LOVE TRAP











                                                                                    
『』の中はイタリア語です。





 江坂が迎えに来てくれ、そのまま友春はアレッシオと共に車に乗り込んだ。
どこに行くのかと聞かされないまま、それでも周りの気配を探るとなんとなくだが予想は出来る。きっと・・・・・友春自身は近付きた
いとも思わない相手に会いに行くのだろう。
(一週間・・・・・こんな感じなのかな)
 アレッシオが日本に滞在している間、自分はこうして飾りの人形のように傍にいなければならないのだろうか。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
少し、座り直そうとして、シートの上で身体を動かすと、まるで逃げるとでも思ったのか、腰を抱くアレッシオの手にさらに力がこもっ
てしまった。
(こんな、車の中でなんて逃げられないのに・・・・・)
 それに、本気で逃げようと思えばホテルの部屋から出る時や、ロビーに下りた時、そして車の乗り込もうとした時など、これまでに
何回も機会があった。
それでも・・・・・友春は逃げずにアレッシオの傍にいるのだ。
恐怖だけで彼と一緒にいることは出来ない・・・・・そんな友春の複雑な気持ちは、今だアレッシオには届いていないようだった。



 殺害されたジュリオ。
友春の自宅前まで現れたクラウディア。
現在所在不明な2人のガード。
 全てを繋げても、答えが簡単に出せるわけではない。ただ、言えることは、自分の傍に友春がいることを面白くないと思っている
人間がいるということだ。
カッサーノ家の首領という立場の自分に、堂々と反意を示そうとするなどいい度胸をしている。
(女を消すのは簡単だが、後々の為にはベッリーニ家に貸しを作った方がいい)
 友春に手を出そうとした者を許すつもりは無いが、むやみに血を流すことも無い。友春を抱く自分の手に、いたずらに血の匂い
を強くしても仕方がないと思っていた。
 「エサカ、トモに付ける人間は?」
 「先程連絡をしまして、直接ホテルに向かわせています」
 「・・・・・」
(・・・・・大丈夫か)
 友春のことは江坂の部下に任せておいてもいいだろう。
その間に、アレッシオは友春を狙う相手の方へと意識を向けることにした。






 今の関東随一、そして日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の最高権力者、7代目現組長の永友治(ながとも おさ
む)が待つホテルに車が付くと、エントランスにはずらりと黒尽くめの男達が並んで立っていた。
(こ、怖い・・・・・)
 老舗の高級ホテルとして名高いここに、見るからにヤクザというような容貌の男達が、これだけの人数いるとは・・・・・友春は思わ
ずアレッシオの背中に隠れてしまった。
 「トモ」
 「・・・・・っ、ご、ごめんなさいっ」
(僕っ、人前で・・・・・っ)
 自分はともかく、アレッシオの立場からしたら、大勢の同業者(?)の前で素人に抱きつかれる姿を見られるのは恥ずかしいもの
のはずだ。
慌てて傍から離れようとした友春の腕を掴んで止めたアレッシオは、そのまま江坂に視線を向けた。
 「エサカ」
 「用意しています。九門(くもん)」
 「はい」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
大勢の男達の中から一歩前に出てきた人物に、友春は思わず目を丸くしてしまった。
 「私の部下、九門あかりです。むさくるしい男よりは、多少はましだと思いましたので」



 「九門と申します」
 丁寧に頭を下げた女に、さすがにアレッシオも目を見張った。
江坂が自ら信用出来る人間と言った人間が、まさか女とは思わなかった。
(日本のマフィアには女もいるのか)
 見たところ、歳は20代後半だろうか。髪はショートカットで、服装はグレーのパンツスーツ。薄くメイクされた容貌は、多分美人と
いえる方だろうが、その眼差しの中には媚も怯えも全く無かった。
 『女か』
 『男を付けるよりはましだと思ったんですが』
 『その女が、トモを押し倒さないとは限らない』
 『・・・・・そうおっしゃられているが、九門』
 イタリア語のまま、江坂は九門を振り返る。
九門は柔らかな笑みを浮かべながらアレッシオを見つめた。
 『ご心配には及びません。私は江坂の信頼を裏切るような真似はしませんから』
 『・・・・・』
綺麗な発音のイタリア語は、付け焼刃で覚えたとはとても思えなかった。多分、元々話せるのか、以前から江坂が覚えさせたかの
どちらかだろう。
 ただ、その話し方や物腰に知的な気配を感じて、アレッシオは隣にいる友春を見下ろした。
 「トモ、この女でいいか?」
 「え?」
 「私が不在の間、お前と共にいる人間だ」
 「ぼ、僕と?」
友春はアレッシオと女・・・・・九門の顔を交互に見ている。
 「ぼ、僕は、どこに・・・・・」
 「出来れば今からの話し合いにお前も同行させたいが、返って落ち着かないだろう。その間、このホテルの別の部屋で私を待っ
てもらうことになるが、その時にお前をガード・・・・・エサカ、ガードは別の人間をつけるのか?」
 「部屋の外には数人立たせますが、九門本人も有段者ですので彼を守ることに不安はありません」
きっぱりと言い切る江坂に、アレッシオは決めた。
 「トモ、しばらくこの女といろ」
 「ケ、ケイ」
 「出来るだけ早く話を終わらせる」



