LOVE TRAP











                                                                                    
『』の中はイタリア語です。





 イタリアにいた数ヶ月の間、数は多くないものの、友春はアレッシオにパーティーに連れ出されていた。
それは身内のものという小規模なものだったらしいが(それでも百人近くの参加者がいたが)、どこでも友春は奇異と蔑みの目で
見られていた。
 黄色い肌の日本人。
首領に抱かれている男妾。
言葉は分からなくても、何を言われ、思われているかは分かる。
 それでも、友春はそれを仕方が無いことだと諦めの思いで受け入れていた。
イタリアまで来たのは、けして友春がアレッシオを追い掛けたからだというわけではないし、行きたくて行ったわけではない。
それでも、自分が何と言おうとこの地ではアレッシオの言葉が絶対だということを、友春は短い間に身に沁みて感じていた。

 その行く先々のパーティーでも、アレッシオに向ける女の熱い視線は多かった。
イタリアマフィアの首領という裏の顔がありながらも、表の世界でも政財界で大きな発言力と地位を持つカッサーノ家の家長。
 「ドン・カッサーノ」
 「カッサーノ様」
 「アレッシオ様」
 強く、若く、そして美しい。まだ独身のアレッシオに見初められ、カッサーノ家の女主人という地位につきたがる女は多く、直ぐ傍
にエスコートをされて友春がいても、その積極的なアプローチは途切れることは無かった。



(この人が・・・・・ケイ、の?)
 婚約者候補というのならば、この女性もそれなりの家柄なのだろう。
豊かな黒髪も手の爪先まで、かなり金をかけて手入れをされているのが分かるし、着ている服もきっと友春の想像とは桁が違う
のだろう。
 「ケ、ケイの、婚約者・・・・・?」
 「候補の1人だといっただろう。これでも私は独身で、それなりの金と地位もある。私の妻の座を願う人間が複数いてもおかしく
は無いだろう?」
 「そ、そう、ですね」
 「まさか、こんなところまで来るとは思わなかったが」
 「・・・・・」
 「それだけ、私の妻となりたいのか」
 「・・・・・っ」
(ケイの、奥さん)
 ごく当たり前の話だ。
アレッシオほどの家柄の人間ならば既に結婚していてもおかしくは無いはずで、友春のような傍に置いておいても何の得にもなら
ないような、それも男のことなど、結婚してしまったら忘れてくれるかもしれない。
 目の前にいるような美しい花嫁と、アレッシオに似た子供・・・・・。
(・・・・・どう、して?)
そうなれば、きっと自分は今の生殺しのような状態から解放されると思うのに、同性に抱かれるという現状から逃れられるのに。
素直に嬉しいと安堵の溜め息をつけない自分が・・・・・ここにいる。
 『・・・・・クラウディア』
 じっと友春を見つめていたアレッシオが、ゆっくりと女を振り返る。
アレッシオの眼差しが自分から離れるのに・・・・・少し、胸がざわめいた。



