太朗が部屋から出て行って間もなく、扉の向こうから声が掛かった。
 「あの、西原です」
改めて名前を言われて、一瞬上杉は誰だと思ってしまったが、直ぐにそれが海藤の恋人である青年の名前だという事を思い出し
た。
声を掛けるよりもと、上杉は椅子から立ち上がって自ら扉を開く。
顔を出した途端、にこにこと笑っていた真琴の顔が少し驚いたような表情に変わった。
 「あ、う、上杉さん?」
 「タロなら、食うもん探しに出て行ったんだが、そこら辺で会わなかったか?」
 「え?あ、いいえ、会わなかったです。・・・・・そっか、太朗君、いないのか」
 「・・・・・」
じっと、真琴を見つめていると、不思議そうに首を傾げる。
太朗とは違ったその表情に、上杉は思わず笑ってしまった。
 「・・・・・?」
 「こうして、じっくりと顔を見たことはなかったなと思ってな」
 「は、はあ」
 海藤ほどの男が、ごく普通の青年を恋人に選んだわけとはいったい何か?上杉自身、太朗を恋人にしているので人の事は言
えないが、本当に外見上も性格上も普通に見える真琴の魅力とはどんなものなのかと、誰もいないこの場はいい機会だと思って
しまった。
顔を見られることに慣れていないのか、真琴は恥ずかしそうに俯いてしまったが、そんな風に恥らった様を見れば、目元のホクロの
効果もあって思い掛けなく色っぽく見える。
(アンバランスさがいいのか・・・・・結構通だな、海藤も)
 上杉は真琴と2人でいてもそれほど気にしないが、真琴からすれば息が詰まってしまうかもしれない。
それは可哀想だなと思い、上杉はそのまま真琴の肩を抱いて言った。
 「タロを捜しに一緒に行くか?ついでに海藤と飲んでもいいしな」
 「すみません」
自分のせいで上杉に気を遣わせたと真琴は頭を下げたが、上杉は気にするなと笑い飛ばしてやった。



 「へえ〜、石油いっぱい持ってるのか〜」
 「いっぱいかどうかは分からないけど、ね?」
 通路で会った少年は、自分という外国人の存在がかなり珍しいのか、興味津々の視線を向けてきた。
それまで、旅を楽しむというよりも、豪華な列車の旅に緊張していた悠真は、自分とそう歳の変わらない(聞けば1つ下らしい)少
年に親近感を抱いたのか、そのまま珍しく立ち話を始めた。
 「じゃあ、太朗君も招待を受けたんだ」
 「そ。で、お腹空いちゃって」
 「食堂車があるんだよね」
 「サンドイッチでもお弁当でもいいから買って来ようかなって思ったんだ。永瀬さんは、アシュラフさんと散歩?」
 どうも横文字の自分の名前が言い難いのか、少年はこれで合ってるかというような視線を悠真に向けている。大人しい悠真と
は違い、考えている事が全て表情に出る少年は好ましい。
もちろん、そこに恋愛感情はなく、どちらかといえば弟に感じるような親しみだ。
 「うちの父ちゃん、ガソリン高くなった時しばらく自転車と電車通勤で大変だったんだ〜。その時俺、アラブに友達がいれば石油
分けてもらえるのになあと思っちゃって、へへ、馬鹿だろ?」
 「ううん、でも、そう思うの分かるよ。うちは小さな石油会社をしてたから、あの時は結構大変で」
 「あ、やっぱり?」
 「アシュラフの国と契約してたから何とか乗り越えたけどね」
 2人の会話を聞きながら、アシュラフは日本では石油はかなり貴重なのだなと改めて実感した。
自分の許婚でもある(悠真は男だが、強引にそういう形にした)悠真の実家とは当然のごとく優遇した契約をしているが、こんな
少年の家族が困っているのなら少しくらいは・・・・・。
 「良かったら、君に採掘権をあげようか?」
 「サイクツケン?」
 「年間、何バレルいる?」
 「バレル?」
 全く意味が分からないというような顔をする少年の代わりに、悠真が困ったように笑いながら言った。
 「アシュラフ、普通の日本人はバレルで石油を買わないよ?」
 「そうなのか?」
喜んでもらえると思って言った事が全くの見当外れだと言われ、今度はアシュラフの方が困惑してしまった。
(石油を貯蔵する場所が無いのか?)
 「永瀬さん、アシュラフさんって面白い冗談言うんだね」
 「・・・・・結構本気みたいだけど」



