LOVE TRAP
10
『』の中はイタリア語です。
江坂は車のドアを開けた。
この車自体は防弾仕様になっているが、ドアを開けた瞬間に銃弾が中の人間にあたるという危険性は捨てきれない。こんな場所
で命を落とそうとは思っていないが、同時に友春の命も必ず守り通さなければならなかった。
「足元に伏せていなさい」
「で、でもっ」
「君が余計なことをすれば、それだけ周りが危険になる。邪魔になりたくなかったら言われた通りにしなさい」
「・・・・・っ」
きつい口調で言うと、友春は唇を噛み締めたが・・・・・やがてシートの足元に身体を丸くして蹲った。
「いい子ですね。じゃあ、私がいいと言うまでその体勢でいなさい」
江坂は素早く車外に出た。
「・・・・・」
気配はある。
(それほど、遠くじゃないな)
予め相手の身体的特徴や、銃を撃つ時の癖など、調べられることは全て調べてここにいる。江坂は車の陰に身を隠したまま、自
分の銃の安全装置を外した。
今からここでどんなことが起きるのか、友春はドキドキと鳴る自分の胸の鼓動が耳に煩く響いていた。
江坂が言う通り、ここで自分が動いても邪魔になるだけだとは分かっているものの、何も分からず、何も見えないまま、ただじっとし
ていることもかなりの苦痛だった。
「・・・・・どうしよう・・・・・どうしよう・・・・・ケイ」
アレッシオは、自分が今、こんな状況にいることを知らないままなのだろうか。あの華やかな女性と共にいて、その腕に抱いて、自
分のことなどもう・・・・・どうでもいいと思っているのだろうか。
(・・・・・やだ、そんなの、やだ、よ・・・・・)
「・・・・・ねがい、お願い、ケイ・・・・・ッ」
傍に、いて欲しい・・・・・友春は強く目を閉じたまま、そう祈るしか出来ない。
その時、
バシュッ
静まり返った空気を切り裂くように、鋭い音が友春の耳に届いた。
(い、今の、何?)
一瞬、空耳かと思ったが、直ぐに同じような音がまた聞こえてくる。友春は背筋に冷や汗が伝うのを感じた。
「今の・・・・・って・・・・・」
悪い予感が当たりそうだった。
「・・・・・」
なかなか動かないこちらに焦れたのか、向こうから攻撃を仕掛けてきた。しかし、どうも暗視スコープまでは使っていないのか、弾
が自分に命中するという感じではない。
(こういう時こそ焦らないのが鉄則だと思うが)
「これくらいの腕で、よくガードなど出来たものだな」
反対に考えれば、これくらいの腕だからこそ、この程度のファミリーの一員にしかなれないのだろう。
逃げるよりも、追い掛ける方が優位だとよく言われるが、江坂はそんなことは関係ないと思う。どちらにせよ、最後まで冷静に、相
手が動くのを待てる方が優位だと思っている。
そして、自分はそれが出来る人間だ。
バシュッ
どうやら消音銃を使っているらしいが、これだけ静かな場所では微かな引き金を引く音も聞こえる。
江坂はその音が聞こえた方へ視線を凝らした。
(・・・・・いた)
ハッキリとした人影ではないが、確かにこちらに向って殺意を向けてくる何かがいる。
「・・・・・先ずは1人」
江坂はその影に照準を当てると、躊躇うことなく引き金を引いた。
『ここです』
ある程度の広さがあり、人目が無く、明かりもある場所。江坂が選んだこの広いショッピングセンターの駐車場はまさにその条件
に合っていた。
少し手前から車のライトを消させ、駐車場を見渡せる場所へとゆっくりと車を動かせたアレッシオは、目を凝らして辺りの状況を
見つめた。
(・・・・・あれか)
これほど広い駐車場にはほとんど車は無く、店から一番奥まったような場所に黒っぽい普通車が停まっているのが見える。もち
ろんナンバーまでは分からないが、車の種類からすればあれは友春と江坂が乗っている車に間違いはないだろう。
