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(こ、怖い、怖い、怖い・・・・・っ)
日頃から大人しい日和は友人達とも喧嘩らしい喧嘩はしたことが無く、こんな風な暴力的な行為(手を掴まれているだけかも
しれないが)や恫喝する言葉を投げつけられたらどうしていいのか分からない。
(こ、これ、秋月さんと知り合っちゃったから・・・・・?)
ヤクザの若頭という秋月。
実際にそれがどんな立場なのか日和は知るはずもなく、ただ言葉の響きだけで怖いと感じるだけだった。それは、自分に対する秋
月は、多少強引なところもあるが基本的に優しいからだ。
日和が嫌だと言っても、似合うからと着物を着せたり、早く帰らないとと訴えても、欲しいからといって抱いたり。
それは、もちろん日和にとって望んでいないことだったが、確実にそれに慣れていっている自分がいる。それが嫌で、怖くて、日和は
口でも行動でも、出来るだけ秋月を拒絶しようと意識していた。
(帰りたい・・・・・帰るから・・・・・放してっ)
こんなことがあると、余計に強く感じてしまう。日和は目を開けないまま、とにかく放してと言い続けた。
「ほ、本当に、何も撮ってないんです、だから、この手を・・・・・」
「・・・・・」
「手を、放してください・・・・・っ」
「確認する」
日和の態度をどう思ったのか、男は日和が強く握り締めていた携帯を取り上げた。見知らぬ人間に携帯を弄られることはあまり
いい気分ではなかったが、これで誤解が解ければ話は早い。
(早く確認してってば!)
携帯のボタンが鳴る音がする。
それを聞いていた日和は、
「・・・・・っ」
「痛っ」
いきなり、自分の腕を掴む男の力が強くなったのに思わず呻いてしまい、そのまま腕を引っ張られて身体の向きを変えられた。
とっさのことに思わず目を開いた日和は、目の前の人物の顔を真正面から見てしまうことになった。
「・・・・・」
(・・・・・こ、この人が、ヤクザ・・・・・?)
目の前にいたのは、秋月よりも少し若いくらいの男だ。
短髪の黒髪に、彫りの深い顔立ち。どこか日本人には見えないような雰囲気の男は、日和よりも頭が一つ分ほども背が高い。
日和の腕を掴んでいる手も大きいし、身体も筋肉質という感じに鍛えてあるのが分かり、これならば自分は簡単に打ちのめされ
てしまうだろうと思ってしまった。
「お前、何者だ?」
「え・・・・・?」
「若頭の携帯ナンバー、これはプライベートなもんだろう?どうしてこれを手に入れた?」
「ど、どうしてって・・・・・」
当然、本人に教えられたからなのだが、正直にそう言っていいのかどうか迷ってしまう。
そんな日和の態度を不審に思ったのか、男はいきなり「Shit!」と叫ぶと、そのまま日和の腕を掴んでマンションへと歩き始めた。
「あ、あのっ!」
「このまま解放することは出来ない。若頭に面通しさせてもらうぞ」
「ええっ」
(秋月さんにっ?)
彼の身体が心配でここまで来たが、かといって部屋にまで会いに行く覚悟が出来ていたわけではなかった。
日和は何とか男の腕から逃れようともがくが、そんな日和の抵抗は男にとって全く意に返さないものだった。
秋月は煙草を吸い続けていた。
以前、日和が身体に悪いと、注意でもなく呟いた言葉でもう半年以上も禁煙していたが、夕べからどうしてもイラつく気持ちを抑
えることが出来なくなってそのまま煙草を買いに行かせた。
「・・・・・まるでガキだな」
欲しいものが手に入らなくてイラつき、まるであて付けるように日和からの電話にも出なかった。
しかし、もしもこのまま秋月の方から連絡を取らなくなったら、それこそ日和は嬉々として自分のことを忘れようとするだろう。
(それは・・・・・)
「・・・・・絶対に、許さない」
自分のことを忘れることも、拒絶することも許さない。こうなったら日和を監禁し、その心にも身体にも自分という存在を刻み付
けてやろうか・・・・・そんな物騒なことを考えていた秋月は、玄関のインターホンが鳴ったのに顔を上げた。
(誰だ?)
