マコママシリーズ
第一章 懐妊編 5
銀座の高級ブランド店に入ってきたのは、すらりとした長身の、端正な容貌の男だった。
ブランド店に若い男が、それもこれ程の美形の男が1人で入ってくることは珍しく、店員も客も興味津々でそれとなく男の一挙手
一動を見ている。
やがて、目当ての物が見当たらなかったのか、男がちらりと切れ長の目を店員に向けた。
フレームスの眼鏡越しの目に少し顔を引き攣らせながらも、店員は素早く歩み寄って声を掛けた。
「何かお探しでしょうか?」
「こちらには、新生児用の涎掛けはないのでしょうか?」
「・・・・・は?」
「ああ、それに、オムツカバーとか肌着とか靴下とか」
「・・・・・」
見るからに、生活感のない男の口からこぼれる単語が信じられないのか、店員は呆気に取られたような顔をしている。
男の声が聞こえた周りの客の反応もほとんど同じだが、おかしなことを言ったという自覚がないのか、男は少しも表情を変えない
まま店員の返答を待っていた。
「お、お客様、大変申し訳ないのですが、新生児用のそういった商品は・・・・・」
「無いのですか?」
「申し訳ありませんっ」
「いいえ」
それならば用は無いといったふうに、男は直ぐに店を出ると隣のブランド店に入っていく。
その様子をじっと見ていた店内の人々は、いっせいに妄想をたくましくして騒ぎ始めた。
「なになに、克己のデートの誘いなんて嬉しいわ〜」
待ち合わせのカフェレストランにハイテンションで現れた綾辻は、嫌そうに眉を顰める倉橋の反応など構わず向かいの席に軽や
かに座った。
「せっかくの休みなのに、私に会いたかった?」
「・・・・・誤解されるような言い方はやめて下さい」
「だってえ」
「電話でいいといったのに、あなたが強引に同行すると言ったんでしょう」
その通りなので、綾辻は悪戯っぽく頬を緩めた。
「安全で、丈夫で、可愛い子供用品を売っているお店を知りませんか?」
久し振りに仕事から解放された綾辻が(職業柄ちゃんとした休みなどは決まっていないが)昼過ぎまで自堕落に惰眠を貪って
いた時に掛かってきた電話。
それはこの世で唯一綾辻が頭の上がらない相手からで、眠気などは直ぐに吹き飛んでしまった。
場所を教えてくれさえすればいいという倉橋を何とか言い含め、まだ日が明るいこんな時間に2人きりでお茶を飲むことに成功し
た。
(中学生のガキじゃないんだがなあ)
こんなことくらいで浮かれている自分が可笑しくてたまらないが、普段はここに必ずといってもいい程海藤がいて、倉橋の意識は
常にそちらに向いているので(当然だが)こんな機会は滅多に無いのだ。
「で?何を買いたいの?」
これ以上倉橋が怒る前にと切り出した綾辻に、倉橋は何時も持ち歩いている手帳を取り出して開いた。
「ベビーベットとか、ベビーカーとか、チャイルドシートとか、大きな物はお2人で選ばれるとは思うんですが、その他の細々なもの
は一通り準備をしておきたいと思いまして」
「・・・・・」
「有名なブランド物なら高くてもいい物だと思ったんですが、なかなか新生児用の物はないと断られまして・・・・・」
ふと、綾辻は倉橋の言葉に引っ掛かった。
「・・・・・克己、もしかして1人で店に行ったの?」
「5件ほど回りました。新生児用というのはなかなか無いんですね。あったとしても、派手で実用性が無かったり、反対に簡素
過ぎたり・・・・・可愛くていい物というのは難しいです」
「・・・・・」
(1人で回ったのか・・・・・克己が)
この無表情で取り澄ました綺麗な男が、色んなブランド店に1人で行って、堂々と新生児用の商品はないかと聞いていたの
かと思うと、綾辻は自然に頬が緩んできてしまった。
しかし、それを知られるとこのまま倉橋が帰ってしまうだろうということも分かるので、綾辻は何とか笑いを収めると早々に席から立
ち上がった。
「綾辻さん?」
