LOVE TRAP
9
『』の中はイタリア語です。
『このままアレッシオは私がベッドに引き止めておくから、その間に始末をして頂戴。そうね、あの身体に残っている思い出がアレッ
シオのものだと思うと腹立たしいし・・・・・滅茶苦茶に犯して、その苦痛の記憶を抱かせたまま殺して頂戴』
『・・・・・』
クラウディアを車に乗せた時、ちょうどアレッシオの携帯が鳴った。
そのまま電話に出たアレッシオの耳に届いたのは、今目の前で欲情に濡れた目を向けてくる女の声。
江坂の用意した女が、化粧室の中で携帯で話していたクラウディアの声を録音したそれを、こうしてアレッシオに直接聞かせてい
るのだ。
(この女・・・・・)
英語ならまだしも、イタリア語ならば日本人には分からないとでも思っているのか、それでも用心の為らしくかなりネイティブな話し
方をしていたが、もちろんアレッシオには聞き取れた。
『アレッシオ?』
『行こうか』
(許されると思うな)
命を奪おうとするだけでなく、その身体まで汚そうとした女を許すわけには行かない。
アレッシオは直ぐに自分の腕に手を掛けてきた女の気配に、無表情の仮面の下で燃えるような憎しみを滾らせていた。
一緒に車に乗り込んだ江坂が告げたのは、昼までアレッシオといたホテルではなかった。
「あ、あの」
「何か」
「ホテル、変わったんですか?」
「・・・・・高塚君」
「は、はい?」
急に、江坂の声の調子が変わってしまったので、友春はビクッと肩を揺らしてしまった。
(何か・・・・・)
「大人しくしていなさい、どんなことがあっても」
「どんなって、いったい・・・・・」
問い返す友春の言葉に、江坂は答えてはくれない。いったい何が起ころうとしているのか、友春は車のシートに座り直すと、目を
閉じてしまった江坂の横顔をじっと見つめた。
アレッシオがクラウディアを伴って訪れたのは、都内の小さな教会だった。
そのままホテルへと向かうと思っていたクラウディアは、思い掛けない場所に連れてきたアレッシオを訝しげに見つめる。
(こんな所に・・・・・)
『アレッシオ?』
『今ここで、式を挙げてもらう』
真っ直ぐに自分を見下ろしながらそう言ったアレッシオに、クラウディアは一瞬息が止まりそうになった。先ずは身体から篭絡しよう
と思っていたのに、まさかアレッシオの方から結婚を申し込んでくれるとは思わなかったからだ。
『・・・・・おお!アレッシオ!』
歓喜の声を上げたクラウディアは、アレッシオの身体に抱きついた。
しっかりと抱きしめてくれる厚い胸板、男らしく整った容貌。そして、イタリアでもトップクラスの財力と、カッサーノ家という力の象徴
の一族のトップに立つ男が、自分のものになる。
高揚した気持ちそのままに、豊満な身体は既に熱を帯びていたが、アレッシオはそんな自分の身体を不意に引き剥がすと、1
枚の書類を面前に差し出して言葉を続けた。
『お前の気が変わらないうちに、ここにサインを入れてもらおう。私のものはもう書いてある』
『もちろん良いわ!私の気は変わらなくても、あなたの移り気な心はイタリアに戻る前に変わってしまうかもしれないもの』
『・・・・・』
クラウディアは差し出された万年筆を受け取り、自分のサインを入れた。そして、まだインクも乾かないそれを、満面の笑みでア
レッシオに差し出す。
『これで、私はカッサーノ家の女主人なのね!』
『・・・・・何を言う』
『・・・・・アレッシオ?』
『お前は、私、アレッシオ・ケイ・カッサーノの妻ではなく、アレッシオ・カッティーニの妻となったんだ』
『な、何を、私は、だって、今・・・・・っ』
『サインをよく見たのか、クラウディア。アレッシオという名前はイタリアでも珍しいものではないぞ』
何を言うんだと、クラウディアの頭の中は疑問が渦巻いていた。確かに今自分はアレッシオのサインが書いてあった書類に名前を
入れたはずだ・・・・・いや。
『!』
