マコママシリーズ
第三章 たっち編 1
綾辻勇蔵は(あやつじ ゆうぞうは)、毎週4、5日くらい・・・・・いや、ほぼ毎日といってもいい楽しみがある。
それは。
「あ!綾辻さんっ、止めてください!」
「あ」
玄関のドアを開けた瞬間、突進してきた物体は綾辻のすぐ足元に迫っていた。
その姿に綾辻は綺麗な顔に満面の笑みを浮かべ、身を屈めてその物体を抱き上げた。
「やだあ!たかちゃん、昨日よりハイハイ早くなってるじゃない!」
「あ〜」
「そうよ〜、あ〜よ〜♪」
可愛い。
可愛くてたまらない。
大体、自分の子供を持つことが考えられないし、子供を生んで欲しいと思う女もいない。
そもそも自分が生涯唯1人と思っている相手は同じ男だ。
しかし、もしかしたらという可能性はある。ここの住人のように、男同士でもこんな可愛らしい子供が出来たのだ。
(私達だって・・・・・)
「ごめんなさい!綾辻さん!」
綾辻の妄想はそこで途切れた。
「夕食時でしょ?ごめんなさい」
「いいんですよ、今日は季節はずれだけどおでんなんです、食べていってください」
チェックのエプロン姿で出てきたのは、この部屋の住人の1人、西原真琴(にしはら まこと)だ。
特筆すべき美貌の主というわけではないが、目元のホクロが妙に印象的で、雰囲気のある青年だった。
「たかちゃんっ、勝手に玄関まで出たら駄目じゃない!」
「ま〜ま」
「ま〜まじゃないの!お靴触ったらバッチイって言ったでしょう!」
少し大きめの目に力を込めて、大げさに怒った表情を作っているが、どうも相手は分かっていないようだ。
かえって遊んでもらってると思うのか、綾辻の腕の中できゃっ、きゃっと喜んで声を上げている。
この物体が、もう1人のここの住人であり、今綾辻の中で特別な位置にランクされている海藤貴央(かいどう たかお)、もう直ぐ
1歳の誕生日を迎える子供だ。
真琴と、残り1人の住人であり、綾辻の上司でもある海藤貴士(かいどう たかし)の間に出来た一粒種だった。
(でも、1年経っても時々不思議に思うのよね〜)
「たかちゃん、我が道をいってるわねえ。・・・・・パパ似?」
「海藤さんはこんなにわからずやじゃないですっ」
「どうかしらね〜」
しかし、真琴も何時までも怒った顔が出来ないのか、仕方なさそうに苦笑を浮かべて上機嫌なチビ怪獣の頬をツンと突いた。
「でも、家族団欒だし、今日は遠慮するわ」
「海藤さんももう直ぐ帰ってくるし、みんなで一緒に食べましょう」
「ふふ、ありがと。じゃあ、お呼ばれしますか、ね〜、たかちゃん」
「あ〜」
まるで言葉が分かるかのように、貴央は両手を上げて叫ぶ。
男同士の彼らの間になぜ貴央が出来たのか、それは綾辻にとってはいまだに不思議でたまらないことだが、この2人ならば出来
てもおかしくないと思わせるほどに海藤と真琴のお互いを思う愛情は深い。
2人だけで立っていたところに、小さな支えが加わって、海藤家は親子3人、普通の親子と同じ様に幸せに、慌しく過ごしてい
た。
出先から直接帰ってくると海藤から電話があったのは30分ほど前だ。
玄関に続く廊下に電気を点けた(普段は節約の為に消している)時、しっかりとドアを閉めるのを忘れていたらしい。
その時、綾辻から下についたとインターホンが鳴って施錠を外したりしていた時、今やハイハイで家中駆け回っている貴央は、
僅かに空いていたドアの隙間を頭で強引に開けて廊下に出て行ったのだ。
「たかちゃん!」
直ぐに気が付いた真琴が追い掛けると、丁度綾辻が中に入ってきたところだった。
頻繁に遊びに来て遊んでくれる綾辻が大好きな貴央は、そのまま突進していったのだ。
「おでん、マコちゃんが作ったの?」
「本当は昨日から海藤さんがダシを作ってくれてたんです。俺はそれに材料を切って放りこんでいくだけで、後は煮ていればい
いでしょう?」
「美味しい手抜き料理は主婦の味方よ」
「本当は俺ももっと料理を頑張らないといけないんだけど、たかちゃんの世話だけで精一杯で・・・・・。海藤さんに手間ばかり
掛けさせているのが申し訳ないです・・・・・」
今夜のメニューをおでんにしたのも、帰る時間が遅い海藤が真琴に手間が掛からないようなものにしてくれたのだ。
昔の自分に比べればはるかに料理はするようにはなったが、いまだに海藤のほうが美味しく頻度も多い。
それならばと、貴央の離乳食だけは自分で手作りしようと頑張ったが、赤ちゃんの味覚というものは案外に難しく、海藤は市販
のものも上手に使えばいいと言ってくれた。
「俺達2人の子だ。お前だけが無理をするな」
海藤はそう言ってくれるが、無理をしているのは自分ではなく海藤の方の気がする。
食事の用意も、貴央の世話も、時間がある限り自分が率先してしてくれる海藤の身体の方が心配だった。
「社長だって好きでしてるのよ」
「・・・・・そうでしょうか」
「普段、あれだけ無表情な人が、たかちゃんの話をすると目に見えるほど表情が柔らかくなるのよ?無理してたら出来ない表
情だって」
「・・・・・」
「それに、無理したっていいじゃない。こっちが無理にさせるんじゃなくて自分がしたいんだから、それは無理にはならないの」
「・・・・・」
(そうなのかな・・・・・?)
