マコママシリーズ
第ニ章 出産編 8
毎日毎日、病院に通うことは苦ではなかった。
僅かの体重の増減や微熱に一喜一憂するものの、行けば必ず貴央に会えるし、とにかく病院の医師や看護師達を信頼して
いた。
気になるといえば、毎日病院に通う自分に毎日付き合ってくれる海藤達の仕事や身体のことも気になったが、皆自分も楽し
みだからと真琴に気にすることはないと言ってくれる。
真琴はその言葉に甘えることにした。自分1人の事なら遠慮もするが、今の自分と貴央の2人にとっては彼らの力は絶対に必
要なのだ。
「2500グラムですか?」
それは、貴央が保育器から出て数日経った時、何時ものように体重計に貴央を乗せていた真琴は丁度手の空いた担当医
師に声を掛けられた。
「そうだよ。貴央君は幸いにも感染症も無かったし、内臓も脳も異常は見当たらないからね。最近は小さな子の出産も多い
し、一応2400グラムを過ぎたら通常出産の子は退院させてるんだけど、貴央君は念の為もう100グラム増えた2500グラム
を過ぎたら退院を許可しようと思ってる」
「100グラム・・・・・」
「大人にとっては僅かな数値だけど、この位の子供にとっては凄い数値なんだよ」
「・・・・・はい」
「無理をさせないように、頑張って体重を増やしてあげるように」
それからは毎日、真琴は常に貴央の体重を気にした。
それまでも気をつけていたつもりだったが、明確な目標が出来るとそれが大変なことがよく分かった。
一日で100グラム増えたかと思えば、翌日には150グラム体重が減ったり、反対に50グラム減った翌日には200グラム近く増
えていたり。
最初は楽観していた真琴も、一週間で300グラムも体重が増えない時は落ち込んだ。
マンションに戻ってきても落ち込んだ顔をしていた真琴を、黙って抱きしめてくれるのは海藤だ。
海藤も毎日病院に顔を出しているので事情はよく分かっているし、真琴の悩みも十分理解してくれている。
「一緒に風呂に入るか?」
「・・・・・」
「久し振りにお前の髪を洗おう」
海藤は笑いながらそう言って、真琴の身体や髪に優しく触れてくる。
まるで子供のように後ろから抱きかかえられるようにして湯船につかっていると、海藤は手のひらで湯をすくって真琴の肩に掛けて
やりながら静かに言った。
「あまり頑張るな」
「え?」
「お前はもう十分頑張っている」
「・・・・・」
「少しくらい、俺にも愚痴を言ってくれ。不満だってぶつけてくれたっていい。俺にとって貴央は大切な子供だが、一番大事なの
はお前だからな」
「海藤さん・・・・・」
真琴は一瞬言葉につまり・・・・・そして、ポロポロと涙を流した。
それは、哀しいわけでもない、ただ・・・・・泣きたくなってしまっただけだ。
それでもその一すじ一すじ流れる涙が、不安と疲れを真琴の身体の中から洗い流してくれるような気がしていた。
それからは、真琴は出来るだけ根を詰めないようにした。
意識してそうするのはおかしいかもしれないが、そうすることによって肩の強張りも少しは解れた気がする。
事情を知っているはずの倉橋や綾辻は余計なことは言わず、何時もと変わりなく接してくれた。
「もう私、子持ちの気分」
「え?」
「ミルクもあげたし、オムツも取り替えたし、沐浴だってさせたし。私、子育て十分やった感じ」
「ほんと、綾辻さんには色々手伝ってもらっちゃって」
昼間同行してくれる綾辻とは、タイミングがイイというか悪いというか、様々な出来事を一緒に体験していた。
運悪くお腹をこわしていた貴央の汚れた身体を洗ってくれたり。
オムツを替えようとしていた時、ちょうどおしっこをされて上等なスーツを汚されたり。
ゲップをさせようと肩に担いで背中を叩いていると、そのまま口から逆流したミルクをスーツに吐き出されたり。
自分の子でなければ眉を顰めてしまいそうな出来事も、笑いながら楽しい経験だと言って真琴よりも器用に対処してくれた。
「社長よりもたくさん見てるわよ、たかちゃんのおちんちん」
「あ、綾辻さんっ」
