LOVE TRAP
4
『』の中はイタリア語です。
友春の実家の呉服店は住宅街の一角にある。
大きな店ではなく、父で二代目となるその店は、去年の暮れにアレッシオの出資で大々的に店を改装していた。もちろん友春の
方からねだったわけではなく、アレッシオの方から言い出したのだが、両親はその存在を今だ知ることは無かった。
全く着物とは関係の無いアレッシオの代わりに間に入ってくれたのは京都の大きな問屋の主人で、多分両親は融資をしてくれ
たのも日本人だと思っているはずだ。
(いきなりケイが現れたりしたら・・・・・っ)
せめて、自分の口から前もって何らかの説明をしておきたい。
「ケ、ケイ、あのね」
「トモ」
焦ったようにアレッシオに話し掛ける友春に、甘い声が割って入った。
「お前が心配することはない」
「で、でもっ」
「お前が思っている以上に、私は日本の文化に造詣が深いつもりだ。お前は私の隣でただ笑っていてくれたらいい」
「そ、そんなことで?」
「お前が私の隣にいる。それが一番大切なことだ」
そう言ったアレッシオは、友春の頭を軽く引き寄せてその額にキスをしてきた。
(なかなかいいな)
実際に見た店の内装は自分が注文した通りで、古さの中にもスタイリッシュな雰囲気もあって、普通の呉服屋とは少し違う雰
囲気を醸し出している。
アレッシオはその出来に十分満足して、目の前で畏まっている友春の両親に改めて視線を向けた。
(・・・・・トモは、母親似か)
父親も母親も、痩せて大人しそうな雰囲気だが、どちらかといえば母親の柔らかな面差しが友春に共通しているように見える。
親子だなと分かり、アレッシオは思わず頬を緩めてしまった。
「友春、じゃあ、こちらが・・・・・」
「う、うん。改装資金を援助してくれたのは、ケ・・・・・カッサーノさんだよ」
「これは・・・・・お礼が遅れまして申し訳ありません。本当にありがとうございました」
深く頭を下げる2人に、アレッシオはファミリーの人間にも聞かせないような穏やかな口調で言った。
「頭を下げないで貰いたい。私はこのトモの家に援助をしたいだけだから」
明らかに日本人ではない容姿のアレッシオが流暢な日本語を操るのが不思議だったのだろう。2人共しきりに友春の方へと視線
を向ける様が、怯える友春の姿に重なって楽しい。
(本当に、親子だな)
こじんまりとした応接間に通されたアレッシオは、背筋を伸ばしてきちんと畳に正座をした。
「私とトモの関係だが」
「・・・・・」
いきなりそう切り出したアレッシオの腕を、友春がとっさに掴んでくる。その手を軽く叩くと、アレッシオは言葉を続けた。
「私の会社が、トモの大学にイタリアへの留学を斡旋した」
「留学?では・・・・・」
「私は母親が日本人で、この通り日本語も話すことが出来る。その上で、日本の社会や文学のことにも興味を持ち、ちょうど
実家が呉服店を営んでいたトモを選んだ」
「そ・・・・・だったん、ですか」
呆然と声を出す父親に、アレッシオはさらに華道の家元に嫁いだ母親の友人の名前を出した。
「ご存知だとは思うが、私はその家元とも親交があって、若いが師範の免除を持っているトモを推薦された。突然のことで、こち
らに挨拶をさせる間もなく連れて行ったことは、本当に申し訳なかった」
アレッシオは頭を下げた。普段ならば他人に対して頭を下げることなど考えられなかったが、友春の両親に対してならば少しも苦
ではない。
「トモには、短い間だったが色々と教わった。これはほんの礼の一つだと思ってくれ」
(ケイ・・・・・ちゃんと話してくれてる・・・・・)
アレッシオは少しも自分達の肉体関係を匂わすようなことは言わなかった。誠実に、真摯に、友春に感謝の念を抱いていること
を伝えている。
「・・・・・」
「・・・・・」
両親は顔を見合わせていた。
