マコママシリーズ
第三章 たっち編 10
食事会は、その瞬間から『初たっちを祝う会』に変更になった。
菱沼も涼子もとても喜んでくれ、綾辻もギュッと真琴を抱きしめてくれて頑張ったわねと言ってくれた。
倉橋の、良かったですねという言葉と目尻の涙に感激して、最後に・・・・・海藤が髪を優しく撫でてくれながらこう言ってくれた。
「人の成長はそれぞれだ。貴央は今が立つ時だったんだな」
あの子よりもとか、どうしてなんだとか。
貴央の人格をちゃんと認めているつもりだったが、無意識の内に何かと比べていた自分が恥ずかしい。
そして、そんな自分を頭ごなしに否定せず、ちゃんと見守ってくれていた海藤に真琴は感謝した。
(私が泣いてどうする・・・・・)
倉橋は鏡の中に映る自分の顔をじっと見て眉を潜めた。
我慢していたつもりだったが、色白のせいか目元が赤くなってしまったのは目立ってしまい、女ではないので化粧で誤魔化すという
事も出来ずに洗面所に立ったのだが・・・・・。
「・・・・・」
どうしようかと思った。このまま席に戻れば、多分菱沼や綾辻にからかわれるのも覚悟しなければいけないだろう。
鏡に映った自分の眉間に皴が寄った時、
「あ」
不意に、その後ろに笑っている綾辻の姿が映り、倉橋は慌てて後ろを振り返った。
「な、何をしているんですか?」
「何って、ここ洗面所だろ?用足し」
「・・・・・そうですか」
確かに、ここは不特定多数の人間が訪れる場所なので、倉橋は文句も言えないままさっさと出て行こうとした。
しかし、綾辻の横を会釈しながら通り抜けようとすると、しっかりとその腕が掴まれてしまう。
「・・・・・何ですか」
出来るだけ動揺を表さないように言ったつもりだったが、綾辻はそのまま倉橋の腕を引っ張って抱き寄せると、抱きしめた倉橋の
頭をポンポンと叩いた。
「泣けばいいだろ」
「何を・・・・・」
「嬉しいこととか、感動したことがあったら、泣くのは当たり前ってこと。そんな普通の感情を面白がったりしないって」
「綾辻さん・・・・・」
「それに、俺だって感動して泣きそうだった。マコちゃんがあんな思いをして産んだ子が、もう立つ様になったんだなあってさ」
確かに、綾辻は自分以上に真琴と貴央を見てきたので、その感動も自分よりも大きいのかもしれない。
倉橋は行き場の無い手をそっと持ち上げて・・・・・少し、遠慮がちにだが綾辻の腰にまわした。ほとんど同じ背丈ながら、鍛えてい
る差か、その手にはしっかりとした筋肉の感触がする。
(この人も、私と同じ気持ちなのか・・・・・)
じんわりとした感慨に倉橋が浸っていた時、急に綾辻は倉橋の耳元で言った。
「なあ、克己、俺達も・・・・・子供作るか?」
「泊まって頂いていいのに」
「今日は家族だけがいいだろう。明日いっぱいいるから、また付き合ってもらうよ」
食事が終わった時、真琴は菱沼夫妻は当然マンションに泊まってくれるのだろうと思ったが、夫妻は既に都内のホテルに部屋を
取っていた。
「程よい距離がいいのよ。それに、こういう時こそ、辰雄さんと恋人同士に戻りたいし」
「そうだね、涼子さん」
こんなにも長い間連れ添っているのに、いまだ熱々の2人を見ているとこちらの方が照れてしまうが、反面、こんなにも長くいても仲
良くしていられるのだという身近な手本にもなっている。
真琴が海藤を見上げると、海藤は既に眠ってしまった貴央を腕に抱いたまま軽く頭を下げた。
「明日、又連絡を下さい。1日空けているので今度は付き合いますよ」
「ああ」
「綾辻、頼むぞ」
「は〜い、お任せ」
一緒に車に乗って、菱沼夫妻をホテルまで送る役目を担っている綾辻は、なぜか頬を赤くしていた。
いったいどうしたのだと真琴は心配して訊ねたが、
「愛の鞭なの♪」
そう言って、全く自分は気にする様子も見せなかった。
海藤も苦笑を漏らしただけで何も言わなかったので、真琴もそれ以上は何も言えなかったのだが。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、また明日」
菱沼達の乗った車が見えなくなるまで見送ると、海藤は隣の真琴を見下ろして言った。
「俺達も帰ろうか」
「はい。倉橋さんもすみません」
「いいえ、どうぞ」
真琴と海藤が後部座席に乗り込み、倉橋が助手席に座ると、車は静かに走り始めた。
