マコママシリーズ
第三章 たっち編 8
「さっき、海藤さんから連絡がありました。後1時間ほどで着くそうです。それで・・・・・」
コーヒーカップを出しながら話していると、真琴の腰に貴央が抱きついてきた。
「まんま!」
「まんま?ミルク飲む?」
「みゅうく〜」
最近ようやく分かり出した言葉に思わず笑みを浮かべてしまったが、真琴は直ぐに手元のカップを見下ろして困ったように貴央に
言った。
「たかちゃん、もう少し待っててね?」
「みゅく〜!」
「真琴さん、先に貴央君のことをしてやって」
そんな2人の様子に目を細めていた涼子がそう言い、綾辻が真琴の手からカップを取ってくれた。
「ほら、マコちゃん」
「あ、はい、すみません」
(たかちゃん、さっきバナナ食べたばっかりなのに〜)
真琴がキッチンへ向かう後ろ姿を見送っていた涼子が、まるでこの家の主のように優雅に茶の準備をしている綾辻に視線を向
けた。
「今日、迎えに来るのは倉橋って聞いていたんだけど・・・・・どうしてお前に代わったの?」
(きたきた)
多分涼子はその話を振ってくると思ったので(菱沼は全く気にしないタイプだが)、綾辻は動揺することも無く用意した答えを笑い
ながら言った。
「早く涼子さんに会いたいなって思ったからですよ〜。それに、倉橋よりも私の方がお相手として楽しめません?」
「・・・・・確かにお前は話上手だけど、私はあの倉橋の融通の利かない生真面目なところが好きなのよ。可愛いし」
「・・・・・」
(確かに、可愛いけど)
涼子はかなり男っぽい強い性格で、伴侶である菱沼は一見穏やかそうに見えながら、その実何を考えているのか全く分からな
い食わせ物だ。
2人の子供は独立して既に家にはおらず。
海藤も真琴のこと以外は表情も変化しない冷静沈着なタイプで。
(しょちゅう遊びに行く私がこんな性格してたら、涼子さんが克己をからかって遊びたくなるのは分かるけど)
今のところの涼子のお気に入りは、真琴と貴央と倉橋で、今回のように3人とも揃うことはほとんど無いので楽しみにしていたの
は良く分かるが・・・・・。
(今回は極秘情報が入ってきちゃったし)
綾辻はチラッと暢気にコーヒーを飲んでいる菱沼の横顔に視線を向けてから、涼子に向かって悪戯っぽい笑みを見せた。
「涼子さん、倉橋に見合い話を用意してたでしょ?」
「・・・・・」
涼子の視線が菱沼に向けられたが、この後菱沼がどれだけ責められるかなどは関係ない。
「真面目なあいつが、簡単に断われるわけが無いでしょう?」
「どうして断わると思うの?」
「・・・・・だって、倉橋には熱烈に愛し合ってる恋人がいるんですもの」
「・・・・本当?」
「ええ、ねえ、御前」
「・・・・・まあ、認識の差はあるかもしれないが、彼が愛されてるのは間違いはないんじゃないかな」
模範的な回答をしてくれた菱沼に目線で礼を言った綾辻は、さすがに驚いているらしい涼子にさらに続けて言う。
「でも、あいつは真面目な性格をしてるから、車の中で涼子さんが熱心に進めちゃったら、断ることも出来ないでしょう?後々問
題になるくらいなら、私が先回りして言っておこうかなって」
「・・・・・そうなの」
涼子は側に置いていた少し大きめのバックに視線を向けた。
きっとあの中には、今日倉橋に勧めようとした縁談相手の写真が入っているのだろう。
「残念。うちの息子には少し早いし、貴士にはもう家庭があるでしょう?お前は結婚には向かないタイプだから、倉橋にはいい話
だと思ったんだけど」
「涼子さんが私達のことを思ってくれているのはよく知ってます。倉橋も嬉しいと思いますよ」
「もう・・・・・相手がいるんなら早く所帯を持たせなきゃ」
見合いが無理ならば仲人でもと考えているのか、張り切ってそう言う涼子を見た綾辻は、思わず菱沼と顔を見合わせて苦笑を
零してしまった。
それから1時間少し経って、海藤と倉橋がマンションに戻ってきた。
「すみません、遅くなりまして」
元々今日の海藤の予定が決まった後で、今回の菱沼の訪問が決まったのだが、せっかく東京にまで出てきてくれた伯父夫婦を
待たせてしまった詫びはきちんと言わなければならないだろう。
