LOVE TRAP
8
『』の中はイタリア語です。
都内の高級イタリアンの店の個室に席を用意され、アレッシオは車を降りてからも自分に纏わり付いてくるクラウディアを腕に張
り付かせたまま歩いていた。
そんな自分達の姿を友春がじっと見ているのは知っているし、そんな友春を馬鹿にしたような眼差しでクラウディアが見ていること
ももちろん分かっていたが、今だけは・・・・・せめて今夜だけは友春に我慢をしてもらわなければならない。
(この女が男達に連絡を取るのを押さえなければ・・・・・)
アレッシオが自分の魅力に屈したのだと思ったクラウディアは、早々に邪魔になる友春を消そうとさせるだろう。
姿が見えればそのまま捕まえる、いや、少しでも動けばいい。
(その為には、この臭い香水の匂いにも耐えなければな)
石鹸や、シャンプーの香りしかしない友春の身体を早く抱きしめたい。
「こちらでございます」
「・・・・・」
アレッシオは無言のまま、開かれたドアの中へと足を踏み入れた。
「・・・・・」
(あ・・・・・)
部屋の中に用意されていたのは4つの席だった。
中にいた店の人間が、この中で唯一の女性であるクラウディアのイスを引こうとしたが、それを軽くおしとどめてアレッシオがイスを引
いてやる。
そのエスコート振りに満足したらしいクラウディアは笑って席に着きながら、再びチラリと友春に視線を向けてきた。
コノオトコハ ワタシノモノヨ
言葉よりも雄弁に伝えてくるその眼差しに何と言葉を言い返すことも出来ず、友春はイスを引いてくれた店の人間に小さな声
で礼を言いながら座る。
(・・・・・僕、場違いなんじゃ・・・・・)
部屋の中にいるのはアレッシオと、自分と、クラウディアだけで、店まで一緒に来てくれた九門は部屋の前で足を止めてしまった
のだ。
しかし、ここに4つの席があるということは、確実にもう1人来るということだろう。
そして、
「遅れまして」
そう言いながら、部屋の中に入ってきたのは江坂だった。
(江坂さんも一緒なんだ)
友春はその姿を見てホッと頬を緩めた。
目の前でアレッシオとクラウディアの2人の様子を見ながら食事をするのはとても出来ないと思っていたし、かといって逃げ出すこと
も出来ないと分かりきっていたので、ここに第三者の存在がいることはとてもありがたかった。
(食事が終わったら・・・・・帰らせてくれないかな・・・・・)
このままクラウディアと一緒にいるのならば、自分という存在は邪魔なだけだと思う。
友春は食事が済んだらそれとなくアレッシオに聞いてみようと、水の入ったグラスに口を付けた。
友春の様子が、江坂が現れた途端に変化したのがよく分かる。
それは、息が詰まりそうだった友春にとっては江坂の存在は救世主のように見えたからだろうが・・・・・もちろんそれは頭の中では理
解出来るものの、アレッシオとしては全く面白くない。
「エサカ」
「はい」
「どうだった」
「まだでしたね」
「・・・・・」
(まだか・・・・・)
行方不明の男達はまだ動いていないと言うことだ。クラウディアは何時、男達に連絡を取るのだろうか。
(まさか、このまま何もしないということは・・・・・いや、ありえないな)
たとえこの先自分にとって害が無いと分かっていても、それまでに受けた自分の屈辱を忘れるほどに、クラウディアはおめでたい性
格はしていないだろう。
なにより、クラウディアもマフィアの一家の女だ。外見の美しさと反比例した激しい性格は透けて見える。それを見せてしまうのが
クラウディアの甘いところかもしれないが。
「ミスター」
「分かった」
ここで、これ以上会話は出来ない。
日本語が分からないクラウディアも、ピリピリした気配を感じ取るかもしれないからだ。
「食事をしよう。ワインリストを」
「こちらに」
静かに控えていたソムリエが、アレッシオに向かってワインリストを開いて見せた。
アレッシオの態度が変わった。
イタリアではあれ程そっけない態度を取っていたのに、いや、日本に来た時も、確かに厳しい眼差しを向けてきていたはずなのに、
今は少しだけ気配が柔らかくなっている。
『クラウディア、他のワインは』
『あまり勧めないで、アレッシオ。このまま飲み続けたら酔ってしまうわ』
クラウディアも馬鹿ではない。
アレッシオの態度の急変の意味を考え、頭の中で様々に考えを巡らす。
初めて会ったのは、アレッシオがカッサーノ家の首領になった時、ベッリーニ家に挨拶に来た時だった。
あまりの若さと、イタリア人らしくない涼やかな美貌に目を奪われ、あの男が欲しいと祖母にねだった。
祖母は、半分日本人の血が混じった男をあまりよく思っていなかったらしいが、その後のカッサーノ家の発展を見れば、男の手
腕に目が行くしかなかったようだ。
同じイタリアマフィアといっても、カッサーノ家とベッリーニ家では格が違う。だが、自分とアレッシオが結婚すれば、カッサーノ家も
手に入ったも同様ではないか。
祖母にそう言い続け、祖母もようやく動き出してくれたが、その時にはアレッシオの目は日本人の、それも男に向けられていた。
男に負けるなんて、プライドが許さない。
アレッシオの優秀な遺伝子を次世に受け継ぐことは自分しか出来ないはずだ。
それには、どうしてもあの日本人の男は邪魔だった。
かなりワインも入った食事は、ようやくデザートが出てくる段階になった。
その時、
『少し、失礼してもいいかしら』
『どうぞ』
