LOVE TRAP











                                                                                    
『』の中はイタリア語です。





 【夜分、申し訳ありません】

 電話の相手は香田だった。
時差を考えての言葉だろうが、全てに気配りの出来る男の夜分の連絡に、アレッシオは何かがあったのだろうと直ぐに予想がつく。
だからこそ、日本語のまま言葉を続けた。
 「前置きはいい、どうした」
 【ジュリオが射殺されました】
 「・・・・・誰にだ」
 【今はまだ判明していません。早朝・・・・・こちらの時刻で午前6時頃、ご自分で屋敷から出られた所は召使いが目撃をしてい
ます。それから一切連絡は無く、約11時間後の本日午後5時頃、アグリジェントの遺跡近くで、頭に2発の銃弾を受けた死体
で発見されました。屋敷に連絡がきたのは15分ほど前です】
 アレッシオは時計を見た。
午前2時少し前で、日本との約8時間の時差を考えれば、今向こうは午後6時。そうすると、1時間弱でジュリオの身元が判明
したということだ。
 愚かではないが、それ程優秀とも思えない地元警察が、なぜそんなにも早く身元が分かったのだろうか。
 「身元が分かる物があったのか?」
 【いえ。所持品は一切ありませんでした。ただ、偶然にも死体を調べた医師とジュリオが同級生だったらしく、そこから身内のもの
へと連絡が行き、こちらへと】
 「皮肉なものだな」
 【金の要求などは一切ありませんでしたし、他の組織も動いておりません】
 「大体、私ならともかく、ジュリオの命を奪っても仕方が無いだろう」
 屋敷の中で大きな権限を持っているとはいえ、所詮執事だ。あの初老の男に価値など・・・・・いや。
 「・・・・・情報を持っていたな」
 【それは私も考えました。しかし、殺してまで奪おうとするような情報があったとは・・・・・】
 「他には?変わったことはなかったのか?」
 【直接関係あるのかどうかは分かりませんが、ベッリーニ家のルイージ様から2度ほど電話がありましたが】
 「・・・・・なるほど」
(ベッリーニ家の仕業か)
アレッシオはようやく、なぜクラウディアが友春のことや、その実家のことまで知っているのか、その理由が分かったような気がした。
クラウディアに、いや、ベッリーニ家に、友春の情報を漏らしていたのは、今回の来日で同行していた部下ではなく、ジュリオだった
のだろう。
 自分の主人が日本人の男に骨抜きになっていることをよく思っていなかったジュリオは、それとなくというよりは・・・・・少し強引に
アレッシオとクラウディアを引き合わせようとしていた。
 そもそも、今回の来日の日程はジュリオと香田には伝えてあったのだ、そこからどうしてクラウディアが繋がらなかったのだとアレッシ
オは今更ながら後悔した。
 【アレッシオ様】
 「おそらく、これ以上ジュリオと手を結んでも仕方が無いのだと見切りをつけたんだろう。実際、対外的には既にお前の方を立た
せているし」
 【・・・・・ご遺体は、ご家族に?】
 「血が繋がっているかどうかは知らないが、名目的にはナポリに息子がいたはずだ。戻る時に私も祈りを捧げに行くと伝えてくれ。
後、仇は必ずカッサーノ家が取ってやると」
 【はい】
 電話を切ったアレッシオは、そのまま部屋に備え付けてあるバーカウンターに入ると、特別に用意されていたらしいワインセラーか
らワインを取り出した。
(勝手なことをやってくれる)
 いくら、いずれ手放すつもりの使用人でも、今はまだカッサーノ家の執事という立場の人間だった。その身内に手を掛けられて、
このまま見過ごすことは出来るはずがない。
 『私も甘く見られたものだ』







