マコママシリーズ





第三章  たっち編   2






 「おいし〜!この大根よく味がしみてる!」
 「そうですか?ありがとうございます。でも、味は海藤さんがつけたんですけど」
 手放しに褒めてくれる綾辻に苦笑しながらも、真琴は誰かがおいしいと言ってくれることが嬉しかった。
もちろん、海藤もちゃんと美味しいと言ってくれるが、元々口数が少ない海藤は食事中それほど話すということが無い。
それが嫌というわけではなく、海藤との間にある沈黙は心地の良いものだが、たまにはこうして賑やかな食卓も楽しいものだ。
 「はい、たかちゃんもあ〜ん」
 「あ〜」
 粥状にしたご飯と、別に煮た大根を一緒に口元に持っていくと、歩行器に座らせられた貴央が素直に口を開ける。
 「大人しいわねえ、嫌がらないの?歩行器」
 「最初は暴れて大変だったけど、これに座ったら自由に動けること覚えちゃって。ハイハイよりも視界が高いし、結構喜んでくれ
てると思うんですけど」
這い回ることが出来るようになってから、貴央からは一時も目を離せない様になっていた。
真琴自身が気にならないような小さな物でも見つけて直ぐに口に入れようとするので、掃除も頻繁にしなければならないし、どこ
までも突き進んでいくので何回も家具の角に額をぶつけて泣いていた。
 海藤や他の人間がいればまだいいが、真琴1人だととても目が行き届かない。
そんな時、菱沼が贈ってくれたのがこの歩行器だった。

 「少しは親代わりのようなことをさせてくれないかな」

最初はなかなかじっと座ってくれなかった貴央を根気強く慣らしてくれたのは海藤だった。
 「お父さんって分かるのかなあ。たかちゃん、海藤さんの言うことだけはよく聞くんですよ」
 「本当ですか?社長」
 「たまたまだ」
 「そうかなあ。なんか俺、馬鹿にされてる気もするんですよね」
真琴が口を尖らせて言うのを、海藤は苦笑を浮かべて聞いていた。



(綾辻達を呼んで正解だったな)
 今は大学もバイトも休んで、1日中貴央といる真琴。
可愛くて大事な貴央と一緒にいることは楽しいと何時も言っているが、半面、初めての子育てに対する不安や焦れったさが、真
琴にとってのストレスにもなっているだろうと思った。
それを自分に言ってくれればいいのだが、気を遣ってなのか、それとも自分自身では自覚が無いのか、真琴はなかなか海藤にそ
の手の話をしてくれない。
 「今日は何があった?」
 「何時も通り、たかちゃんはお利口でいい子でした」
 「そうか」
言いたくないことを無理に話させるのもかえってストレスになりかねないので、海藤は気分転換にと綾辻と倉橋をマンションに呼ん
だのだ。
 「・・・・・」
 「・・・・?」
 じっと見つめていると、その視線に気が付いた真琴がにっこりと笑い掛けてきた。
(ああ・・・・・やっぱり自覚が無いのか)
他人の子供を引き取ったわけではなく、男同士ながられっきとした自分の子供なのだ。
人一倍頑張る真琴は、きっとこの精神的、肉体的な苦労も苦痛も当たり前だと思って受け入れてしまっているのだろう。
無理は続かない・・・・・いや、無理はさせたくないと海藤は思っていた。



 「じゃあ、まだ立ってないの?」
 「はい、本とかではもう立ってもおかしくない時期だって書いてはあったんですけど・・・・・」
 ハイハイではものすごいスピードを出す貴央だが、今だ掴まり立ちも上手には出来なかった。
何度か壁やテーブルに縋らせて立たせてはみるのだが、直ぐにヘナヘナとその場にしゃがみこんでしまうのだ。
足が弱いのかなとも思ったが、あれだけハイハイをして回っているのだ、それはないと思う。
 今だ一週間に1回の検診を受けて、先日も異常はなく順調だと言われた。
真琴は自分が焦り過ぎているのかと、何度も立たせようとした貴央に謝ったくらいだが・・・・・。
 「まだ全然大丈夫よ、マコちゃん。1歳前後でハイハイなんて普通」
 「・・・・・」
 「身体は少し小さめだけど、こんなに元気がいいんだもの、心配すること無いわよ、ねえ、克己」
綾辻が隣にいる倉橋に話を振ると、倉橋も真面目な顔をして頷いた。
 「育児書や周りが正しいとは限りません。それぞれ個々の成長速度があるんですから」
 「倉橋さん」
 「貴央君は子供らしくよく笑っていますよ。それだけで十分だと思います」
 「・・・・・はい」
(そうだよな・・・・・たかちゃん、よく笑ってる)
自分が愛されているのが分かっているのか、貴央は何時も笑っている。
もちろん、泣いたり怒ったりしている時もあるが、大抵はその顔を見た時、全開の笑顔を向けてくれるのだ。
それを見ているだけで普段の疲れなんか消し飛んでしまうのは、真琴だけではなかったようだ。
 「マコちゃん、子供なんていずれ立つものよ。そうなったら今以上に目が離せなくなるんだから、その時になったらきっともっと遅くに
立ってくれたら良かったって思うようになるわよ」
 「綾辻さん」
 「真琴さん、ゆっくりいきましょう。貴央君のペースに私達が合わせてあげないと」
穏やかに言う倉橋の言葉に、真琴は素直に頷くことが出来た。