アレッシオの言葉を全て嘘だとは思わないだろうが、それでもイタリアから戻ってきた当初の友春の憔悴振りもよく知っている両親に
とっては、今回のことをどう考えればいいのか分からないに違いない。
「父さん・・・・・」
「友春、私達は・・・・・融資を受けても良かったのか?」
「え?」
「この店をどうにかすれば、何とか直ぐに支払いは出来るかもしれない」
「・・・・・」
(父さん、もしかして・・・・・)
寄付では無いのだ。融資の金は、ほとんど無利子に近い金額で、月々支払える範囲で返しているが、それを一括で払った方
が友春の為にいいのではないのかと父は考えてくれたらしい。
表向きは、紳士的で、誠実に見えるイタリア人。しかし、この男が自分の息子にとってどんな存在なのか、心配してくれる父の気
持ちが嬉しくて泣きそうになるのを我慢した友春は、いいんだと首を横に振った。
「カッサーノさんが、うちの家業をいいものだと認めてくれたんだ。借りたお金は、払える範囲で返していこうよ」
「友春・・・・・」
「僕も、手伝うから」
「・・・・・そうだな」
どうしたらいいのかと、心配で心配でたまらなかった両親との対面。しかし、アレッシオは強引に話を進めようとはしなかった。それ
だけでも友春は嬉しかった。
「ケイ・・・・・」
「お前と両親は似ているな。静かで、控えめで・・・・・強い」
そう呟いたアレッシオは、隣に座る友春の顔を見下ろして苦笑を零した。
友春の両親は夕食をと勧めてくれたが、まだ時間が早いことと仕事があるということを理由に、アレッシオは友春を連れて実家
から出た。
「ケイ、仕事なら僕は・・・・・」
「嘘も方便」
「え?」
「日本ではそう言うんだろう?お前と2人きりになりたいとは言えないからな」
「え・・・・・」
今回日本に来た目的は三つ。
カッサーノ家の首領としての仕事と、友春の両親に会うこと。
そして、友春と久々の愛を確かめ合うことだ。
(一応顔を出したんだ、このままトモを連れ歩いたとしても心配はしないだろう)
何も言わなくて家に帰さないのならばまだしも、こうして一応挨拶は済ませた。これで一週間家に帰さなくて、友春の両親が自
分達の関係を悟ったとしてもアレッシオにとっては何の問題も無い。
「夜は何を食べたい?」
「あの、ケイ」
「ん?」
「・・・・・さ、さっきの、人、ですけど」
「さっき?誰のことだ?」
友春が何を言おうとしたのかを察したアレッシオはわざと惚けた。
「エサカのことか?あれなら明日会う予定だから今は考えなくてもいい」
「ち、違います。江坂さんじゃなくって」
「他にいたか?」
「・・・・・ケイ、あなたの婚約者という女の人、です」
「候補、だといっただろう?」
クラウディアが勝手にアレッシオのフィアンセと言い張っているだけで、正式な書面を交わしたわけではないし、セックスをしたわけで
もない。
そもそも、アレッシオにとってクラウディアはその視界の端にも入らない人間だ。
(・・・・・いや、トモを傷付けようとしただけ、制裁を加えなければならない相手だ)
そんな女を友春が気にする必要など全く無い。
「トモ、私は誰とも結婚する気はない。いや、トモがイエスと言ってくれれば、喜んで私の籍に入れるが」
アレッシオの力であれば、友春自身の承諾ももちろん、両親のそれも全く必要なく手続きは出来るが、あまりに強引にして友春
が再び自分から逃げようと思うのだけは避けたかった。
(ようやく私のことを受け入れ始めたんだ、慌てることはない)
心は完全ではないものの、その身体は既にアレッシオのものだ。じっくり自分の手の中に堕ちてくるのを待つのもまた、楽しいものだ
と思っていた。
友春の意思を聞いてくれるくせに、アレッシオは強引に友春を連れ出した。
都心のブランドショップを回って友春に服やアクセサリーを買い与える。どんなにいらないと言っても、
「私が着飾ったお前を見たいだけだ」
