マコママシリーズ





第四章  幼稚園入園編   1






 西原真琴(にしはら まこと)は緊張した面持ちで目の前の建物を見上げる。
赤い屋根の、それほど大きくは無い建物。しかし、グラウンドは広くて、ジャングルジムや滑り台など、様々な遊具も揃っているし、
奥の方には可愛らしいプールも見えた。
 都内では珍しくなったかもしれない土のグラウンドは裸足で走りまわったら気持ち良さそうだな・・・・・などと、前回下見に来た時
は呑気に考えていたのに、保護者面談の今日はとてもそんな余裕は無い。
 「・・・・・」
(ど、どうなんだろ)
 もしかしたら、入園は駄目だと言われるかもしれない。
海藤の裏の職業は言わないでいいと綾辻には言われたものの、その前の根本的な問題・・・・・両親共に男というのはやはり受け
入れにくいのではないだろうか。
 ゲイのカップルというのには素直に頷けないし、今手を繋いでいる子供は確かに真琴自身が産んだ子だ。
まだ男の妊娠、出産が稀だということもあり、きちんと病院からその証明書も出してもらってはいるものの、拒絶反応を起こされた
らどうしようもない。
 「マコ?」
 「・・・・・・」
 「マコってば!」
 「あ、ご、ごめん」
 最近、話す言葉もしっかりとし、語彙も増えた可愛い我が子、貴央(たかお)。
公園で遊んでいた友達皆が幼稚園に行くようになって、自分も行きたいのだと訴えてきた。そんな風に自己主張するほど成長し
たんだなと嬉しく思う反面、直面する様々な問題。
 どうすれば、貴央が望むように出来るだろうか・・・・・真琴はここのところずっとそんなことを考えていた。
 「真琴」
すると、穏やかな声が真琴を呼ぶ。
 「海藤さん」
 「お前1人の問題じゃないと言っただろう?」
 「・・・・・はい」

 真琴の最愛の人であり、貴央の父親でもある、海藤貴士(かいどう たかし)は、見た目はスマートな長身に眼鏡を掛けた、知
的で物静かな美丈夫なのだが、表の会社社長という顔とは違う、ヤクザの組の長という顔も持っていた。
 いわゆる経済ヤクザである海藤は、正当な手段で金を稼ぐらしいが、それでも大きな組織の一端を担っている人で、名前を言
えば知らぬ者がいないほどの有名人らしい。
 真琴と貴央にとっては、いい恋人、いい父親なので、真琴は彼の生業のせいで感情を荒立たせるのはしないようにしていたし、
実際、海藤は真琴に対して悲しみや辛さといった感情を抱かせない男だった。
 今回、貴央が幼稚園に行きたいと言い出した時も、直ぐに幾つもピックアップしてくれ、真琴にとって一番慣れやすいような、貴
央にとっても良い幼稚園を選びだしてくれた。
その中で、実際に真琴と貴央が何度も足を運び、最終的に決めた所に今日、保護者面接で訪れたのだが・・・・・。

 もちろん、保護者面接をするのは真琴達だけではなく、色んな家族連れがやってきている。
しかし、その中でも自分達は目立っていると真琴はヒシヒシと感じていた。
(そ、そりゃ、そうだよ。海藤さんと俺って、全然関係が見えないだろうし)
 大企業の役員か、弁護士のような雰囲気とその際立った容貌で、他の母親達から妙に熱のこもった視線を向けられている海
藤の隣に、どう見ても着慣れないスーツを着ている自分。
とうに大学は卒業している歳なのだが、出産と子育てで休学していたので未だ大学生の真琴は、どうしても居たたまれなかった。
(受験より緊張する・・・・・)
 そんなことを思っていると、
 「海藤貴央君」
貴央の名前が呼ばれ、
 「はい!」
 「は、はいっ」
元気よく返事をして立ちあがった貴央に、真琴も慌てて立ち上がった。