頭を下げた海藤に、貴央を膝に抱いた菱沼はご満悦に笑った。
「いいことじゃないか、暇よりは」
「お帰り、貴士。・・・・・倉橋も」
「お久し振りです」
丁寧に頭を下げて挨拶をする倉橋をじっと見つめる涼子に、海藤は少し違和感を感じてしまった。
しかし、その違和感は直ぐに消え去ったようで、涼子は笑みを浮かべながら海藤に言った。
「もう随分大きくなったわね、貴央君。今度は軽井沢の方にもゆっくり来れるんじゃないの?」
「ええ。時間が取れたら遊びに行きます」
「そんなんじゃ駄目よ。時間は作らなきゃ出来ないんだから、日にちをちゃんと決めて早めに来て頂戴」
「はい」
はっきりとした涼子の言葉に海藤は笑う。
慣れない相手にはきつ過ぎるほどにきついだろう涼子の言葉や態度も、その人柄を知れば、けして裏切ること無い真っ直ぐな信
念をその向こうに見ることが出来る。
真琴も、当初は涼子を苦手としていたようだったが(真琴の母親とは正反対の性格だからだろう)、今では子育て経験者として涼
子を頼るようになっていたし、そんな真琴を、涼子も可愛がってくれている。
「直ぐに食事に行きましょうか」
海藤がそう話していると、菱沼の膝にいた貴央がムズムズと身体を動かして、パタパタと結構な早さで海藤の足元まで這ってき
た。
「ぱー、かー」
「ん?何だ、それは」
貴央の物言いに首を傾げた菱沼に、真琴が貴央を抱き上げて海藤に手渡しながら言った。
「パパと、海藤さんっていうのが混ざっちゃってるみたいで」
「呼び方が、かい?」
「はい。あの、たかちゃんに話し掛ける時はパパっていうようにはしているんですけど、普通は海藤さんって呼ぶことも多くて、なん
か真似しちゃってるみたいなんです」
「へ〜、子供って頭いいのね〜」
感心しながら言った綾辻がその頬をツンと突くと、貴央はきゃっと笑いながら手を伸ばしてくる。
「あん、私もたかちゃんみたいな子ほし〜!」
「お前もいいかげん、隠し子の1人でも作りなさい」
涼子にあっさりと言われた綾辻は、ははっと笑いながら誰かに視線を向けていた。
菱沼夫妻をもてなすのは、都内某所の和食の店にした。
ここは全て個室で食事をする場所で、食材も新鮮で、創作物も多いという、綾辻お勧めの店だった。
予め子供も同伴と伝えていたので、貴央用にお粥と茶碗蒸し(どちらも薄味だが、ちゃんと出汁から作っている)も用意されてい
て、早速真琴が食べさせると、かなりのスピードで口にし始めた。
「美味しいんだ?」
「まー」
「美味いって言ってるのかな」
笑いながら言った菱沼は、既に冷酒を口にしている。
「あなた、何か食べないと酔うわよ」
「そうしたら、涼子さんが介抱してくれるだろう?」
「さあ」
「こらこら、そこは痴話喧嘩なんて後々。何を食べたいか決めてください」
「・・・・・」
(わ〜、綾辻さんあんなこと言ってる)
だが、菱沼夫婦は綾辻の言葉に全く気分を害することなく、そうだねと言いながらメニュー(お品書き)を見ている。
付き合ってきた月日と信頼からかもしれないその空気に、真琴は何時しか自然に自分もその仲間に入れたらと思った。
もちろん貴央も一緒に、だ。
「真琴は、何を食べる?」
隣に座った海藤が真琴に訊ねてきた。
「お、俺は・・・・・えっと、カツ丼?」
「カツ丼?」
「あ、そ、そんなのないですよねっ」
つい、何時も家族で行っていた和食のお店を思い出して口が滑ってしまったが、こんな高級な場所でそんな庶民的なメニューが
あるはずは無いと言ってから気付いた真琴は、直ぐに別の物を頼もうとメニューを見ようとしたが。
「お前はカツ丼だな」
「あ、で、でも、メニューには無いし」
「無ければ作らせればいいじゃない」
事も無げに涼子が言い、
「そうだね、材料なんかありふれたものだし、一流の店は客の希望に応えるものだ」
菱沼も、当たり前だと頷いた。
「じゃあ、マコちゃんはカツ丼ね。あ〜なんか、私も丼物食べたくなっちゃった」
綾辻までそう言って、真琴は心の中で思わず謝ってしまった。
(お、お店の人、ごめんなさい〜!)
![]()
![]()
菱沼夫妻、上京編は続いています(笑)。
でも、このたっち編もあと2話で完了予定ですので・・・・・早くたかちゃん立たせないと。