 「ん・・・・・」
 唇に何かが触れる。
少し濡れた、硬くて・・・・・。
(あま・・・・・い?)
その匂いが何かを確かめたくて、友春はなかなか開かないまぶたをようやく開けた。
 「あ・・・・・」
 「おはよう、トモ」
 「お・・・・・は、よう、ございます・・・・・」
 友春は自分の顔を覗き込んでいる艶やかな碧色に、辛うじて朝の挨拶を返したが、どうして自分がここにいるのか一瞬分から
なかった。
 「イチゴ、好きだろう?」
 「・・・・・いちご?」
 どうやら、友春の唇に触れていたのは、アレッシオが指先で摘んだイチゴだったようだ。
イタリアにいた頃、濃い味付けの食事が苦手で食が細くなった友春の為に、アレッシオは毎日山ほどの果物や菓子を用意させて
いた。
 宝石やドレスを欲しがる女達の要求から比べれば、本当に僅かで些細なものだとアレッシオは何時も言っていたが、友春はそん
な贅沢さに最後まで慣れることはなかった。
 ただ、瑞々しい大ぶりのイチゴは甘くて、よく口にしていたことは確かだったが・・・・・。
(ケイ・・・・・覚えてたのかな)
 「・・・・・あっ」
 ぼんやりとイタリアにいた頃のことを思い出していた友春は、はっと我に返って慌てて身体を起こした。いや、久し振りのセックスに
身体の動きは思った以上に緩慢になってしまったが、それでも何かを探すような眼差しをアレッシオは怪訝そうに見つめる。
 「どうした」
 「あ、あの、家に・・・・・」
 アレッシオと共に家を出てから連絡もしないままに外泊をしてしまった。両親がどんな風に思っているのか怖くて仕方が無いが、そ
れでも連絡をしなければと思ったのだ。
 「私が連絡をした」
 「・・・・・え?」
 「私が夕食の時にワインを勧め過ぎて酔ったと。このままホテルに泊まらせると伝えた」
 「・・・・・」
(いったい、何時の間に・・・・・?)
 夕べは、ほとんど離れることはなく一緒にいたはずのアレッシオが、何時両親に連絡を取ったのか友春は全く見当が付かなかっ
た。
いや、そもそも、アレッシオが自分の両親にそれ程気を遣ってくれるとは・・・・・。
 「お前との未来を考えれば当然のことだ」
 戸惑った友春の気持ちを感じ取ったのか、アレッシオは笑いながら頬に唇を寄せてくる。
そのキスが自然と唇への濃厚なものになるのを、友春はただ目を閉じて受け入れるしかなかった。



 友春に朝のシャワーを勧めたアレッシオは、その姿がバスルームの方へと消えるのを待ってから携帯を手にした。
かける番号は一つだ。
 【はい】
 「私だ」
 時刻は午前9時半を回った頃だが、相手の声は何時もと全く変わらなかった。
 「女はどうしている」
前置きも無くそう言っても、電話の向こうの声に少しのよどみも無い。
 【部屋から出た様子はありません。同じ階とエレベーター、階段と非常階段、ロービー、裏口、業者用通路、全てに人間を配
置しているので間違いはありません】
 「確認をとれ」
 【3分、お待ち下さい】
出来ないということも無いまま、電話は切れた。

 そして、きっかりと3分後 -------------------。
 【確認を取りました、部屋にいらっしゃいます】
 「女に同行していた者達のことも知りたい。直ぐに分かるか」
 【・・・・・少し、時間を頂きたいのですが】
 「正午、ホテルに来れるか」
 【参ります】
 「では、エサカ、漏れのない報告を頼むぞ」
 【はい】
 改めて言葉で言わなくても、きっと江坂のすることに漏れはないだろうが、これは一種の脅しとして受け止めてもらわなければ困
る。全ては友春の安全のためなのだ。
(向こうでジュリオの口を封じたことはクラウディアにも伝わっているだろう。後はあの女が・・・・・どこまで愚かかということだ)