 真琴が緊張しているのは良く分かるが、海藤がどんなに言ってもその緊張は解けないだろう。要は自身の心持ちなので、海藤
はただ黙っていた。
 「お名前は?言える?」
 白髪交じりの年配の女性と、2人の保育士らしき女性が目の前に座っている。
貴央は優しく話し掛けられた自分の祖母くらいの相手に、うんと言いながら自分の名前を言った。
 「かいどーたかおです!」
 「ちゃんと大きな声で言えるのね」
 「パパ達のお名前は言えるかな?」
 提出した書類には、自分と真琴の関係を隠さずに書いている。
同時に、出産記録も提出して、けして自分達がにわか親子ではなく、血の繋がった家族なのだと分かってくれているのか、40代
ほどの保育士は【ママ】とは言わなかった。
 「いえる!」
 貴央は、先ず海藤の方を振り返った。
 「おとーさんは、かいどーたかしですっ」
きちんと言えた貴央の頭を撫でてやると、嬉しそうに笑う。
その後、貴央は真琴を見た。

 「ままは、マコです!」
 「違うってば〜。ママ・・・・・い、いや、それも確かに違うんだけど・・・・・」
 面接の何日も前から、挨拶の練習をしていた真琴と貴央。
当初は言葉の遅かった貴央だが、今では教えたことはきちんと覚え、海藤の下の名前も間違いなく言える。
 ただ、真琴に関しては、どうしても【マコ】という印象が強いらしく、何度教えてもマコのままで、真琴も、男である自分がママと呼
ばれることには抵抗があるらしく、そのあたりで何時も練習は詰まっていた。
 「いいんじゃないか?」
 そんな2人を帰ってからずっと見ていた海藤は、笑みを含んだ声でそう言ってやる。
 「貴央にとってはお前はマコなんだろうし」
 「で、でも・・・・・」
 「面接用に教えたって、直ぐにボロが出るぞ」
【おとうさん】と海藤を呼ぶように、真琴のことも自主的に考えて呼ぶようになるまで、変に強制はしない方がいいのではないか。
 海藤の意見に真琴は頷いたものの、どうしても納得は行かないらしく、その後も、面接日の当日の朝まで同じような問答を2人
で繰り返していた。

(何て言うんだろうな)
 貴央は、真琴の事をどう説明するのか。
内心楽しみにしていた海藤の前で、貴央は真琴を見ながらはっきりと言った。
 「ままは、マコなんだけど、マコはままじゃないよ」
 「あら、どうして?」
 「だって、マコはたーちゃんとおなじおとこだし!でも、いつもいっしょにいてくれるし、やさしくって、かわいくって、だいすき!」
 「た、たかちゃんっ」
 真琴は焦ったように貴央を止めようとするものの、その顔は真っ赤になっている。
真琴のプライドを考えてくれた(多分、嫌がっていると本能で悟ったのだろう)貴央の言葉に嬉しさがこみ上げたのだろう。
 そんな2人を見つめた海藤は、園長である年配の女性に向かって言った。
 「私達の関係が世間では特殊だというのは分かっています。それでも、貴央が幼稚園に行きたいと言い、ここが一番この子に合
うと思って決めました。どうか、この子の気持ちを私達のことで否定しないでください」