(よく寝ている)
そろそろ、午後9時半を過ぎようとしている時間だ、何時もならとっくに眠っている貴央は後部座席を陣取っているチャイルドシー
トでぐっすりと眠っていた。
綾辻は要らないんじゃないかと言ったが、頑として倉橋が安全の為だと設置したチャイルドシート。今では貴央の気に入りの場所
で、これに乗せるとほとんど時間を掛けることも無く眠っている。
「寝てますね〜」
「寝てるな」
今日はかなりの量の食事をしていたし、思いがけず立ち上がることもした。
大勢の人間と一緒で興奮もしたのだろうが、この分では多分腹が空くまで起きることは無いだろう。
「・・・・・海藤さん、今日は良かったですね」
不意に、真琴が感慨深げに言った。
「皆一緒にたかちゃんが立つところを見れて・・・・・。俺1人で見たとしても嬉しかったと思うけど、たかちゃんを大事に思ってくれて
いるみんなが一緒に見れたのがすごく嬉しくて。倉橋さんも、そうですよ?」
「ええ。私も、嬉しかったです」
「・・・・・」
バックミラー越しに見える倉橋の顔は穏やかに微笑んでいて、海藤は倉橋の中に眠る豊かな感情を垣間見たような気がした。
以前のこの男は、こんな顔をして笑うことなど無かった。
(多分・・・・)
真琴や貴央との出会いももちろんだが、倉橋をゆっくりと人間らしく変えていった人物の顔を思い浮かべて海藤は笑った。
赤いあの頬は、多分また倉橋の嫌がることでもした結果だろう。
それが2人のコミュニケーションになっている間は、海藤は口を挟むつもりは無かった。
真琴は、海藤の腕に抱かれた貴央の頬をツンと軽く突いてみた。
子猫のような声で何かを言ったものの、全く目覚める気配はない。
「今度は、おしゃべりかなあ」
「・・・・・ママって、呼んで欲しいのか?」
「そ、そんなことないですよ!」
幾ら自分が産んだとはいえ、やはり男の自分をママと呼ばせるのは少し変な感じがする。
(周りは何となくマコママって言ってくれるけど・・・・・)
「・・・・・何て呼んでもらおう・・・・・?」
そう考え出すと気になって仕方が無いが、海藤はそんな真琴を見てプッと小さくふき出した。
「そんな事は、話せるようになってから考えたらどうだ?」
「遅くないですか?」
「まだ、たっぷり時間はあるだろう?」
「あ・・・・・そうですね」
(また先走って考えるトコだった)
今からそんな事を考えていたら、今度はなかなか話さないと悩んでしまう真琴の姿が想像出来たのだろう。
海藤は、その間の時間を・・・・・もしかしたら少し長くなるかもしれないが・・・・・楽しんだ方がいいのではないのかと言ってくれてい
るのだ。
子育てを始めてから何度もぶつかる問題だが、今度こそ間違えないようにしようと、真琴はしっかりと頷いた。
「はい、ゆっくり考えることにします」
真琴のその答えに頷いた海藤に笑い返した真琴は、少し身を乗り出して助手席に座る倉橋に言う。
「倉橋さんの呼び方も、一緒に考えましょうね?」
「ありがとうございます」
思わず零れたというような倉橋の綺麗な微笑に一瞬見惚れてしまった真琴は、隣に座る海藤の服をツンと引っ張って呟いた。
「ねえ、海藤さん。倉橋さんって面倒見もいいし、何だか倉橋さんがママっていう方がしっくりするかも」
「!」
綾辻も倉橋同様色々気遣ってくれるが、彼はどこか上手に手を抜いていた。その点、倉橋は少し小言交じりにはなるものの、ど
んなことにもきっちりと真摯に向き合っている。
「それに、倉橋さん綺麗だし。ママでもちっともおかしくないですよ?」
「・・・・・」
「ま、真琴さんっ」
何を言うんですかと倉橋は慌てるが、寝ている貴央を起こしてはいけないと思っているのか声は小声のままだ。
そんな気遣いもしてくれる倉橋を、真琴は何だか共同で子育てをしているママ仲間のように思えた。
「倉橋ママ・・・・・克己ママ?何だかたかちゃんがそう言いそう」
間違えられたらどうしようとまったく見当違いの心配をしていた真琴は、倉橋の耳が赤く染まっていることに気付く事が出来なかっ
た。
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「たっち編」はこれで終了です。
次の章にいくか、それとも新しいママを登場させるか、ちょっとじっくり考えます。