貴央が生まれて1年。とにかくあっという間だった。
男同士の子供だからと言われないようにと、普通の家族と同じ様にと、焦っていた真琴をずっと支えてくれたのは海藤だ。
それは、海藤にとっては負担ではなかったのだろうか。
それから15分ほどして海藤が帰ってきた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
「たかちゃんも、パパおかえりは?」
「ぱ〜」
「・・・・・」
真琴の腕に抱かれた格好で手を伸ばしてくる貴央の姿に目を細めた海藤は、そのまま2人の横をすり抜けていく。
しかし、それはけして冷たい態度ではない。
「真琴」
洗面所に行ってきちんと手洗いうがいをした海藤が、真琴から貴央を受け取りながら真琴の頬に唇を寄せる。
その後、ペシペシと恐れることも無く開成会会長という立場の海藤の頭を叩いている貴央の頬に唇を寄せた。
「ぱ〜」
「ただいま、貴央」
低く、響きのいい声で貴央を呼ぶ海藤を、真琴は嬉しそうに見つめる。
自分を含め、周りは皆貴央の事を『たかちゃん』とか、『たーくん』と呼ぶが、海藤だけはきちんと『貴央』とその名前を呼ぶ。その
時の声の響きが真琴は好きなのだ。
いや。
(もう1人いたっけ)
「今晩は、真琴さん」
「今晩は、倉橋さん」
「洗面所をお借りします」
丁寧に頭を下げながらそう言った倉橋は、海藤と同じ様に手を洗い、うがいをしてから初めて貴央に向き合った。
「こんばんは、貴央君」
伸ばされた手に、指先だけそっと触れながら言う倉橋の眼差しは優しい。
貴央の存在は、真琴や海藤だけではなく、綾辻や倉橋の心境にも多大に影響を及ぼしているらしい。
「倉橋さん、ご飯食べて行ってください」
「いえ、私は」
「私もお呼ばれしてるのよ」
「・・・・・あなたは、遠慮というものを・・・・・」
「倉橋、食べていったらいい。今日は真琴の手料理だ」
「・・・・・それでは、ご馳走になります」
「な〜に、私が言ったら反抗するくせに、社長が一言言ったら直ぐに頷くなんて」
「人徳です。真琴さん、お手伝いしますね」
「克己がしたら皿割っちゃうわよ!私が手伝うから!」
「当然です」
仲が良いのか悪いのか、賑やかに言い合いながらキッチンに向かう2人の後ろ姿を見送りながら、真琴は隣に立つ海藤を見
上げて笑い掛ける。
「賑やかなご飯は楽しいですもんね」
「貴央も喜ぶし。何より、子守は大勢いた方がいい」
海藤らしくない言葉に、真琴は一瞬目を見開いて・・・・・次の瞬間、プッとふき出した。
「じゃあ、今日はこの怪獣は子守さんに任せましょうか」
「そうしよう」
「あ〜」
海藤の頷きに、まるでタイミングを合わせたように言う貴央。
それを聞いた2人は、顔を見合わせて楽しそうに、おかしそうに笑った。
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第三章は『たっち編』です。
出産から1年。もう過ぐ1歳の誕生日を迎えるたかちゃんは、今は無敵のハイハイマン(笑)。
今回はたかちゃんがたっち出来るまでのお話です。