マコママシリーズ





第三章  たっち編   7






 マンションのエントランスで貴央を抱いて待っていた真琴は、ようやく目の前に止まった高級外車と見慣れたレクサスというに2台
に顔を綻ばせた。
 「たかちゃん、じじ達来たよ」
 「じー」
高級外車の助手席から降りた男が、後部座席のドアを恭しく開いた。
中から現れたのは、アンバー色のジャケットをおしゃれに着こなした菱沼と、榛色のパンツスーツを上品に身にまとった涼子。
還暦を超えた夫と、50を過ぎた妻・・・・・と、いう夫婦にはとても思えない若々しさだった。
 「やあ!マコちゃん!たーちゃん!」
 まるで外国人のように言動が派手な菱沼は、目元を笑みで緩ませて貴央ごと真琴を抱きしめた。
海藤ほどではないが、真琴よりもよほど逞しい腕だ。
 「あなた、セクハラよ」
 「涼子さん、これは息子の嫁と子供に対する親愛の行動だよ?」
 「とてもそうは見えないけど」
菱沼の言い訳をたちどころに却下した涼子は、小さな貴央の手を掴んでふっと微笑んだ。
 「こんにちは、貴央君」
 「あー」
にこにこ笑いながら応える貴央を見て更に頬を綻ばせた涼子は、視線を真琴に移して言った。
 「ちゃんと、パパしてるわね」
 「は、はい」



 海藤の母親の兄である菱沼は、海藤から見れば伯父にあたる。
だが、育児放棄とまでは行かないが、自分の夫にしか愛情を向けられない妹を見て、菱沼は海藤を自分の手元に引き取った。
ヤクザの組の長であった菱沼は幼い頃からの海藤の資質に気付き、英才教育ともいえるように自分の後継者として海藤を育て
ていき、今や海藤はその名を言えば誰もが知るというほどにその世界ではしっかりとした地位を確立していた。

 その、我が子同然な海藤が生涯の伴侶として選んだ真琴。
当初、菱沼の妻である涼子はその存在に難色を示していたが、真琴の人となりと、海藤の深い愛情を知って暗黙のうちに認め
るようになり、子供が出来てからは海藤の本当の伴侶として受け入れるようになった。

 それでも、涼子は真琴の事を海藤の妻と言ったり、貴央のお母さんと言ったりはしない。
真琴の男としての存在意義をきちんと認めて、ママではなくパパと言うのだ。
そんな涼子の気遣いに真琴も感激し、2人は世に言う嫁姑という関係とは少し違う、義母と息子という立場でいた。



 「貴士ったら、なかなか連絡くれないから、真琴さんの電話だけが楽しみなのよ」
 「海藤さん、そんなに連絡入れていないんですか?」
 「・・・・・真琴さん」
 「は、はい」
 急に改まったように名前を呼ばれ、真琴は慌てて視線を向けた。
 「あなた、まだ貴士をそう呼んでいるの?」
 「え?」
思い掛けない言葉に、真琴は途惑ってしまった。
 「だから、その海藤さんって」
 「あ・・・・・えと、なんか、これで慣れてしまっていて・・・・・」
 それは、海藤にもそれとなく言われたことでもあった。
一緒に暮らしてもう3年近く経ち、2人の間には子供まで出来ているのだ。本来は夫・・・・・いや、生涯の伴侶となる相手を、苗
字で呼ぶのは少しよそよそしいだろう。
(でも、面と向かうと・・・・・なんか、照れちゃって・・・・・)
 さすがに、あの時は・・・・・夫婦の営みをする時には名前を呼ぶことも多くなってきたが、普通の暮らしの中ではまだ海藤のことは
海藤さんと呼んでしまっていた。
 「あの・・・・・」
 「前から思っていたんだけど、真琴さん、何時になったら貴士の籍に入るの?男だから迷うこともあるかもしれないけど、貴央君
の事を考えたら・・・・・」
 「涼子さん、とりあえず中に入らせてもらおうよ」
タイミング良く、菱沼が涼子の肩を叩いた。
 「落ち着かない」
 「・・・・・そうね」
 「あ、どっ、どうぞ」
内心ホッとして、目線だけで菱沼に礼を言った真琴は、直ぐに自分達の部屋の暗証番号を押そうとして・・・・・あっと気付いて振
り返った。
 「綾辻さんっ」
(忘れてた!)