 「・・・・・」
 友春は服を着てアレッシオの前に立った。
 「ああ、似合っている」
 「・・・・・ありがとうございます」
昨日、スーツと共に買った普段着のシャツと綿のズボン。少し大人しめで、それでも普段の友春の服よりも明るい色使いで、な
により金額はとても普段着とは思えないものの着心地のよさはかなり良いと言っていい。
 本当なら、こんなものまでいりませんと言いたいところだが、友春が遠慮をすると、

 「気に入らないのか?」

そう言って、さらに高額な服を買い与えてくるのはよく分かっている友春は、とにかくこれ以上は何も買わせないようにと素直に服
を着ていた。
 「あの、今から江坂さんに会うんですよね?」
 「そうだ。エサカのボスと会う」
 「じゃ、じゃあ、僕は一度家に・・・・・」
 「NO」
 「ケイ」
 「私が日本にいる間は、お前は必ず私の傍にいなければならない。・・・・・分かるな?トモ」
 「・・・・・はい」
 友春は目を伏せる。
(どうして・・・・・こんな言い方をするんだろ・・・・・)
優しい人だと思い始めた矢先、まるでそう思われたくないかのように、アレッシオはこんな風に頭から命令するように言う。
それが、彼の育った環境とか、今の立場からというのも分かるが、こんな風に頭を押さえつけられていては何時まで経っても友春は
真っ直ぐにアレッシオを見つめることが出来ないような気がするのだ。
いや。
(そんな風に・・・・・僕は理由をつけているのかな・・・・・)
 自分の気持ちをはっきりと認めないために、わざとアレッシオの嫌な面を見つけているのかもしれない。友春はその考えが違うとは
言い切れなかった。



 正午。
アレッシオが友春を伴ってホテルのロビーまで降りると、既に江坂は数人の部下を連れて待っていた。
 『ホテルはどうでしたか』
 『極上のスプリングだった』
 『それは良かった』
 「・・・・・っ」
 イタリア語でのその会話が分かるのは、アレッシオのガードと友春ぐらいかもしれない。友春は顔を真っ赤にしたが、ガードの男
達は少しも表情を動かさなかった。
 「エサカ」
 「書面でよろしいですか?」
 「ああ」
 アレッシオは江坂が差し出した書類に素早く目を通す。
日本語でもなく、イタリア語でもない、英語で書かれたその報告書は、きっとアレッシオのガードにもその内容を簡単には知らせな
いための心配りだろう。
(・・・・・2人、行方が分からない、か)
 クラウディアが連れてきたのは、マフィアの娘らしく十人ほどのガードと部下だが、その中で今現在クラウディアが滞在しているホテ
ルに同行していない者が2人いた。
 「居所は」
 「申し訳ありません、今もまだ報告が上がっていません」
 時間稼ぎではなく、正直にそう言って頭を下げる江坂はいっそ潔い。
調べろと言ってから2時間半。ここまでの動向を調べたのは立派だといっていいが、アレッシオは労う言葉は掛けなかったし、江坂
も中途半端な仕事を褒められたくはないだろう。
 「予定は」
 「変更はしない」
 「・・・・・彼はどうされますか?」
 ちらっと友春に視線を向ける江坂に、アレッシオはきっぱりと言い切った。
 「同席はさせないが連れて行く」
 「・・・・・」
 「いいな」
 「・・・・・はい」
 マフィアの首領とヤクザの組長の顔見せに、一般人の、それも大学生の友春を同席させようとは思わない。それでも、一時でも
視線を離した場合、もしも・・・・・と、いうことを考えれば、アレッシオは友春を自分の目が届くところに置いておきたかった。
そして、異例なアレッシオの言葉に、江坂も反論せずに頷いた。今朝からのアレッシオの言動に、何らかのアクシデントな響きを感
じ取ったのだろう。
 「彼には私が信用する人間をつけましょう」
 「お前の信用か・・・・・それは心強いな」
 「・・・・・」
言葉の中に含んだ称賛に、江坂は僅かに目を細めた。