 完璧にメイクをほどこされた美しい顔に計算されつくした笑みを浮かべて、クラウディアはアレッシオを振り返った。
(その顔に、私が懐柔されるとでも思っているのか)
クラウディアは美しい女だ。自分以外の人間が見ても、多分ほとんどの者がそう思うだろう。
 しかし、それだけだ。
クラウディア程度の女ならばイタリアには捜せば必ずいるだろうし、それと同等の家柄の適齢期の女もいるはずだ。特出したものを
持たなければ、クラウディアがアレッシオに選ばれる可能性は低いことは分かっているはずだ。
(この女が、せめてベッリーニ家のルイージほどに狡猾で度胸があればな)
 まだ、アレッシオの視界に留まることが出来たかもしれないが。
 『悪いが、お前とディナーを取るつもりはない』
 『あら、そんなことをおっしゃってもよろしくて?』
 『・・・・・』
 『私はあなたの全てを知っているつもりだけれど』
赤い唇がゆっくりと動いている。
 『私が、どうしてここにいると思う?そのことをよく考えて欲しいわ、アレッシオ』
 『・・・・・』
(馬鹿が・・・・・)
 アレッシオと友春の関係を全て知っているというのが切り札だというのだろうか?
イタリアマフィアの端に名を連ねているベッリーニ家が何時でも友春の命を狙えるのだと、あんにアレッシオに伝えているつもりなのだ
ろうが・・・・・そもそもそこが間違いだ。
 カッサーノ家とベッリーニ家ではあまりに格が違い過ぎる。
(トモの身辺は24時間優秀なSPに見張らせている。どんな人間が手を出そうとしてきても、その寸前で必ず始末が出来るほど
の、な)
 友春も、アレッシオが自分にSPを付けているということは知っているだろうが、それはわざと気配が分かるようにした者だけで、そ
れ以外の、本当に力のあるSPの姿も名前も、アレッシオ以外誰も知らないはずだ。
(この女も気付いてはいないだろうな)
 『・・・・・お前は、どうしたいんだ』
 『分かっているでしょう、アレッシオ』
 自分の要求をアレッシオがのんだと思ったのだろうか、クラウディアは更に笑みを深くして歩み寄ると、細い腕をアレッシオの首に
回し、豊満な胸元を押し付けてきた。
途端に甘い香りがアレッシオを襲う。獣の匂いを隠す為の、意味の無い鎧のつもりだろう。
 『私はあなたに選ばれたいだけ』
 『・・・・・』
 『アレッシオ』
 『クラウディア』
 アレッシオがその名を呼ぶと、唇を笑みの形にしたままクラウディアは目を閉じた。
その顔を無感情に見下ろしながら、アレッシオはゆっくりと唇を重ねた。
口紅の味がする唇を舐め、迎え入れる為に開いた口腔内に当然のように舌を差し入れて絡める。
 『ふっ・・・・・んっ』

 クチュ クチュ

 舌の絡まる音がする。
クラウディアは積極的にアレッシオの舌に自分の舌を絡め、官能的に身体を擦り付けてくる。
 『・・・・・』
 その様子を無表情に見下ろしていたアレッシオは、
 『あっ?』
いきなり自分の首にしがみ付いていたクラウディアの腕を掴んで放すと、そのまま顔を離し、クラウディアのスーツの襟元で自分の
唇に付いた口紅を拭った。
 『ア、アレッシオ?』
 『不味いな』
 その言葉が何を指しているのか、さすがにクラウディアも分かったのだろう。たった今までうっとりとキスに身を委ねていたクラウディ
アの顔が、みるまに怒りに赤く染まっていった。
しかし、その眼差しも、アレッシオには全く何の感情も呼び起こさない。
 『アレッシオ!』
 『・・・・・お前にその名を呼ぶことを許した覚えはないが』
そう言ったアレッシオは、呆然と立つクラウディアにあっさりと背を向けた。



 今、目の前で起こったことは現実なのだろうか?
まるで映画のワンシーンのようだった、美男美女のキスシーン。しかし、その後あっさりとアレッシオは女の腕を振り払い、早口に何
かを言い捨てて友春の方へと向き直った。
 「トモ」
 「ケ、ケイ?」
 どうしたのだと、訊ねることは出来なかった。それは、そのままアレッシオが友春の唇にキスをしてきたからだ。
 「ふぅ・・・・・ぐぅっ」
さっき見たキスとは、まるで・・・・・熱が違う。映画のような、綺麗な絵のようなキスとは違い、今友春に与えられているのは貪るよ
うな情熱的な口付けだ。歯列を割って進入してきたアレッシオの舌は、友春の口腔内を隅々まで味わうように犯し、唾液の一
滴まで奪うように啜る。
 息継ぎが上手く出来なくて友春は顔を逸らそうとしたが、アレッシオはそれを許さないかのように顎を捉えてきて、アレッシオが満
足するまで口腔内を犯された。
 「・・・・・っつはあっ」
 どのくらい経ったのだろう、ようやく口付けから解放された友春は、荒く息をつきながらアレッシオの胸元に縋ってしまう。
その身体を、アレッシオは強く抱きしめ、笑みを含んだ声で言った。
 「やはり、お前の唇は甘い」
 「ケ・・・・・イ?」
 「エサカ」
 「はい」
 「・・・・・っ」
(江坂さん、いたんだっ)
 それまで、すっかり江坂の存在を忘れていた友春は、とても挨拶とはいえない濃厚なキスをしたところを見られてしまったかと思
うと恥ずかしくて顔が上げられなかったが、アレッシオはそんな友春の頭を抱いたまま淡々とした口調で言った。
 「この女をどこかのホテルに押し込め」
 「どこでもよろしいのですか?」
 「一応、ベッリーニ家の人間だ。バスくらいは付いているホテルにしてやれ」
本来ならこのまま放っておいても構わなかったが、友春の家の近くにゴミは捨て無い方がいいだろう。