ここは日和との逢瀬の為に、組関係の人間にも限られた者にしか教えていない場所で、セキュリティーも十分なのでセールスなど
も来ないはずだ。
「・・・・・」
眉を顰めたまま、秋月はインターホンを見る。そして・・・・・。
「日和っ?」
そのカメラの画面に思い掛けない日和の姿を見て、秋月は思わず立ち上がってしまった。
ロビーでインターホンを鳴らした男は、そのまま番号を打ち込んで厚い扉を開けた。
「あ、あのっ」
「何だ?今更言い訳は聞かないぞ」
「そ、そうじゃなくて、秋月さんは元気なんですか?」
「・・・・・」
エレベーターの前で足を止めた男は、今度こそマジマジと日和を見下ろす。しかし、その目は先程までの何かを疑っているというも
のよりも、何かを探るような視線に変化している。
「お前、若頭とどういう関係だ?」
「・・・・・」
「おい」
(どういうなんて・・・・・俺だって分からないよ・・・・・)
言葉で言い表すことの出来ない不確かな関係。強引に迫られていると言うのもおかしくて、日和は視線を彷徨わせてしまった。
そのタイミングに合わせるかのように、エレベーターが1階にまで下りてきて扉が開く。
「日和っ」
「わ、若頭っ?」
「秋・・・・・っ」
扉が開いた瞬間に中から飛び出してきた秋月が、何時もの余裕に満ちている彼とは思えないほど焦ったような表情で日和を抱き
しめるのを、日和を連れてきた男も、日和自身も、驚いたように見つめるしか出来なかった。
通い慣れた・・・・・と、いうには、まだ居心地の悪い場所。
身体が沈むほどに柔らかなソファに腰掛けさせられた日和は、自分の前に紅茶の入ったカップを差し出す男を見上げた。
男の名前は、エミリオ・山之辺。イタリア人の父と、日本人の母の間に生まれたハーフ(父親は婿養子に入っているらしい)で、秋
月の護衛も兼ねている側近らしい。
「申し訳ありません!」
秋月の態度で日和がどういう存在なのか分かったらしいエミリオは、そう言ってエレベーターホールで日和に土下座をした。
しかし、そうされてしまった日和も、それに対してどうしていいのか分からない。何も言わなかった自分のせいで男が誤解したことは
分かるし、自分よりも年上の相手に頭を下げられるのは居心地が悪かった。
そんな2人の様子に、秋月は何があったのかと直ぐに聞いてきた。
口篭る日和の代わりに男が正直に話してしまったので、日和は慌てて自分が悪いのだと訴えた。もしかしたら、自分のせいでこの
男が何らかの罰を与えられるかもしれないと怖くなってしまったからだ。
だが、秋月はちらっと視線を向けただけで、何の言葉も言わなかった。
そして、そのまま攫われるように部屋に連れてこられた日和は、こうして紅茶と焼き菓子を出されているのだ。
「お前は下がっていていい」
「若頭」
「・・・・・」
「失礼します」
エキゾチックな容貌の男の口から、若頭などという言葉が出てくるのは何だか不思議な感じがする。日和が何気なくその後ろ姿
を見送っていると、いきなり顎を取られて顔を上向きにされた。
「日和」
「は、はい」
「どうしてここに来た?」
「ど、どうしてって・・・・・」
「お前の家からなら、かなり時間が掛かったんじゃないか?」
日和の顔を真っ直ぐに見つめながら訊ねてくる秋月に、一瞬なんと言おうかと考えてしまった。まさか、病気だったらと心配だった
などと素直に言ってもいいものなのだろうか。
(大体、考えれば分かっていたはずなのに・・・・・)
ある程度の地位にいる秋月は、幾ら1人暮らしといえどもエミリオのような護衛がいるはずで、部屋で1人で倒れているなんてこ
とはあるはずがないのだ。そんなことも思い当たらなかったくらいに自分が動揺していたのかと思うと恥ずかしくて、日和はチラッと秋
月の顔を見上げてから・・・・・視線を逸らす。
(どうしよう・・・・・)
「日和」
