マコママシリーズ
第四章 幼稚園入園編 10
真琴の言葉の通りかどうかは分からないが、それから30分もしないうちにパイもマドレーヌも売り切れ、同じ教室内にあった他
の菓子も連動するように売れた。
「ご苦労様でした」
その報告を受けた松田は教室にやってくると、嬉しそうに顔を綻ばせてその場にいた者達に頭を下げた。
「急なことでご迷惑を掛けましたが、こんなにも早く完売することが出来ました。本当にありがとうございます」
そして、松田の視線は、今日いきなりピンチヒッターを務めた海藤に向けられる。
「海藤さん、ありがとうございました」
「いえ、こちらにお世話になっているんですから、出来ることはしたいと思っています。協力出来てよかった」
少しだけ口元を緩めた海藤の姿に、周りの母親達が見惚れるのが分かった。こんな些細なことで妬きもちをやくのもおかしいか
もしれないが、真琴はじっと海藤の横顔を見つめた。
(やっぱり、笑ったら威力倍増・・・・・)
そうでなくても整った容貌の海藤が、あたりが柔らかくなればモテルのは当然だと思う。
もちろん、嫌われるよりはいいのだが・・・・・なんだか複雑だ。
「真琴さん」
「あ、はいっ」
そんなことを考えていた真琴は、急に声を掛けられて慌てて返事をする。微妙に声が裏返ってしまったが、松田はそんなことは
気に掛けていないようだ。
「少し遅れてしまったけど、これから貴央君と3人でバザーを楽しんでくださいね」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、ここには完売の張り紙をして・・・・・」
それからしばらくは教室の中を整理して、この場のもも組の父兄は解散になった。
「お前はどうする?」
教室から出た海藤は、側に立つ綾辻を振り返った。
行きがかり上バザーの手伝いまでしてもらったが、本来は朝の1、2時間ほどの拘束で解放する予定だったのだ。
「ついでだから、ちょっと覗いていきます」
「倉橋はいいのか?」
「たまにはのんびりしたいんじゃないかな。私って構い倒す方だから」
その言葉は意外に真実をついているのだろう、海藤は苦笑してしまった。
綾辻本人は倉橋のために先回りをして動いているのだろうし、こちらが感心するほど優希の世話もよくしている。
しかし、完璧主義の倉橋からしたら、そんな綾辻の行動はどこかでプレッシャーになっている可能性もあった。それが分かってい
るらしい綾辻は、こんなふうに時折海藤や真琴にべったりと付いて、倉橋に息抜きをさせているらしい。
(心配はないようだな)
倉橋の性格をよく知っている海藤にとって、綾辻は本当によくその感情の動きを見極めていると分かる。この男は絶対、倉橋
や優希を完璧に守ってくれるだろう。
「ねえ、たかちゃんも私と一緒に遊びたいでしょう?」
「うん!」
「ふふ」
「あのね、ゆーちゃんに、おみやげあげて?」
「お土産?そうね、じゃあ、たかちゃんが選んでくれる?」
子供の目線に立つ綾辻によく懐いている貴央は、早速真琴の手を離して綾辻と手を繋いだ。
「マコちゃんは社長と手を繋いでね?迷子にならないよーに!」
「え?え?」
焦る真琴に綺麗に笑いかけながら、綾辻はさっさと歩き始める。その後ろ姿を見ながら、海藤は真琴の手を取った。
「か、海藤さん?」
ここには自分達だけではない。他の父兄や子供達も大勢いるし、男同士でこんなふうに手を繋いでいる自分達を奇異の目で
見る者もいるかもしれないが、そんな視線を気にしてせっかくの時間を過ごしたくない。
「行こうか」
一瞬、真琴が手を引き抜こうとしたのが分かったが、海藤は気にせずに歩き出す。
すると、覚悟を決めたのか、真琴もしっかりと手を握り返してきた。
幼稚園のバザーなので、子供相手の出し物も多い。
クジに、輪投げ、商品を釣りのようにしてとるものもある。後は食べ物と、手作りの小物や、不用品の販売、そして野菜の直売。
「おねーさん、このバナナとイチゴ買うから、キャベツオマケして?」