クラウディアが席を立ち、あれ程飲んだというのに足元もふらつかせないまま部屋から出て行く。
普通に考えれば化粧直しだろうが、アレッシオと江坂の考えは違っていた。
「・・・・・」
アレッシオの眼差しに頷いた江坂は、そのまま少しだけ俯いて小さな声で言う。
「化粧室だ。一言も聞き逃すな」
いきなりの江坂の言葉に友春は戸惑ったようだが、アレッシオはそれがネクタイピンに偽装した発信機に向かって言っている言葉だ
と直ぐに分かった。
「クモンの顔は知られている」
「別の者を向かわせていますので」
「イタリア語は大丈夫なのか?」
「一言一句、正確に聞き取れます」
その言葉に頷いたアレッシオは、席を立って友春の傍へと向かった。
「食欲が無かったようだな」
「い、いえ」
見ていたら、分かる。そうでなくても食の細い友春は、今日はそれ以上に食べなかった。それは、クラウディアの常識の無い香水の
匂いのせいだけではないだろう。
「・・・・・トモ、お前は信じるだけでいい」
「え?」
「私の愛は、お前だけのものだ」
そう言うと、アレッシオは友春の顎を掴んで仰向かせ、そのまま唇を重ねた。
クラウディアが化粧室から戻ってきた時、既にアレッシオは自分の席に戻り、まだワインを口にしていた。
『アレッシオ、まだ飲んでいるの?』
『これくらいで、役立たずにはならないが』
意味深なことを言って、少しだけ口元を緩めるアレッシオは、男の友春から見てもとてもセクシーで、クラウディアは直してきた赤い
唇に笑みを浮かべた。
『あなたが強そうなのは分かるわ、噂でも聞いているし』
『ろくな噂ではないだろう』
『あなたと夜を共にした女は、腰が抜けて立つことが出来ないって。他の男のものなんて子供に見えるそうよ。・・・・・ねえ、アレッ
シオ、今夜はあなたのそのセクシーなものを私にも見せてくれるわね?』
「・・・・・」
目の前で交わされている際どい会話。
友春は耳を塞ぎたかったが、時折感じる熱い視線にそれも出来ない。
「トモ」
「は、はい」
「お前はエサカと帰りなさい」
「え、江坂さんと?あの、家に・・・・・」
「私のホテルにだ。エサカ」
アレッシオが江坂を呼んで、江坂がt立ち上がり、2人はそのまま部屋の隅に行って何か話し始める。
無意識にその姿を視線で追い掛けていた友春は、
『見ないでちょうだい、私のものよ』
「・・・・・っ」
クラウディアのその言葉に、ハッと2人から視線を引き剥がした友春はそのまま俯いてしまった。
『彼にはお前の存在を気にしないと言ったけれど、日本人の、それも男なんかと彼を分けることなんて考えていないわ』
「・・・・・」
『大人しそうな顔をしているくせに、どうせ身体で彼を篭絡したんでしょうけど、元々彼はゲイではないわ。一時の熱が醒めれば
お前は簡単に捨てられる』
「ぼ、僕は・・・・・」
『イタリア語、分かるでしょう?男に足を開くような真似、恥ずかしいと思うのならば、自分からアレッシオに別れを告げなさい、い
いわね』
友春は唇を噛み締める。
何と答えたらいいのか、自分ではもう分からなかった。
「動きました。今場所の確認に走らせています」
「あの女の始末を着ければ私も直ぐに戻るが、その間、お前に任せてもいいな?」
「はい」
出来れば友春の傍から離れたくは無いが、自分が離れないことには友春の命を狙う者は姿を現さない。虫を誘き出すには、少
しの隙は作らなければならなかった。
それに、友春を言葉や態度で傷付けたクラウディアにもそれ相応の罰は負って貰わなければならない。命を奪うことは残念なが
ら出来ないが、誇り高いあの女が死ぬ方がマシだという目には遭わせてやろうと思っていた。
「では、いいな」
「はい」
アレッシオはテーブルの方を振り返る。
丁度その時、クラウディアが椅子から立ち上がっていた。
『クラウディア』
「・・・・・」
こちらを振り返ったアレッシオの眼差しは、確かに自分の存在を捉えたと思う。
しかし、その口から出たのは自分ではなくクラウディアの名前で、友春はその事実に身体を硬くしてしまった。
「高塚君」
そんな友春の傍にやってきた江坂は、そのまま友春の椅子を引いてくれる。
「す、すみません」
「送りします」
「あの、九門さんは?」
「九門は下がらせました。高塚君」
「は、はい」
「九門のことを気に入ってくださったのならばありがたいですが、くれぐれもカッサーノ氏の前でその名前を出さないでいただきたい。
私としても優秀な部下を無くしたくはありませんから」
「あ・・・・・はい」
(それって、ケイが嫌がるって・・・・・こと?)
友春は反射的にアレッシオを振り返るが、当のアレッシオはクラウディアの腰を抱いて、そのまま部屋から出ようとしている。とても今
の自分と江坂の会話は聞こえていないと思うが。
「聞こえていますよ」
そんな友春の疑問が分かったかのように、江坂は何時もは表情の無い整った顔に、少しだけ笑みを浮かべた。
「君のことは何でも分かるんですよ」
「で、でも・・・・・」
「彼は君にきちんと伝えたはずだ。周りの雑音には耳を貸さず、その言葉だけを信じなさい」
「江坂さん・・・・・」
「私の愛は、お前だけのものだ」
(あの言葉を、信じろって・・・・・?)
一度も自分を振り返らずに部屋を出て行くアレッシオとクラウディアの後ろ姿を見送りながら、友春は今江坂に聞いた言葉をじっ
と噛み締めていた。
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