沈黙は許さないというように、日和の顎を掴んでいる手に力が込められた。
「・・・・・っ」
最近は、以前ほども怖いと思わなくなった秋月だが、今日は何だか自分の知らない人のように思える。
「あ、あの・・・・・」
誤魔化す言葉も考え付かなくて、日和は正直に自分の行動の理由を話した。
「俺を心配して?」
直ぐには信じられなくて、秋月は思わず聞き返してしまった。
その声は秋月自身が思ったよりもきつかったらしく、日和は怒られたと思ったらしい。泣きそうに顔を歪めながら、ごめんなさいと何
度も謝ってきた。
「ごめんなさい、変なこと考えちゃったりして・・・・・」
「日和」
「ごめんなさい・・・・・」
「・・・・・」
(こんなふうに謝らせるつもりなんてないんだがな・・・・・)
どう考えても、日和の頭の中では自分の存在は恐怖の対象らしかった。これを、どうやったら変えることが出来るのか、仕事に関
してはどんな案も浮かぶのに、どうして今に限って何も考え付かないのか。
遊びの女達相手ならば、自分が動かなくても相手の方が擦り寄ってきたのだが・・・・・高校生相手では、いや、本気の相手で
はどうも上手くいかない。
(このままじゃ、俺の方が参る・・・・・)
頑固な日和が完全に自分を受け入れてくれるか、それとも自分があくまでも強引に日和を拘束するか。どちらが早いかは今は
とても分からなかった。
「・・・・・すまなかったな」
「え?」
「お前がここまで来てくれるとは思わなかった」
「あ・・・・・だって、あの・・・・・」
「それが単に寝覚めが悪いからと思っただけだとしても、嬉しい」
「・・・・・」
礼を言うと、日和は複雑そうな表情になった。礼を言われても困ると思っているのかもしれないが、会わない時にでも日和が自
分のことを考えてくれていると思ったらそれだけで嬉しかった。
「飯を食いにいくか」
「あ、で、でも、家に何も言ってないし」
「連絡すればいいだろう?心配するな、遅くならない時間に送って行く」
このまま日和を帰すことはとても出来ず、秋月は強引に食事に連れて行くことにした。今言ったように、早く家に帰してやれるかど
うかは分からないが、それでももう少し日和の時間を独占したい。
「いいな?」
決定したように言えば、日和が断ることが出来ないのも知っている。
そんな卑怯な手を使うしか出来ない自分が情けなかった。
秋月が日和を連れて行ったのは料亭だった。
洋食は、日和がマナーのことを気にして萎縮するのは面白くなかったし、かといって居酒屋などの不特定多数の人間が出入りす
る場所は立場的に難しい。
料亭は入る時こそ敷居が高く感じるかもしれないが、個室であるし、ある程度食事にもリクエストが利くので、日和にとっても気が
楽だろうと思ったのだ。
「いらっしゃいませ、秋月様」
女将は自らが出迎えに来て丁寧に頭を下げてくると、秋月の身体に隠れるように立っている日和にも柔らかな微笑を向けた。
「今日は可愛らしいお連れ様がご一緒ですわね」
「若い子が好きそうな物を用意してくれているか?」
「まあ、若い子なんて・・・・・秋月様も私と比べるとまだまだお若くてらっしゃるのに」
50を幾らか過ぎたくらいの女将の言葉に苦笑を零した秋月は、そのまま日和の腰を抱くようにして長い廊下を歩く。すると、どこ
からか三味線の音が聞こえてきた。
「芸者を呼んでいるのか?」
「ええ。離れには余り聞こえませんから」
「別に、聞こえても構わないが」
煩いと思うのは無闇に騒ぎ立てる人間の声だ。
そう思っていた秋月は、
「あ、若頭っ」
「・・・・・彩香(さやか)」
いきなり開いた障子の向こうから出てきた芸者が、嬉しそうな声を上げて自分の身体に縋りついたのを見て、不愉快そうに眉を
顰めた。
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