クラウディアはとっさに書類を見直そうと手を伸ばしたが、それをかわしたアレッシオは、低い声で入れと命令を下す。
その声に応えたように開かれたドアの向こうから現れた数人の男の姿に、クラウディアは顔を歪めた。
殺すのは簡単だ。
友春を侮辱し、さらに殺そうとしたクラウディアを本来は生かしておくことも無いのだが、傲慢でプライドの高い女に一瞬の苦しみだ
けを味合わせるのはつまらなかった。
生きているだけで屈辱・・・・・そう思わせなければならない。
イタリアを出発する頃から考えていたことだったが、一応はイタリアマフィアのファミリーに名を連ねている者として選択を与えてやる
つもりだったが、そんな寛大な処置など取る価値も無いだろう。
『カッティーニ』
『はい』
アレッシオに名前を呼ばれ、男が1人歩み出てきた。
急ぎイタリアから呼び寄せた、自分と同じ名前を持つ・・・・・正反対の男。
『クラウディア、お前は今この瞬間からカッティーニの妻だ。私のファミリーの中でも下っ端だが、お前が喜ぶ性欲だけはあるぞ。何
しろこの歳にして愛人は5人、子供は12人だ』
アレッシオ・カッティーニ。
どうしてこの男をファミリーの一員にしているのか謎に思ってしまうほどに無能な男は、女に対してだけはやり手だった。今年57歳
になるが、未だに若い女を囲い、カッサーノ家の名前だけで食っている。
父の従兄弟であるこの男は何時でも切れると放っておいたが、こんな時に役立つとは思わなかった。今までただ飯を食ってきた
分、その身体でクラウディアを苛んでもらおう。
『新しい妻はどうだ、カッティーニ』
『ほ、本当に、この女をもらっていいんですか?』
『私は、発情している雌を扱いきれないからな。いいか、カッティーニ、この女はお前の妻だが、私にとっては何時でも殺してもい
い価値のない女だ。せめてお前が飽きるまでは、私の迷惑にならないようによく監視していろ』
『は、はい』
『嫌よ!!』
だらしない中年の姿を真っ青な顔で見つめていたクラウディアは、縋るようにアレッシオに手を伸ばしてきた。
しかし、アレッシオは当然のようにその直前で手を払いのける。
『私はファミリーの女に手を出さない』
『こんな男に抱かれるなんて嫌よ!お、御祖母様が許さないわ!』
『・・・・・私を誰だと思っている』
ベッリーニ家など、初めから問題にはしていなかった。
昔からの付き合い上放置していただけで、アレッシオ自身は切り捨てても構わないと思っていた。その孫娘が、こんな馬鹿なことを
考えなければ、だ。
『結婚式の写真を、ベッリーニ家の未亡人に送ってやろう。しばらくは会えずとも、腹に子が出来れば里帰りは許そう』
『アレッシオ!』
『お前が虫唾が走るような男に抱かれ、その腹に子を宿すのを楽しみにしている』
クラウディアにとってこれ以上の罰は無いだろう。
アレッシオはそのままもう用はないと背を向け、立っている部下に向って言った。
『2人をこのままホテルに連れて行け。見張っていなくても大丈夫だ、この男は女を抱く才能だけはある』
『あの日本人がどうなってもいいのっ?私が止めなければ、あの男の命は無いのよ!!』
『・・・・・クラウディア、お前は少々煩過ぎだ。その舌を引き抜いて、言葉を話せなくしてやろうか』
『い、いやっ、嫌よ!近付かないで!アレッシオ!アレッシオ!』
『可愛い奥さん、俺の名をそんなに呼んで・・・・・たっぷり可愛がってやろうな』
後が煩い。
しかし、それはもうアレッシオには全く関係の無いことだった。
「つけてますね」
車を走らせて30分も経っていないだろう。
どこかに向うというよりも、ただ都内をグルグルと回っているような気がしていた友春は、運転手のその言葉に思わず後を振り向こう
とした。
「動くな」
しかし、そんな友春の動きを押し止め、江坂は携帯を取り出す。
「え、江坂さん」
「静かにしていなさい」
江坂の口調は何時もと変わらないのに、その身に纏った空気は緊張感に包まれているようだ。
(な、何が来てるんだ・・・・・?)