(あ〜あ、涼子さん初っ端から容赦ないわね〜)
 運転席から真琴に詰め寄る涼子の姿を見た綾辻は思わず苦笑を漏らした。
あの涼子の行動はけして真琴を責めているのではなく、2人の事を思って言っているというのは綾辻にはよく分かっていた。
多分、それは真琴も分かっているのだろうが、当事者だけにどう言っていいのか分からないのだろう。
(2人の問題だとは分かってても、つい口出ししちゃうのよねえ)
 「綾辻さんっ」
 その時、マンションの中に入っていこうとした真琴が振り返った。
今日菱沼達のお守(菱沼は笑うだろうが、涼子は怒るかもしれない)を仰せつかった綾辻の存在を唐突に思い出したのだろう。
綾辻は窓を開けて言った。
 「地下に停めてから上がるわ」
 「分かりました」
 「じゃあね」
 真琴にウインクすると、綾辻は何時も自分が車を停めている地下駐車場に車を走らせた。
 「涼子さんも歳をとったわねえ・・・・・」
昔はもっと豪胆で、だからこそ厳しいと言われていた涼子。
ヤクザの組長である菱沼よりも組長らしいと言われていた彼女だが、子供のように育ててきた海藤が子を持って、まるで初孫が生
まれたかのように喜んだのを綾辻は知っている。
 菱沼と涼子の間には2人の子がいるが、30半ばの長女は結婚して3人の子持ちだが海外に暮らしているし、20代後半の長
男は今だ独身だ。
だからこそ、感情が真っ直ぐこちらへと向かってしまったのだろうが・・・・・。
(さて、社長はどう宥めるかしらね)



 マンションに上がっても、涼子は特に部屋を見て回ることは無かった。
そこは少し普通の姑とは違うかもしれない。
(よ、汚れてないよね)
それでも真琴は気になって、チラチラと部屋の中をチェックした。
 「マコちゃん、貴士は何時帰ってくるんだい?」
 リビングのソファにどっかりと座り込んだ菱沼が、貴央をあやしながら聞いてきた。
 「今日は一緒に夕食をとるので、6時過ぎには帰ってくるって言ってました。あの、勝手にお店を予約しちゃったんですけど」
 「いいよ。あいつは特に食事に文句は言わないけど、舌は肥えてるからね。あいつの案内する店は今まで外れは無いし」
 「あら、私は久し振りに貴士の手料理が食べたかったくらいよ。でも、何時も子育てで忙しいものね、たまには外食で楽をしなく
ちゃ」
 「お、お茶、コーヒーでいいですか?昨日、美味しい豆を買ってきてくれたので」
 「うん」
真琴がお茶の準備をしていると、不意にインターホンが鳴った。綾辻が上がってきたらしい。
 「ご苦労様です」
 「うん、お疲れ様」
 玄関のドアを開けながらそう言って迎えると、綾辻は何時もの笑みを浮かべてそう言った。
しかし、その後直ぐに真琴の耳元に唇を寄せて聞いてくる。
 「あの2人、大人しくしてる?」
 「大人しくって・・・・・別に煩くないですよ?」
 「嘘。マコちゃん、私には本当の事言っていいのよ?」
 「いえ、だから}
 「ユウ〜、聞こえてるぞ〜」
 その時、まるで本当に側で聞いていたかのようなジャストのタイミングで菱沼の声がした。
もちろん、造りがしっかりしているこのマンションで、こんなに潜めて話している声が聞こえるわけは無いのだが、玄関に綾辻を迎え
に行って直ぐに戻ってこない真琴の行動を考えてそう言ったのだろう。
そして、綾辻もそんな菱沼の行動を読んでいたのか、今度は大きな声で真琴に言った。
 「マコちゃん、苛められたら直ぐに社長に言うのよ〜?社長は自分の親代わりにでもガツンと言ってくれる人だから〜!」
 「あ、綾辻さんっ」
 「綾辻!内緒話はもっと小さな声でしなさい!」
 今度は、菱沼の代わりに涼子の声がする。
慌てる真琴とは裏腹に、綾辻はこれもコミュニケーションの一つだとでも言うように楽しそうに叫んだ。
 「耳が良くて良かったじゃないですか!まだまだ若いって事ですよ!」
 「当たり前じゃない!ほらっ、うちのがお土産を運んでくるから手伝ってやって!」
 「は〜い」
 「・・・・・」
(あ、綾辻さん、凄い)
まだまだそこまでざっくばらんに2人とは打ち解けることが出来ていないと思っている真琴は、平気で軽口を叩く綾辻を尊敬の眼差
しで見つめた。





                                   





パワフルな菱沼夫妻の登場。
変に嫌味がないので、はっきりした物言いの綾辻さんとは気が合うようです。
次回もまだ引き続きこの2人の話ですよ。