結果的に、秋月は小関と飲むことになってしまった。
どうやら、どこかの組織の人間と密談を兼ねて食事をしていたらしいが、先方に急用が出来てしまい、料理にはほとんど手を付
けずに帰ってしまったようだ。
 退屈なまま煙草を吸いに外に出た時、たまたま日和に(本人には最悪のタイミングだったかもしれないが)会い、ずっとその舞
妓姿を催促していたことを思い出して、近くの顔が利く置屋に連絡を入れたらしい。
 秋月が呼んでいた舞妓と芸妓も、この座敷に連れて来た。
厳つい男達が並ぶ座敷の雰囲気に舞妓達は表情が硬くなってしまったが、さすがに年長の芸妓は愛想良く挨拶をすると、小関
の側に座って酌をした。
 「おお、この子達も可愛いじゃねえか」
 「・・・・・」
 「日和は妬かなかったか?」
 「御前」
 「ん?」
 「あまりその名を呼ばないでもらえませんかね」
 まさか、一切口にするなとは言えなかったので幾分柔らかな表現になったが、それでも秋月の不機嫌さを感じ取った小関は面
白そうに頬を緩めた。
 「名前くらいでそうイライラしなくてもいいだろ」
 「・・・・・」
(妬いてねえ)
 確かに、日和の名前を他の男に気安く呼ばれるのは面白くなかったが、もういい年をして女遊びもしなくなった小関に妬くほど
自分も狭量ではない。
ただ単に、面白くない・・・・・その一言に尽きた。

 「オヤジ、お連れしました」
 小関と向かい合って酒を酌み交わして間もなく、障子の向こうから声が掛かった。
パッと秋月が視線を向ける様子を笑って見ていた小関が、入れと上機嫌に笑いながら言う。
 「失礼します」
 障子が開けられ、先ず姿を現したのは小関の側近である田淵(たぶち)だ。秋月よりも少し年上の男は座敷にいる自分の姿を
目にしたはずだが何も言わず、丁寧に頭を下げてから身体をずらした。
 「日和」
 小関が名前を呼ぶ。
そして・・・・・ようやく、艶やかに装った舞妓が姿を現した。
 「・・・・・」
 今日の振り袖は、朱色地に金糸の模様の、いわば王道な舞妓の衣装だが、黒い帯が全体を引き締めている。
俯き加減の顔がどんな風に変わったのか早く見てみたくて、秋月は声を掛ける前に立ち上がって歩み寄ると、
 「わっ!」
いきなり、日和の顎を掴んで顔を上げさせた。




 「あ、秋月さんっ?」
 そこにいるはずの無い秋月が目の前にいる。
日和はどうしてという疑問で頭が一杯になってしまい、自分の顎を掴んでいる秋月の手を引き離すことも忘れてしまった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・え・・・・・と」
 まるでにらめっこをしているように、しばらくお互いの顔を見つめていたが、ようやく日和はごく間近にある秋月の視線からノロノロ
と顔を逸らそうとした。顔はしっかりと固定されているので、それは目線だけを動かす結果になってしまったが、日和が反応を示し
たことによって秋月もようやく驚いたような眼差しを細めて笑いかけてきた。
 「やっぱり、その姿似合うな」
 「・・・・・嘘」
 こんな偽物の、男が化けた舞妓とは違い、直ぐ側には本物の舞妓がいるのだ。
幾ら強引に押し付けられたとはいえ舞妓姿になり、ノコノコと座敷に舞い戻ってきた自分は相当にお人よしだと思う。
 「嘘じゃない。俺の惚れた日和が一番可愛い」
 「・・・・・っ!」
(ど、どんな顔で言ってるんだよっ)
反射的に秋月の顔を見上げてしまった日和は、見るんじゃなかったと後悔してしまった。
(顔・・・・・崩れてるって)