『・・・・・っ』
その車を中心にして周りを見ると、少し離れた場所にバイクが停まっているのが見えた。直ぐ近くには木陰があり・・・・・。
(いた・・・・・っ)
闇夜に光る銃口が見えた気がした。
『アレッシオ様っ、我々が参りますっ』
『援護をしろ』
『アレッシオ様!』
『トモの危機を救うのが私の宿命だ』
自分以外に、友春の命を守る人間がいるとは思えない。それは、今友春の一番傍にいるはずの江坂にも言えることだ。
(エサカは私の命令を守ってくれるが、自分の命までは投げ出さない)
それは、江坂にとって命と同等の存在が既にいるからだ。
『殺すな。あれはベッリーニ家への土産にしてやる』
自分の孫が誰に牙を向いたのか、あの男勝りな未亡人に知らしめなければならない。
短く命令したアレッシオは音を立てないように車のドアを開けると、胸元から銃を取り出し、目的のもとへとゆっくりと近付いていく。
と、
『!』
次の瞬間、闇夜に閃光が走った。それは、見間違いではなく、友春達が乗っている車の方から見えたものだった。
ピシッ
「!」
何か、鈍い音がした。
頭を抱えるようにして蹲っていた友春だったが、その音があまりにも身近に聞こえてしまったので、そっと目線を上げてしまった。
「・・・・・っ」
(ひ、び?)
窓ガラスに、僅かにだがヒビが入っている。先程まではもちろん何も無かったのは確かだ。防弾だと言っていた江坂の言葉が本当
だとすると、このヒビの正体はいったい何だろうか・・・・・いや、本当は友春にも見当が付いていた。
イタリアマフィアのアレッシオと、日本のヤクザの江坂。江坂の持っていた・・・・・拳銃。
この外では、今銃撃戦が始まっている。
(どうしよう・・・・・どうしよう・・・・・っ)
自分が、どうなるのか分からない。このまま、もしも、死ぬようなことがあったら・・・・・何も思い直すことも、後悔することもないと
言えるだろうか。
(このまま、ケイにも、会えないままでっ?)
「私の愛は、お前だけのものだ」
あんな言葉を言ったくせに、あの女性と消えてしまったアレッシオに、何も伝えないまま死んでもいいのだろうか・・・・・。
「・・・・・やだ、いやだ・・・・・」
こんな目に遭わせたアレッシオに、文句を一言でも言ってやりたい。
自分の心をこんなにかき乱したことを詰りたい。
「ケイ!」
友春はこみ上げる感情のまま、大きな声でアレッシオの名前を叫んだ。
「ケイ!」
『・・・・・っ、トモ!』
自分の名を呼ぶ友春の声に、慎重に行動していたはずのアレッシオの心が乱れた。
こちらの方が優位だと十分分かったうえで行動していたのに、友春の声一つで計画した行動など全てが頭の中から消え去ってし
まった。
『アレッシオ様!』
バシュッ
『・・・・・っ』
熱いものが頬を掠ったが、アレッシオは構わずに車の元へと駆け寄った。
「ミスターッ」
「トモはっ?」
車の中にいるという江坂の言葉を最後まで聞かず、アレッシオは後部座席のドアを開いた。ドアが開いた瞬間に友春が撃たれ
てしまわないように自分の身体全体で中を隠すようにしながら覗き込んだアレッシオの身体に、ドンッと衝撃が伝わってる。
「トモッ」
身体全体で飛びついてきた友春が、もう放さないとでも言うようにギュウッとしがみ付いてきた。アレッシオはその身体を強く抱きし
めることしか出来ない。
『確保しました!』
抱きしめている友春の身体は驚くほどに冷たい。アレッシオは、友春の身体を温めるかのように強く、強く・・・・・自分の温もりを
分け与えるように抱きしめた。
『2名とも確保です!』
声が、遠くから聞こえてくる。
アレッシオは、抱きしめた友春の耳元で囁いた。
「トモ、全て終わった・・・・・トモ、トモ・・・・・」