「私です」
電話の相手は直ぐに出たようだった。
「はい、予想通りつけてきました。・・・・・はい、そこに誘導します、1時間後ですね」
「・・・・・」
(誰と、話してるんだろう・・・・・)
アレッシオではないはずだ。彼は、今頃はクラウディアと・・・・・そう思うと友春の胸は苦しくなってしまうが、彼の想いにハッキリとした
答えを出していない自分に、そんな痛みを感じる資格は無いだろう。
「高塚君」
「は、はい」
「このまま走っているだけでは怪しまれてしまいますからね。今からコンビニと花屋に寄ります。大丈夫、私も一緒にいますから」
隙の無いスーツ姿に、冷然とした容貌の江坂は、どう見てもコンビニに似合わなかった。それでも彼は周りの視線をいっさい気に
せず、飲み物と幾つかの菓子を選んでいく。
「・・・・・この新製品は、静さんも食べたがっていましてね」
「え・・・・・あ、静って、意外とチャレンジャーだから。学校のカフェテリアの新作メニューも初めに頼むし」
「・・・・・」
友春が江坂の恋人である静の話をすると、江坂の表情が目に見えて柔らかくなる。彼にとって静が特別な存在だとそれだけで
も分かって、友春はとても羨ましいと思ってしまった。
(好き合ってるんだ、2人共・・・・・)
互いに想い合う関係が羨ましい。2人を見ていると、男だから、女だからということは何だか全く関係の無い話のような気がしてし
まうのだ。
「・・・・・これ、静が気に入っていたお菓子だ」
「じゃあ、これも買って行きましょう」
江坂は友春が教えた菓子をカゴに入れた。
続いて行った花屋では ------------------- 。
「サ、サボテン?」
「可愛いと、ブームなようでね」
「・・・・・」
(それって、静のって・・・・・ことだよね?)
とても、江坂がサボテン相手に話をしている姿は似合わない。多分これも、静の趣味の一つなのだろう。
「薔薇の花束では喜ばない」
「・・・・・だって、やっぱり女の子とは違うし」
「性別など関係なく、好きな相手には花束を贈りたいものですよ」
「・・・・・」
「カッサーノ氏も、同じだと思いますが」
「・・・・・」
花束だけでなく、気付けば何かを贈ってくれるアレッシオ。それは自分の気を引く為なのかと思っていたが、贈りたいと思う自分の
為もあるのだろうか。
(ちゃんと・・・・・知らないといけないのかも・・・・・)
目を背けてばかりいたら、真実は見えてこないのかもしれない。
寄り道をした後、車は都心から離れた郊外へと向っていく。その後からまだ何かがついて来ているのかは分からなかったが、江坂
のおかげで友春の気持ちは少し落ち着いていた。
「高塚君、今から少し煩くなるが、君は車の中からは絶対に出ないように」
「え?」
「車は防弾だから安全です」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。何か危ないことがあるんですか?それだったら、江坂さんもこの中にいてくださいっ。江坂さんが怪
我なんかしたら静が悲しむ!」
「・・・・・悲しませるようなことはしない」
「でもっ」
「それに、君が心配するのは私じゃないでしょう?」
「・・・・・そ、れって・・・・・」
「止めろ」
江坂は車を止めさせた。どうやらそこは郊外の大型ショッピングセンターの駐車場のようだ。
(真っ暗だ・・・・・)
午後10時を過ぎた広い駐車場にはほとんど車は無く、明かりの数もかなり少なかった。
「・・・・・」
友春には周りの様子は全く分からなかったが、江坂はまるで暗闇の中に姿が見えるかのように視線を向け、スーツの内ポケット
に手を入れる。
「!」
その手に握られた拳銃を見て、友春は思わず狭いシートの上を後ずさってしまった。
「あ・・・・・ご、ごめんなさい」
優しくしてくれた江坂を怖がるような真似をした自分を瞬時に恥ずかしく思うが、江坂はそんな友春の行動を気にした風は無く、
むしろ少しだけ苦笑を零しながら言った。
「静さんには秘密に」
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