 頭を下げる海藤に、真琴も慌てて一緒に頭を下げた。
すると、
 「ふふふ」
楽しそうな声が聞こえ、恐る恐る顔を上げると、笑っている園長と目が合う。
 「確かに、私達にとっても初めてのケースですが、調べてみれば最近男性の出産も日本で稀にですがみられるようになったとか。
だとしたら、今後同じような子が入園してくるかもしれませんし、いい経験にさせてもらえればと思っていますよ」
 「え、園長先生」
 「お子さんを見れば家庭の中が垣間見えますが、貴央君はお2人のことを大好きで、自分が愛されていることも分かっているよ
うです。ここまでちゃんと子育てをされてきたんですから、自信を持って下さい・・・・・マコさん」
 お母さんではなく、そう名前を呼ばれ、真琴は思わずこみ上げてくる涙を抑えられなかった。
駄目かもしれないと、自分が男であるばかりに貴央の些細な願いも叶えてやれないと思っていたが、こんな風に分かってくれる人
がいる。それが、自分達が選んで決めた幼稚園の人だということが嬉しかった。
 「もちろん、分かってくれる御父兄達ばかりではないと思います。嫌な思いもされるかもしれませんが・・・・・」
 「大丈夫です!分かってくれるまで、頑張ります!」
 出産をした病院でも、貴央を連れた公園でも、始めはそんなこともあったのだ。
耐性は出来ていると鼻をすすりながら言えば、頼もしいわと笑われた。
 「うちは小さな園ですし、男手が多いと助かります。目立たないようになさるんではなくて、自分達の方から積極的に係わるように
なさってください」
そう言った園長は、キョロキョロと大人達の会話に視線を動かしていた貴央に言った。
 「貴央君、春になったら元気よく幼稚園に来てね」
 「はい!」
その温かな言葉で、貴央の入学は決まった。






 桜の咲く4月。
 「うわ〜っ、カッコいい!たかちゃん!」
真琴の言葉に、貴央は嬉しそうに自分の服を見下ろす。
真新しい幼稚園の制服。出来あがってから今日まで、何回も着たのだが、やはり入園式当日だと思うと真琴も貴央もテンション
が違った。
 「じゃあ、いくよ?海藤貴央君!」
 「はい!」
 「よしっ、完璧!あ、海藤さんっ」
 真琴はネクタイを締め終えた海藤を振り向いた。
 「ビデオ、しっかりお願いします!」
 「分かってる。お前の家族にも、御前にも見せないといけないしな」
本当は真琴の家族、海藤の伯父である菱沼夫妻も、貴央の入園式に出席すると煩かったのだが、全部で20人ほどしかいな
い新入生と同じ数の保護者を連れていけないと、2人して止めたのだ。
 その代わりに、ビデオと写真は絶対に忘れないようにと言われたので、真琴は昨夜から何度も何度も準備を確認していた。
 「お前も着替えないと遅くなるぞ」
 「あっ」
そう言えば、1人だけまだパジャマだったと、真琴は大急ぎでスーツに着替えた。しかし、今回はネクタイはせず、襟元がおしゃれ
なシャツを着ることになっていた。海藤が無理をするなとプレゼントをしてくれたのだ。
 「マコ、かみもぼわってなってるー」
 「嘘っ」
 「はは、本当だな」
 「うーっ」
何だか1人で焦っているような気がしながら、真琴は洗面所に掛け込んだ。

 「あら、たーちゃん、カッコいいじゃない」
 「ありがとー、ゆう!」
 今日の送迎を申し出てくれた綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)が玄関先まで出迎えた貴央を見てそう言い、貴央ははしゃいでグ
ルグルと回っている。
 「綾辻さん、すみません、今日は」
 「いいのよ、私もいい勉強になるし」
 「あ・・・・・」
 「まだまだ先だけどね」
 綾辻の子供である優希(ゆうき)が幼稚園に入学するまでは確かにまだ間があるだろう。それでも、そう言って気兼ねを無くそ
うとしてくれる気持ちを嬉しく思い、真琴は背後を振り返る。
 「海藤さんっ」
 「今行く」
 ビデオカメラなどが入った袋を手にして出てきた海藤を見て、綾辻は笑みを噛み殺しながら言った。
 「な、なんだか、本当にパパ」
 「お前も直ぐこうなるぞ」
すまして言う海藤に真琴もつられて笑い、貴央の早く早くという声に促されて、ようやく一行は入園式に向けてマンションを出るこ
とになった。





                                   





お久しぶりのマコママの新章。
今回はたかちゃんの入園式と、それにまつわる話です。