「男の子で良かったわ。女の子だったら殺されちゃうかも」
「そんなことないですよ」
「分からないわよ〜。ああいう人は子煩悩だから、女の子だったら生まれた瞬間に嫁にはやらんって言うタイプよ」
「・・・・・そうかな?」
「でも、たかちゃんのおかげでいい予行練習になったわ。自分の子が出来ても万全」
産む以外はと笑う綾辻の言葉に引っ掛かって、真琴は不思議そうに聞き返した。
「綾辻さん、恋人とか、いるんですか?」
「私?ふふ、どうでしょ〜」
「・・・・・」
「でも、赤ちゃんってやっぱり可愛いわ。自分の好きな人が産んでくれたのなら尚更ね」
それからまた数日後。
今日は昼に時間が空いた海藤が一緒で、貴央も起きて機嫌よく笑っていた。
「元気そうだ」
海藤は笑みを深めながら貴央を抱き上げる。
大きな腕の中にすっぽりと収まった貴央は、小さな手を伸ばして海藤の方を見て笑っているようだ。
「お父さんって分かるのかな?」
「お前のことは分かるだろ?」
「なんか、ミルクをくれる人って感じで、俺が抱くと口を直ぐパクパクさせるんですよ。きっとよく食べる子になるかも」
「それじゃあ、もっと稼がないとな」
海藤はそう言いながら、貴央の身体を体重計の上に下ろした。
少し暴れてしまったのでなかなか数値は定まらなかったが・・・・・。
「あっ」
表示された数字に、真琴は思わず声を上げてしまった。2504グラム・・・・・何度瞬きをし直しても、その数値は変わらなかった。
「超えてる!」
「あら、ほんと」
カルテを片手に一緒に体重計を覗き込んでいた看護師も笑いながら言う。
「先生に知らせますね」
「た、退院出来ますかっ?」
「まだきっと安定してないだろうから体重の上下はあるだろうけど、一度超したら数日すれば大丈夫だろうし。ただ、その前に検
査もして、その結果で先生が判断されるから、直ぐに退院とは言えないんですよ」
「そ、そうですか」
途端に萎れてしまった真琴に、看護師は更に言葉を続けた。
「でも、こうして目標が見えたんだし、もう少しですよ、西原さん」
「は、はい」
(そうだよ、一回超えたんだからっ)
見えない目標ではなくなったことに、真琴は新たに気持ちを仕切りなおした。
そして、貴央が生まれてから丁度50日目。
6月も後半の梅雨の中休みの晴れた日の午後、貴央はようやく退院の日を迎えることになった。
「先生、ありがとうございました」
深々と頭を下げた真琴に、医師は穏やかに言葉を掛けた。
「一歳になるまでは一週間に2回。それからもしばらくは一ヶ月に一回は検診に来てもらうことになるし、長いお付き合いになる
が立派に成長してくれると信じているよ」
「はい」
「海藤さん、お2人の子です。協力して下さいね」
「はい。お世話になりました」
男同士とはいえ、2人並び立つ姿はとても似合っていて、この2人ならばきちんとした子育てをするだろうと医師も安心する。
上等なスーツ姿で子供を抱いている姿も不思議としっくりしているし、案外に見掛けを裏切って子煩悩なのだなと医師は内心
思っていた。
「それじゃあ、これからも宜しくお願いします」
「気をつけて」
「おめでとうございます」
多くの看護師と医師に見送られ、高級な国産車(さすがにベンツで病院には来なかった)に乗り込むと、真琴は窓を開けても
う一度頭を下げる。
「出せ」
走り出した車の中、真琴は海藤の腕に抱かれた貴央の顔を覗き込んだ。
(今日からはずっと一緒だね、たかちゃん)
いよいよ、3人での新しい生活が始まる。
まだまだ大変なことも多いと思うが、真琴はこの先の未来の時間に心を弾ませていた。
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出産編、これで終了しました。
次回からはいよいよ本編とも言える「子育て編」が始まります。
退院の時マコちゃんではなく海藤さんがたかちゃんを抱いていたのは、たかちゃんが海藤さんの腕の中にいる方が大人しいから(笑)。
早く2、3歳位になったヤンチャなたかちゃんを書きたいです。