 隆之といる空間に少しだけ息が詰まってしまった初音は、飲み物を買ってくるという口実で(部屋に小さな冷蔵庫があるのだが)
部屋を出た。
だが、そこで思い掛けない人物と出会ってしまう。
 「あ」
 「ん?」
 「声優の日高征司さん、ですよね?」
 「・・・・・そうだけど」
 一般人のいないこの寝台列車の中で声を掛けられるとは思わなかったのか、日高は少しだけ眉を顰めている。
普段は穏やかで面白いと聞く日高の不機嫌な様子に少しだけ怯えてしまったが、そんな初音の様子を気遣ったのか隣にいた青
年が日高の腕を引っ張った。
 「日高さん、顔怖いですよ」
 「・・・・・」
 「すみません、今はプライベートなので・・・・・」
 「い、いえ、俺の方こそすみませんっ。俺、音楽雑誌の記者をしてるんですが、以前違う部署にいた時、一度だけ日高さんを取
材したことがあって・・・・・」
 とにかく謝らなければと焦ってしまった初音だが、どうやらその言葉に日高は気を引かれたようで、それまで不機嫌そうに逸らして
いた顔をじっと初音に向けた。
 「・・・・・何時?」
 「あ、その時俺はアシスタントみたいな形で、直接話をさせていただいた訳じゃないんですけど」
 「そうなのか・・・・・名前は?」
 「桜井初音といいます。すみません、いきなり声を掛けて・・・・・」
(俺のばかっ!もっとちゃんと考えないとっ)
 隆之の事をプライベートだから守らなければならないと思っていたはずなのに、それを他の芸能人に対しても考えなければならな
いはずだった。
懐かしいという思いからつい声を掛けてしまった自分に他意はないが、これで日高の旅にケチが付いてしまったのであれば本当に
申し訳が無い。
どうしようか・・・・・そう、初音が内心焦った時、
 「初音?」
 外での揉めた気配に気付いたのか、それとも初音を追ってきたのか、部屋から出てきた隆之が声を掛けてくる。
 「あっ、【GAZEL】のタカっ?」
叫んだのは、日高の連れの青年だった。



 「あっ、【GAZEL】のタカっ?」
 いきなり叫んだ郁が、驚きと共に嬉しそうな表情になったのが分かる。
先程は郁との旅行中に職業を言われた不愉快さがあったのだが、今は郁がキラキラとした視線を向ける男の出現が面白くなかっ
た。
さすがに、幾ら日高でも、【GAZEL】のことは知っているし、その中でも一番人気のボーカリストである隆之の顔も知っていた。
もちろん直接会うのは初めてで、自分より年下のはずだが、随分落ち着いた雰囲気だ。
(歌っている時とはイメージが違うな)
あんなにも派手なパフォーマンスや、迫力のある歌声。それに、日高でさえもやるなと一目置くほどの甘い声の持ち主である隆之
は、違う分野だがいい男だといえる人物だろう。
その男を、郁が憧れの眼差しで見るのは正直面白くない。
 「・・・・・」
 「あ、あのっ、握手してもらっていいですかっ?」
 「・・・・・」
 隆之はチラッと、先程まで頭を下げていた青年・・・・・初音を振り返ってから、軽く頷いて手を差し出した。
 「ありがとうございます!」
 「・・・・・どうも」
 「日高さんっ、彼のこと知ってますかっ?」
 「一応、俺の家にもテレビはあるからな」
【GAZEL】を知らない人間の方が少ないだろうと思ったが、それを素直に口に出すのは何だか悔しい気がして、日高はわざと郁
の肩を強引に抱き寄せた。
 「ちょっ?」
 「君・・・・・桜井さん?一応これは俺のプライベートだから、記事にはしないようにね?」
意識的に声を低く、甘く囁くように言ってみる。
仮にも声優の自分はこの声が商売道具だ。幾らボーカリストとはいえ、負けるわけにはいかないという、変な対抗意識が生まれて
いた。
 「は・・・・・い、分かりました」
 案の定というか、作戦に嵌まったというか、初音の頬が緊張の青白さから少し赤く染まる。
それを見た隆之が眉を顰めたのに満足して、日高はそのまま歩き始めた。