「可愛い物がたっくさんある店知ってるの。早速行きましょう」
「あら、ゆーぞーちゃん、久し振り」
「はあい、相変わらず美人ね、マチ」
倉橋は綾辻の後ろに立ったまま、目を丸くして店の中を見回していた。
赤坂のオフィス街、そのビル街の奥にポツンとあった小さな店。外見はどう見ても喫茶店のような感じだったが(実際にコーヒーとい
う看板も出ていたが)中に入ると驚くほど目に鮮やかな小さな服が所狭しと置いてあった。
「ここは奥さんの趣味で、海外で買い付けた商品を売ってるのよ。色は鮮やかだし、サイズだって様々だし、まあ、ジャンク物や
古着もあったり、1回着せただけで破れちゃうものもあるけどね」
「・・・・・はあ」
「やだあ、変な事言わないでよ〜。・・・・・で、そこの美人は誰?あんたのこれ?」
綾辻がマチと呼んだ女は、30代くらいの(女の年齢は分からないので、多分だが)大きく口を開けて笑う女だった。
「ふふ、美人でしょ」
小指を差し出す女に笑いながら答える綾辻を人前では殴ることも出来ずに、倉橋は再び視線を店内に向ける。
今の自分からすれば不思議なほど小さいサイズの服を見ながら、この中にはひょっとしていい物が見つかるような気がした。
手に取って服を見つめる倉橋に、綾辻は笑いながら話し掛けた。
「どう?ブランド物もあるにはあるけど、他のだって可愛いのたくさんあるでしょ?」
「ええ」
「マコちゃんに似合うものが見つかればいいわね」
「・・・・・」
倉橋は頷くと、早速マチに聞きながら目的の物を探し始めた。
(・・・・・意外と絵になるな)
想像だけでは倉橋と子供用品というものは全く相反するのではないかと思えるが、実際に小さな服を手に取りながら自然と頬
が緩む倉橋は綺麗というよりは可愛く見える。
綾辻は、これが自分達2人の為の買い物だったらと想像した。もちろん、父親は自分で、倉橋が・・・・・ママだ。
(克己の妊婦姿か・・・・・)
真琴の妊娠を初めて聞いた時、綾辻は好き合っている者同士には奇跡が起こるものだと感動さえした。
真琴はとても幸せそうだったし、海藤も雰囲気がとても柔らかくなった。
世間では男の出産というものも不可能ではなくなってきているし、もしかすれば自分と倉橋の間にも出来る可能性が無くは無
いはずだと綾辻は思うようになった。
ただし・・・・・。
(妊娠する以前にセックスしないとなあ)
なかなか隙を見せない倉橋を押し倒すことは容易ではなく、このままでは自分達の子供を腕に抱くというのは夢のまた夢くらい
かもしれなかった。
(それでも、他の女との子供なんていらないしな)
「綾辻さん、これどうですか?」
「ん〜?」
倉橋が手にしていたのは、熊の形をした涎掛けだ。
「・・・・・」
両端を持って広げながら綾辻の返答を待つ倉橋の姿は・・・・・はっきり言って可愛い。
「い、いいんじゃないか?」
「ブタさんと猫ちゃんの形もあるんですけど」
「・・・・・」
(ブ、ブタさんに、猫ちゃ・・・・・)
多分、マチが説明した通りに言っているだろう倉橋は、自分の言葉がどんなふうに相手に聞こえているかなど想像もしていないの
だろう。
「よ、涎掛けは何枚あってもいいんじゃない?」
「それもそうですね」
「・・・・・」
(犯罪だって、克己・・・・・)
たったこれだけのことに下半身が反応してしまった自分の節操の無さを自覚しながら、綾辻は絶対に倉橋に気付かれないよう
にと、気を落ち着かせる為に店の隅で深呼吸を繰り返していた。
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今回はマコちゃんの義姉(笑)ともいえる倉橋さんの買い物編です。
絶対に一緒に付いていくであろう綾辻さんも、倉橋さんの天然ブリには完敗でしょう。
この2人の赤ちゃんなんて・・・・・まだまだまだまだまだ先の話ですね(笑)。