 最初に会った時よりは背も伸び、頬の丸みも無くなった日和だが、一卵性の姉弟である京都の舞妓の姉と良く似た女顔であ
ることは変わらなかった。
 今夜呼んだ舞妓達の子供子供した姿とは違い、涼しげな目元の大人びた舞妓に変身した日和。
振り袖を着ているせいで体形も上手に隠されていて、これが男であると気付く者はほとんどいないはずだ。
 「なあ、秋月、どうだ?可愛いだろう?」
 何時までもこの愛らしい姿を見ていたいと思った秋月をからかうように話しかけてくる小関に、秋月はチラッと視線だけを向けて
当然でしょうとうそぶいた。
 「俺のですよ」
 「分かっている。だが、酌くらいはいいだろう?」
 「・・・・・」
 もちろん、それも嫌だが、そこまで言えばさらにガキだと笑われてしまうことは分かっている。
秋月は大げさな溜め息をつくと、日和の手を掴んで立ち上がらせた。
 「あ、秋月さん?」
 秋月に促されるまま立ち上がった日和は、どうするのだと不安そうだ。
何時もはこちらが焦れてしまうほどに飄々としている日和のそんな眼差しは、庇護欲をそそり、ゾクッとするほどの艶やかさも併せ
持っていたが・・・・・小関が直ぐ傍にいる今は言うつもりはなかった。
(とにかく、早く酔い潰してしまうか)
 こんな顔をして、小関は意外に酒が弱い。なかなか解放してくれそうもない今、先に酔わせ、早々にこの場を辞するというのが
一番無難な方法だろう。
 「日和、御前に酒を注いでやってくれ」
 「え・・・・・、お、俺が?」
 「お前のその姿を見たくてさせたんだろうからな」
 我が儘なジイさんの頼みだと耳元で囁けば、強張っていた日和の頬に僅かながら笑みが浮かんだ。
このまま抱きしめてしまいたいほどに可愛い顔だが、秋月はなんとか我慢して、ずっと楽しそうにこちらを見ている小関の席へと日
和の腕を引いて行った。

 「お触りは無しですから」
 「分かってる」
 小関はにこにこ笑いながら日和に杯を差し出す。
日和は反射的に秋月の方へと視線を向けてきたが、頷いて見せるとおずおずとだがそれに酒を注いだ。
 「やっぱり似合うな」
 「え・・・・・と、ありがとう、ございます?」
 「秋月も満足だろう?」
 「俺が選んだ着物じゃないですがね」
 日和のことを一番よく知っている自分が選んだ着物ならば、これよりもずっと色っぽいし、可愛い。本当に男なのかと、その下半
身を触って確かめたくなるほどだが・・・・・。
(そう言ったら、実際にしそうだからな)
既に小関の顔は赤くなってきている。後せいぜい30分ほどかと思いながら、秋月は手酌で酒を注いだ。
 「今日はいい機会だ、秋月の若い頃の話をしてやろうか」
 「秋月さんの?」
 「御前」
 「いいじゃないか、とっくに時効だ」
 「・・・・・」
 いったい小関は自分を可愛がっているのか追い詰めているのか。
以前、孫娘との縁談を断った腹いせをこんな所で晴らされているかもしれないと思った秋月は、せいぜい変な話をされる前にと小
関の杯に酒をなみなみと注いだ。




