマンスは素晴らしいと思うが、裕人は何度も撮り直しを
要求して、結局日が暮れるまでにOKが出たのはオープニングの数秒分だった。
 「初音ちゃんは何が好き?」
 「え?」
 あっという間にぞろぞろと片づけを始めたスタッフ達を見ながら、初音は自分はどうしたらいいのかと途方にくれ・・・・・そんな時、
突然裕人から声を掛けられた。
(は、初音ちゃんって言った?)
別に名前を呼んで欲しくないとは思わないが、いきなり下の名前をちゃん付けで呼ばれると途惑ってしまう。
困ったように眉を下げて振り向いた初音に、裕人はファンの間では《天使の微笑》と呼ばれている笑みを向けながら言葉を続
けた。
 「この後みんなで夕食を食べようってなってね。今日はせっかくゲストがいるんだし、君の好きなものにしようと思って」
 「ゆ、夕食ですか?」
 「焼肉がいい?それとも中華?あ、鮨の方が・・・・・」
 「ま、待ってください!」
 「ん?」
 「あ、あの、俺、って、私、私はいいですからっ」
(このメンバーで食事に行ったって、絶対食べられるはずが無いよ〜っ)
きっと、緊張し過ぎで喉に詰まってしまう・・・・・そう思った初音は慌てて辞退したが、裕人の頭の中では初音の参加は決定
事項になっているらしい。
 「君が来なくちゃつまらないよ。ね、太一、タカ」
 「そうだよ。おいでよ」
太一はニコニコ笑いながら裕人の提案に頷き、隣の隆之を振り向いた。
 「な、タカもそうだろ?」
 「・・・・・ああ」
 「・・・・・」
(な、何だか怒ってるみたいに見えるけど・・・・・)
 スタジオに入ってから、隆之とは直接話してはいない。
先日のことも謝りたかったのだが近付きがたいオーラがあり、おまけにPVの撮りという初音にとっては未知の世界を体験すると
いう緊張もあって、気持ちの余裕が少しも無かった。
こんな状態で、この後も隆之と一緒の空間になどとてもいられないと思う。
 「で、でも、あの・・・・・」
(何て断わったらいいんだろ・・・・・)



 明らかに嫌がっている・・・・・初音のその態度に、隆之は口の中で舌打ちを打った。
(俺と一緒にいたくないってことか・・・・・っ?)
あれほど裕人とは(隆之の目で見ると)打ち解けたように笑い合い、スタッフとも(隆之の目で見ると)仲良く談笑をしていた。
この流れならば食事に付き合ってもおかしくは無いのに、初音が嫌がっているのは多分自分がいるからなのだろう。
(そんなにあの時のことが嫌だったのか・・・・・)
 今思えば、自分でもなぜあんな風に初音に対して嫌味を言ったのかは分からない。
スケジュールは出来るだけ余裕をもっていたはずなのだが、今回は曲作りが難産でレコーディングもどんどんずれてしまい、それ
に重ねてもう直ぐ発売するアルバムの為のプロモートや、このPVの為の準備が立て込んでいて、自分のペースというものが乱
されたということもある。
一ヵ月後にはツアーが始まるし、ボーカルの隆之は構成やダンスにも意見を言っていかなければならない。
 様々な要因が重なっていて、あの時現われた初音に、そのイライラをぶつけてしまったのかもしれない。
(後から後悔してたってしかたないのにな)
まさか、初音がバンド創設時のファンだとは思わなかった。
それならばもっと違う対応をしていたはずだ。
 「・・・・・桜井サン」
 「は、はいっ」
 本当は、裕人のように名前の方を呼びたかった。
初音・・・・・初めての音。隆之にとっては耳に残る綺麗な名前だ。
しかし、今の自分と初音の関係では、とても名前を呼ぶことは出来なかった。
 「君も来たらいい」
 「あ、あの、でも・・・・・」
 「それとも、時間が無いとか?」
 「い、いえ・・・・・」
 「・・・・・酒の席だったら、【GAZEL】の裏話とかも聞けるかもしれない」
(こんな言葉で気を引くなんて・・・・・情けない)
それでも、これは口下手な自分の精一杯の誘い文句だった。
 「・・・・・」
 初音はまだ迷っているようで、手に持っているペンをせわしなく動かしている。
これ以上なんと言ったらいいのか分からない隆之は、無意識に裕人の方へ視線を向けてしまった。
(・・・・・笑ってる)
今までの隆之と初音のやり取りをどんな風に見ていたのか、裕人は口元に笑みを浮かべたまま・・・・・近付いては来てくれな
い。
(自分で誘えってことか?)
 「あー」
 「・・・・・」
 「・・・・・え、っと・・・・・」
(・・・・・くそっ)
数あるラブソングを唄い、涙させるほどのボーカリストの隆之も、現実に誰かを口説くことは不慣れだ。
それが同性相手に、ただ食事に誘うだけでも・・・・・隆之は口の中で咳払いすると、じっと不安そうに自分を見つめる初音に
もう一度向き合った。