(バス、か)
 つまりは、その程度のホテルで十分だということだろう。
江坂もベッリーニ家のことは知っていた。さすがにその内情までは詳しくは把握していないが、カッサーノ家と手を結ぶ際にイタリア
のマフィアの動向は調べておいたのだ。
 『ミス』
 内心馬鹿な女だと思いながらも、口調だけは丁寧にクラウディアに声を掛ける。すると、まるで睨むような眼差しを向けてきた。
 『何っ』
 『ミスター、カッサーノがホテルにご案内するようにと。よろしいですか?』
 『・・・・・アレッシオが?』
 クラウディアの声の中に、僅かな喜色を感じたが、江坂はそれには答えずに淡々と告げる。
 『ベッリーニ家のご令嬢に相応しい部屋をご用意しますので』
 『当然よ』
そう強気で言いながら、クラウディアの眼差しはアレッシオと、その腕に抱かれている友春に向けられている。
その視線の中にあまり良くない類の色を感じたものの、江坂はここでアレッシオに注意を促そうとは思わなかった。そんなことをすれ
ば、クラウディアのプライドはますます傷付くだろう。
それでも、日本にいる間は問題が起きないようにと、江坂は目を光らせなければならないだろうと思っていた。



 「トモ」
 アレッシオは友春の髪を優しく撫でながら言った。
 「邪魔が入ってしまったが、そろそろ行こうか」
 「え?」
 「トモの家に」
 「あ、え、ほ、本当に?」
今の女の出現で、その直前の会話のことをすっかり忘れていた友春は、改めて実家に向かおうというアレッシオを止める言葉が直
ぐには見付からなかった。
彼は直ぐには2人の関係を話さないとは言っていたが・・・・・。
 しかし、友春自身は、いったい両親に何と紹介していいのか分からない。
正直に店の援助をしてくれた人だと言えば、自分との関係を問われるのは間違いが無いだろう。実直な性格の父と、大人しい
母が、自分が男に抱かれていると知ったら・・・・・どんなにショックだろうか。
 「ケ、ケイ」
 「行くぞ」
 住居兼店はもう直ぐそこだ。
 「あ、あのっ」
 「始めに、何と挨拶をしたらいいだろうな」
 「挨拶って、別に・・・・・っ」
 「大切なトモとの関係を、しっかり分かってもらわなければな」
 「・・・・・っ」
(僕と、ケイの関係?そ、そんな・・・・・の・・・・・)
奪う者と、奪われる者。支配する者と、支配される者。食う者と、食われる者。
どう考えても・・・・・自分達は平等な関係とは言い難い。
(ケイ、いったい、父さん達に何て言うつもりなんだろう・・・・・)
 最近、彼の言動が優しくて、友春は時々、自分は自分の意思でアレッシオの傍にいるのではないかと思ってしまう時があった。
しかし、それは間違いだ。
 「ケイッ」
 「行くぞ、トモ」
 「・・・・・」
(どうしよう・・・・・っ)
 両親に自分達の関係を知られたら、それこそ雁字搦めに縛られて逃げ出せなくなってしまう。
友春はアレッシオに腕を取られて歩きながら、自分の運命が面前に突きつけられているような気がしていた。






                                            







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