自然に甘く、宥めるように変化してしまう声を、アレッシオはもう止めることはしなかった。
銃弾を浴びたせいで窓にヒビが入ってしまった車から下り、アレッシオは友春を自分が乗ってきた車へと移した。
その助手席には今回の功労者である江坂が静かに腰を下ろしている。たった今、人間を撃ち、重症を負わせたというのに、江坂
の表情には少しの動揺も浮かんではいなかった。
「このままホテルへお送りします。昨日とは別の場所なのでご安心を」
「・・・・・ああ」
アレッシオは友春の肩を抱き寄せていた。
何時もなら身体を強張らせる友春も、よほど先程の銃撃戦がショックだったのか、大人しくアレッシオの身体に寄り添っている。
(怖がらせてしまったな・・・・・)
銃の音や硝煙の匂いに慣れている自分とは違い、友春はあくまで一般市民だ。それも、日本は一般的に銃が出回っているわ
けではなく、恐怖を感じても仕方が無いだろう。
アレッシオは友春を抱く手の力をもっと強くし、顔を上げて江坂に言った。
「エサカ」
「はい」
「今回は世話を掛けた」
「・・・・・」
アレッシオの声に、江坂は一瞬だけ動くを止める。しかし、直ぐにバックミラー越しにアレッシオを見つめながらいいえと言葉を返し
てきた。
「ミスターの滞在を滞りなくするようにするのが私の役割ですから」
「・・・・・お前がいるマフィアを選んで正解だったな」
アレッシオにすれば最大限の褒め言葉に、江坂は少しだけ口元を緩めて軽く頭を下げた。
「先に中に入っていなさい」
車が付いたのは、夕べ宿泊したホテルとグレードの変わらない一流ホテルだった。
既に話は付いていたのか、支配人らしい年配の男が丁寧に出迎えてくれたが、江坂は案内はいらないと断って自ら鍵を受け取る
と、そのままアレッシオと友春を最上階まで案内してくれた。
「ケ、ケイ」
「ここで話をしているだけだ。お前は先にバスに入っていなさい、疲れただろう」
玄関先でそう言うと、アレッシオは友春の額にキスをする。直ぐ傍に江坂もいたが、友春は恥ずかしいとは思わず、それよりも少
しでもアレッシオの傍から離れることが不安で仕方が無かった。
「・・・・・」
「どうした、トモ」
「・・・・・」
「1人では寂しいのか?」
「だ、大丈夫です」
これでは、本当に聞き分けの無い子供と一緒だ。
(僕、何も出来なかったのに・・・・・)
これ以上、アレッシオや江坂を煩わせることはしたくない。そう思った友春は部屋の奥に入り掛けたが、あっと立ち止まるとドアの向
こう側に立っている江坂へと深く頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
「いいえ、無事で良かった」
「江坂さんも、怪我が無くて・・・・・本当に良かった」
(少しでも怪我をしていたら、静だって凄く心配するはずだし・・・・・)
「私も、有意義でしたよ。静さんの好きなものも教えて頂いたし」
「江坂さん・・・・・」
「これ以上は本当にお気遣い無く。ミスターに恨まれかねない」
「エサカ」
「おやすみなさい、高塚君」
「は、はい、おやすみなさい。本当に、ありがとうございました」
江坂が話を打ち切ろうとしているのが分かり、友春はもう一度礼を言ってから奥へと進む。広いスイートルームは少し進めば玄
関の声は全く聞こえなくなった。
「どうしよう・・・・・」
友春はポツリと呟いた。アレッシオの言う通り、先に自分だけでも風呂に入っていた方がいいのかとも思ったが・・・・・友春は大き
なソファに腰掛けると、そのままじっとアレッシオが部屋の中にやってくるのを待っていた。
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