(う・・・・・怒ってる、よな)
 小関の話は面白くて、日和はつい熱心に話に耳を傾けていたが、ふと横顔に感じた視線に目を向けて、慌てて顔を逸らしてし
まった。
そこにいた秋月が呼んだ3人の舞妓や芸妓は他の男達に酒を注いだり話し相手になっていたが、やはり舞妓達は秋月のことが
気になるらしい。それなのに、秋月はわざわざ別の舞妓を呼んだのだ、自分達が気に入られなかったと思っても仕方が無かった。
 その反感は、どうやら秋月ではなく新しい舞妓・・・・・日和に向けられているらしく、先程から時折刺すような視線を感じて、何
だか居たたまれない気分だ。
(綺麗なのはそっちですから)
 容姿はもちろん、所作も、本物の舞妓の方がいいに決まっている。
ただ、秋月は少し変わった思考の持ち主だし、その秋月を困らせたいのかどうか、小関も自分を構っているだけだ。
 そもそも、自分が先程まで座敷にいた男だとは気付かないのだろうか?自分の女装の威力を改めて思い知った気がして、日和
は小さな吐息をついた。
 「どうした?」
 「え?」
 「疲れたのか?」
 「・・・・・」
(こんなとこは、凄くよく気付く人なのにな)
 秋月は日和の様子を良く見てくれてこんな風に声を掛けてくれるが、それならば最初から、あの座敷に舞妓達を呼んだ時から、
自分がどんな気持ちだったのか察してくれてもいいと思う。
変な所で鈍感な男に、日和は曖昧な笑みを浮かべて頭を横に振った。
 「大丈夫です」
 「・・・・・御前」
 「ん〜」
 少しだけ間延びした小関の声。
改めて顔を見れば首筋まで赤くなっていて、どうやら相当酔ってしまったようだ。
 「そろそろお開きにしましょうか」
 「何を言っている。俺はまだまだ・・・・・」
 「田淵」
 小関の言葉を遮った秋月が視線を向けたのは、先程置屋までついて行ってくれた男だ。
 「これ以上飲ませると心臓に悪いんじゃないか」
 「・・・・・オヤジ、今日の所はこれで失礼しましょう。今日はもういい酒を十分飲まれたでしょうし」
 「あ〜、そうだな。日和の可愛い姿につい飲み過ぎたかもしれん。・・・・・秋月」
 「はい」
 「今度はお前が一席設けろ。もちろん、日和も込みだぞ」
えっと、日和は否定の言葉を上げようとしたが、秋月はそれを視線で制すと分かりましたと短く答えている。
自分のいない所で勝手に話を進めてもらっても困るし、何よりこれ以上怖い知り合いを作りたくないのが山々なのに、今度は秋
月が敬語を使うような相手と顔見知りにさせられてしまったら・・・・・。
(・・・・・考えたくないって)




 上機嫌で帰って行く小関を見送ると、秋月は知らずに溜め息が漏れてしまった。
時計を見れば、顔を突き合わせていたのは2時間も無いのだが、あの存在感は自分にとってはまだまだ大きいものらしい。
 「秋月さん」
 そんな時、つんと服が引かれた。
珍しい日和からの接触に、秋月の頬には自然と笑みが浮かぶ。
 「どうした」
 「これ、どうしたらいい?」
 これと言って日和が見下ろしているのは、自身が着ている舞妓の着物だ。
小関の知り合いの置屋から借りているそれは、当然持ち主に返さなければならない。
それでも、自分以外の者の目がある今ここで、堂々とそれを脱がせるというのはさすがの秋月もさせたくはなかった。
 「お前達、ご苦労だった」
 先ずは、この場に残っていた芸妓に封筒を渡す。置屋にも当然の料金は支払っているが、これは女達個人へと渡すつもりで用
意していたものだった。
多少、口止めという意味も含んでいたが、日和の可愛らしい嫉妬心を煽ってくれたことと、こうして久し振りの舞妓の姿に変身さ
せた切っ掛けを作ってくれたことに対する礼も込めた。
 「ありがとうございます」
 芸妓は丁寧に頭を下げたが、舞妓達はまだ何か言いたそうに秋月を見つめている。
視線を向ければ、1人がおずおずと切り出した。
 「あの・・・・・お名刺を頂けますか?」
 「連絡先を知りたいのか?」
 「あ、え、いえ、あの・・・・・」
 言葉では何とか誤魔化そうとしていても、その態度で図星だと分かる。
まだ子供だが女というものは侮れないと思いながら、秋月はわざと自分の隣にいる日和の肩を抱き寄せた。
 「ちょっ?」
 「悪いが、俺にはこの可愛い舞妓1人で手一杯なんだ」
 「・・・・・っ」
 「秋月さんっ?」
 何を言うのだと勝手に否定しようとした日和の唇をキスで強引に塞ぐ。誰に見られても、今の自分達はせいぜい酔った客が舞
妓に悪戯を仕掛けているようにしか見えないだろうが、もちろん、秋月にとっては本命の相手に対する真摯な口付けだ。

 チュク

 「ふ・・・・・っ」
 少しずれた唇から漏れる日和の艶めかしい声と、舌を絡める(強引にだが)キスの音。
茫然と立ち尽くしている舞妓達の背を押して座敷から出した芸妓が、最後に丁寧に頭を下げて挨拶をしてくる。
 ちらりとそれを見送った秋月だったが、自分の背に掛かる日和の指先の強さに意識を戻し、さらに官能を煽るように交わすキス
を深くした。