 スイートルームだろうか・・・・・広い広い部屋に、友春は九門という女と一緒にいた。
もちろんドアには鍵をかけてあるので、密室に2人きりという状態なのだが・・・・・友春に変な感情は生まれなかったし、九門も一
切甘い雰囲気は見せなかった。
 「何かお食べになりますか?」
 「い、いえ」
 「では、お飲み物は?」
 「・・・・・こ、紅茶を、お願いします」
 「はい」
 ルームサービスを頼まなくても、ここには小さなキッチンもある。
九門は自ら動くと素早く紅茶を入れてくれ、そのカップをそっと友春が座っている前に置いてくれた。
 「あ、ありがとうございます」
(・・・・・何を話していいのか分からない・・・・・)
 そうでなくても奥手な友春は、綺麗な九門を相手に何を話していいのか分からなかった。同級生の女の子相手でも困るのに、
年上の女性相手では会話の糸口も見付からない。
 それに、自分はあまり九門と親しく口をきかない方がいいかもしれないとも思った。自分には変な気持ちは全く無く、九門にもあ
るはずがないと思うのだが、アレッシオがもしも誤解をしたりしたら・・・・・自分ではなく、九門が困るだろう。
(で、でも、一つだけ・・・・・)
 どうしても気になったことがある友春は、これだけと思いながら恐々口を開いた。
 「あ、あの」
 「はい」
 「あなたは、その・・・・・ヤクザさん、なんですか?」
 「・・・・・」
その瞬間、思い掛けないことを聞かれたように九門が目を見開く。
(き、聞いちゃ駄目だったのかな)
 友春は慌ててしまったが、
 「・・・・・っ」
不意に、九門は綺麗な笑みを浮かべた。歳相応の、本当に女性らしい微笑だ。
 「本当は、私も大東組の人間になりたいんですが、残念ながらこの世界は女を受け入れてくれません」
 「は、はあ」
 「私は江坂のフロント会社の秘書をしています。尊敬するあの方のお力になれるのならと、今回のこともお引き受けしました。ま
さか、こんなに可愛らしい方のお相手とは思いませんでしたが」
 「そ、そんな・・・・・」
 「私に気遣ったり、気を許したりなさることはありません。ただ、私は江坂を裏切る人間ではないとだけ覚えてくださっていたら結構
です」
 「・・・・・はい」
 男と女・・・・・そんな感じには聞こえなかった。
九門の江坂に対する感情は本当に人間対人間の、深い尊敬と信頼が見える。
(・・・・・いいな)
ふと、友春はそう思った。



 大東組の組長は、アレッシオが想像していたよりも若かった。しかし、多分相手の方がアレッシオの若さに驚いただろう。
歳を聞いていたとしても、実際に顔を見るまでは信じられないこの世界、イタリアの有数のマフィアの首領がこんな若造とと、アレッ
シオは誰かに驚かれるのはもう慣れていた。
 「夕食を・・・・・」
 「いや、連れがいる」
 「ご一緒で構わないが」
 「せっかくだが、連れは我々と同じ世界の人間ではない」
 アレッシオは食事の誘いをあっさりと断った。
そして、早々に部屋から出て友春の元へと急ぐ。相手の人となりを見極める為に、最初はイタリア語で話し、それを江坂に通訳
させていたので少し時間が掛かってしまった。
特に何かがあったと報告を受けたわけではないが、今のこの緊迫した時期では少しでも離れている時間が心配だ。
 『アレッシオ!』
 「!」
(どうやってここに・・・・・)
 借り切ったはずのこの階の廊下を歩いていたアレッシオは、急に名前を呼ばれてハッと足を止める。
振り返らなくても、そこにいるのが誰かは分かっていた。
 『どうしてここにいる』
 『あなたに会いによ、決まってるじゃない』
 相変わらず、イタリアブランドのスーツに身を包んだクラウディアは、立ち止まっているアレッシオの腕に自分の腕を絡めた。
 『私は日本に観光に来たわけではないのよ、アレッシオ』
 『・・・・・ジュリオは、役に立たなかったか?』
 『・・・・・アレッシオ、たかが使用人の死をあなたが気にすることなんてないわ』
ペットが死んだと聞いたとしても、もう少し感情の揺れが見えるだろうが・・・・・だが、アレッシオは今のクラウディアの言葉で確信を
した。
(私は、ジュリオが死んだと言わなかった)
 それなのに、他の組織の、それも私邸に仕えている執事の死を知っていたクラウディアは、明らかに今回の事情に関わっている
に違いがない。
(どうするか・・・・・)
 このままクラウディアを拘束するのは簡単だ。しかし、それでは今所在の知れない2人が暴走するかも限らない。
 「・・・・・」
アレッシオはクラウディアを見下ろした。



 来訪を告げるインターホンが鳴った。
反射的に友春は立ち上がったが、
 「私が」
そう言って、九門が玄関先へと向かう。この部屋に来て3時間あまり、思ったよりも早いなと思った時、友春の鼻にあまやかな匂
いが感じ取れた。
(九門さん・・・・・じゃ、ないよね?)
 九門は、こんな甘い香水は付けていなかったはずだ。
(じゃあ・・・・・)
 「トモ」
 「あ、ケ・・・・・」
立ち上がった友春は、アレッシオの傍に立つ女を見て顔が強張った。
(ど、どうして彼女が・・・・・)
 「今から彼女を同伴して夕食をとる。行くぞ」
 「え?ぼ、僕も?」
 「当たり前だ。クモン」
 「はい」
 アレッシオはそれだけ言うと踵を返した。当然のようにアレッシオの腕を掴んでいるクラウディアは、チラッと眼差しだけを向けて口
元を緩める。
まるで自分の方がアレッシオの本命なのだと宣言しているような態度だ。
 「・・・・・」
 「高塚様」
 「・・・・・どうして、僕も行かないといけないのかな・・・・・」
(ケイと、あの人が一緒にいるところを・・・・・見なくちゃ、いけないの・・・・・かな)
 「参りましょう」
 少しだけ口調を柔らかくして、九門は友春を促す。
 「・・・・・はい」
行きたくないと思っているのに口で言うことは出来ず、友春は一瞬だけ唇を噛み締めると・・・・・そのままゆっくりと歩き始めた。