そう言って少しも譲ろうとしない。
「ああ、良く似合う、トモ」
「・・・・・」
友春自身が選ぶ服とは一桁どころか二桁以上も違う服を着せられた友春は、緊張で身体を固くしたまま高級イタリア料理店
へと足を踏み入れた。
「エサカが予約を入れておいた店だ。味も雰囲気も保障出来ると言っていたが・・・・・あの男は趣味がいい」
「・・・・・」
(もしかして、静も来たことがあるのかも・・・・・)
友人である静は自身も裕福な家庭に育っているが妙に庶民感覚の持ち主だ。それでも、やはり場慣れしているせいか、一緒
に食事に行った時もマナーも食べ方も上品で綺麗だった。
静のことを思い出した友春は少しだけ緊張が解れて、引かれたイスにそっと腰を下ろす。友春も、アレッシオに付き合っているう
ちに、何時の間にかそれなりのマナーは身体が覚えた。
「トモは野菜が好きだったな。肉と魚では?」
「さ、魚を」
「ワインはどうする?」
「僕は飲みません。ケイも」
「分かっている。トモの為に酒の量は減らしているぞ」
「・・・・・」
(本当かな・・・・・)
友春の知っているアレッシオは、まるで水のようにワインを飲んでいた。飲み過ぎないようにと友春が注意してからはその量を減ら
したとは言っていたが、イタリアまで友春の目が届いているわけではなく、実際にどうなのかは全く分からなかった。
そんな友春の思いが眼差しから読み取れたのか、アレッシオはワイングラスに伸ばしかけた手を止めて肩を竦めてみせる。
「トモは疑り深い」
「ご、ごめんなさい、でも・・・・・」
(ケイはお酒に強いから・・・・・)
どのくらい飲んだのか、酔っているのか、友春には全然分からないのだ。
「ほら、トモ。お前は少し飲みなさい。何時までも私の前で緊張されていると寂しい」
「あ・・・・・」
アレッシオの言葉に、慌ててワイングラスに手を伸ばす友春。アレッシオは自らグラスにワインを注いでやった。
「舐めるだけで構わない」
「・・・・・はい」
この後、久し振りにゆっくりと友春の身体を愛する。少しは酔って身体を柔らかくして欲しいが、酔い過ぎで寝てしまったり、気分
を悪くされても困るのだ。
(量は私が制限をすればいいか)
「食事を運んでくれ」
「はい」
個室の中は広さも申し分なく、調度もイタリアから輸入しているのだろう、肌に馴染むというか・・・・・落ち着く。
これが本当にイタリアの自分の屋敷で、こうして友春が向かいに座ってくれていたらと想像してしまうが、今は本物が目の前にいる
のだから我慢しよう。
「トモ」
「は、はい」
「・・・・・」
「・・・・・どうしたんですか?」
「ん?」
「なんだか・・・・・嬉しそうに、見えるから」
「当たり前だろう。お前が目の前にいるんだから」
きっぱりとそう言うと、友春の顔が見る間に赤く染まっていく。色白の肌のその変容は艶やかで、ここが店でなければこのままテー
ブルの上に押し倒したいくらいだったが、ここでそんな真似をすると、今夜の楽しい時間がなくなってしまうかもしれない。
(ベッド以外のセックスは、トモは恥ずかしがっていたが・・・・・身体は喜んでいたな)
イタリアの屋敷では、プライベート空間では人目など気にせずに友春の身体に触れていた。今、こんなに友春に触れる時間の
間隔が開いていることが信じられないくらいだ。
「顔が赤い」
「ケ、ケイが、変なこと言うからっ」
「変なこと?お前といることが嬉しいと言うのはおかしなことではないだろう?セックスという言葉も言ってないくらいだ」
「わーっ」
「トモ、行儀よく」
「・・・・・っ」
友春はその言葉を理不尽だというような眼差しでアレッシオを見つめてくるが、アレッシオにとってはその目は自分を誘っているとし
か思えなかった。
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