 伊崎がなかなか戻らないからと怒って、自分の部屋を出て真琴のいる部屋の前に立った楓は、トントンと扉を叩いた。
 「どうぞ」
 「?」
(真琴さんじゃない?)
返って来た声は真琴ではなく海藤のものだ。真琴がいれば真琴が返答をするはずだと思った楓は、今ここに真琴はいないのかも
しれないと思った。
 「・・・・・」
 そのまま扉を開けると、部屋の中には案の定海藤しかいない。
楓はキョロキョロと視線を彷徨わせる事も無く、真っ直ぐに海藤を見て聞いた。
 「真琴さんは?」
 「さっき、皆を呼んでくると言って出掛けたが・・・・・出会わなかったか?」
 「・・・・・会わなかった」
どこかですれ違ったのか、それとも誰かの部屋の中にいたのか。どちらにせよ、このままここに海藤と2人でいても仕方がないと、引
き返して捜そうと直ぐに決める。
 「じゃ」
 短くそう言って出て行こうとした楓に、海藤は立ち上がりながら一緒に行くと言ってきた。
 「え?」
 「日向組の子息を、1人で歩かせるわけにはいかないだろう?」
 「・・・・・本心で言ってる?」
 「嘘をついてどうする」
 「・・・・・まあ、そうだけど」
上杉とは違い、真面目な海藤が自分をからかうとは思えない。ただ、日向組と開成会では組の規模はかなり違い、本来ならば
楓の方が海藤を立てなければならないのだが・・・・・プライドの高い楓にそれはとても出来なかった。
 「・・・・・」
 「行こうか」
 そんな楓の気持ちが十分分かっているのか、海藤は何も言わずに楓の背中をそっと押す。
大人のその対応に子供っぽく抵抗も出来ず、楓は海藤と共に出掛けることになってしまった。



 上杉と歩いていた真琴は、視線の先に太朗を見付けた。
 「太朗君!」
 「あっ、真琴さん!え?ジローさんも?」
直ぐに振り向いた太朗は真琴の姿に満面の笑顔を向け、続いて上杉の姿に驚いていた。
目まぐるしく変わる太朗の表情の変化に思わず笑ってしまった真琴だが、その側に見知らぬ人物がいるのに直ぐに気付く。
(誰?)
 自分より少し幼いくらいの少年と、どうやら・・・・・外国人の男。
 「た・・・・・」
不思議に思った真琴が声を掛ける前に、上杉が大股に太朗の側に近付くと、側にいた外国人を睨み付けながら(目線はほぼ
同じくらい)言い放った。
 「こいつに何の用だ?」
 「・・・・・」
上杉の視線に怯むことなく、その男も怪訝そうな眼差しを向けてくる。そんな2人の視線を遮るように太朗が叫んだ。
 「ジローさんってば、そーいう言い方失礼だろっ?アシュラフさんは俺を心配して声を掛けてくれたんだよ?」
 「アシュラフ?」
なぜか、名前まで知っている太朗に、真琴と上杉は同時に声を出してしまった。






                                         






今回は何時もはなかなか見られないカップリングで(笑)。
海藤さんとジローさんの違いもよく分かるんじゃないでしょうか。