 食事が終わり、恐縮する倉橋とまだ話し足りなさそうな綾辻に食後のデザートも振舞って、2人が帰ったのはもう午後10時を
過ぎてしまった頃だった。
 「申し訳ありませんでした、せっかくの御家族の団欒の時間にお邪魔しまして」
玄関先で恐縮そうに頭を下げる倉橋に、真琴はいいえと頭を振った。
 「楽しかったです。たかちゃんも、お兄さん達が来てくれて嬉しかったよね?」
真琴の言葉に、海藤に抱かれた貴央が嬉しそうに声を上げた。
 「ほら。また来てくださいね」
 「ありがとうございます」
 「ん〜、たかちゃんラブリ〜ね〜。お兄ちゃんにちゅ〜は?」
 「ちゅー」
差し出された綾辻の頬に、サービス満点に口を付けた貴央。
 「あ、すみませんっ」
ぺっとりとついてしまった唾液に苦笑する綾辻の頬を、真琴は慌てて貴央が持っていたお気に入りのタオルで拭った。
すると、貴央はタオルを取られたと今にも泣きそうな顔をしたので、真琴は直ぐにその手にタオルを返してやった。
 「もうそろそろお眠ね」
 「今日はお2人にたくさん遊んでもらったから」
 「ふふ、かわい〜。じゃあ、失礼しま〜す」
 「お騒がせ致しました」
綾辻を引っ張るようにして倉橋が玄関を出て行くと、賑やかだった家が途端に静かになった気がした。



 「・・・・・おやすみ」
 楽しさのあまり眠たいのを我慢していたのだろう、貴央は静かになった途端にうとうととし始め、海藤がベビーベットに寝かすと途
端に指しゃぶりをして目を閉じた。
一緒に暮らさなければ分からなかった子供という謎の存在。
ついさっきまではしゃいで暴れていたかと思えば、直ぐに癇癪を起こして泣き出すし、機嫌よく食事をしているかと思えば、一瞬後
には眠ってしまっている。
不思議で、でも、とても愛しい存在。
自分の子供を持つことなど考えていなかった海藤にとって、血が繋がった存在がこれ程無条件に愛情を注げる相手だとは全く分
からなかった。
(だが、真琴が産んでくれたおかげだな)
 もしも、真琴以外の女が自分の子供を生んだとしてこれだけ愛せるかは・・・・・正直頷けない。
いや、その可能性を考えることさえ無駄なのかもしれないが。
 「寝ました?」
 リビングに戻ると、真琴がコーヒーを入れてくれていた。
貴央が生まれてからあまり酒を飲まなくなった海藤の楽しみの一つだ。
夜、貴央に何かあったら直ぐ動けるようにと思ってのことだが、真琴には親ばかだと笑われてしまった。
それでも身体の為には少し減らすのもいいですねとも言っていたが。
 「毎日疲れるだろう?どこか気晴らしでも行くか?」
 「でも、たかちゃん置いて行けませんよ」
 「一緒に行けるところならいいだろう」
 「一緒に?・・・・・海藤さんも?」
 「時間を決めれば合わせる」
 どんなに愛情を掛けている相手でも、慣れない子育てに真琴が疲れているのは目に見えて分かる。
それを承知している綾辻は積極的に真琴を笑わせてくれたし、倉橋もぎこちない手つきながら貴央の世話をしてくれた。
皆が気を遣ってくれていることに気付いていた真琴は恐縮していたが、それでも楽しそうに笑っていた。
 「・・・・・ごめんなさい、海藤さん、疲れてるのに・・・・・」
 「疲れなんて、お前と貴央の顔を見れば消えるものだ」
 「・・・・・何だか、安上がりですね」
真琴が海藤が腰掛けたソファの隣にチョコンと座ると、海藤はその顎をすくい上げてそのまま唇を重ねる。
貴央が寝ている間のほんの一時、2人きりの時間を楽しむ為に・・・・・。





                                   





新米ママさんは大変ですね〜。
1歳で立たないのも全然普通だと思いますが、真琴は自分が男なのに産んだ子供だということで色々心配のようです。