「あ、綾辻さんってば!」
「あら、駄目?」
「い、いいですっ、オマケします!」
綺麗なウインクをしながら言う綾辻に、売り子である母親は焦ったように頷く。その隣にいる別の父親がいいのかと言うと、
「そこのカッコイイパパ!男は度胸よ!」
そう言って、場を笑わせていた。
華やかな容姿の綾辻はいるだけでも目立つのに、口を開いた時の女言葉のギャップに皆が驚き、笑いが起こる。結局客が集
まった功労者として、大根もサービスしてもらっていたのには笑った。
「どうするんだ、その野菜は」
「今日は愛情いっぱいの克己の料理を期待しま〜す」
どうやら、調理をするのは倉橋らしい。仕事は完璧ながら、料理はまだまだの倉橋に笑って作って欲しいと言えるのはきっとこ
の男だけだ。
「果物も持って帰るといい」
「ええ。あとは、たかちゃん、期待してるわよ!」
貴央は優希への土産を自分で取ると言って、今小さな手作りの竿を握っている。
子供相手なので絶対に釣れないということはないだろうが、真剣な横顔を見ると頑張って欲しいと思った。
「落ち着けば取れる」
プレッシャーになるかもしれないと思いながらそう言うと、頷いた貴央が紐の先を鯉の形をした紙袋に引っ掛ける。
「とれた!」
はしゃいだ声と同時に海藤を振り返ってしまい、大きく揺れた手元のせいでせっかくの紙袋が落ちてしまった。
「あー・・・・・」
「次は絶対に大丈夫だ」
海藤は泣きそうに歪んだ貴央の頭を撫でると、もう一度頑張るようにと励ました。
バザーが終わると、しばらくは幼稚園の行事はない。
行事はないが、真琴にとって緊張する時間が迫っていた。
「掃除、掃除っ」
「真琴」
「あ〜っ、もうっ、どこまですればいいのか迷うよ〜」
思わず空を見上げて嘆いた真琴に、海藤は苦笑しながら背中を叩いた。
「掃除をするのはいいが、換気扇までしなくてもいいと思うぞ」
「・・・・・あ」
真琴は今自分が手にしている物を見下ろして思わず声を漏らしてしまう。換気扇のフィルターはつい一ヶ月ほど前に海藤が換え
てくれたばかりなのでそれほど汚れてはいなかった。
いや、そもそもキッチン周りを片付けることはないと冷静に考えたら分かるのだが、何だか気ばかりが焦ってしまうのだ。
「海藤さん、子供部屋も見せた方がいいと思います?」
「向こうが言ったら見せたらいいんじゃないか?」
「トイレとか、使われる可能性だってありますよね?」
男所帯だし、子供がいるので完璧に綺麗だとは言えないが、それでも自分も海藤も汚しっぱなしのタイプではないので部屋はそ
れなりに片付いている方だと思う。
ただ、女性の目から見たらどうだろうか。
(やっぱり、母親がいないからって思われたくないし)
「・・・・・海藤さん、明日の午前中、倉橋さんに来てもらってもいいですか?」
「倉橋を?」
「倉橋さんに悪いところを指摘してもらいたいんです」
潔癖症とは言わないが、倉橋はかなり綺麗好きだ。その彼に問題点を注意してもらったら、今よりはずっとましになるんじゃない
かと思う。
「真琴」
そんな真琴を、海藤は不意に抱きしめた。
「家庭訪問は、何時もの家庭を見てもらうものじゃないのか?確かに片付けるのは悪いことじゃないが、何もモデルルームのよう
な部屋で暮らしているんだと思われなくてもいいと思うが」
「・・・・・そう、かな」
初めての家庭訪問。
全くの他人を自分たちの生活空間に招き入れるのも初めてで、真琴は確かに1人焦ってしまった。
少しでも松田にいい印象を持ってもらいたい、女手が無くてもちゃんと暮らしているんですねと言ってもらいたいと思っていたが、も
しかしたらそんなふうに思っている自分の方こそ、今の暮らしに偏見を持っているのだろうか。
(上辺だけ見てもらっても仕方ないのに・・・・・)
貴央がどんな環境で育っているのか、毎日幼稚園に通っている姿からも松田はきっと感じ取っているはずだ。こんなに急に取り
繕っても仕方が無いのかもしれない。
「・・・・・」
「・・・・・」
「ごめんなさい」
無駄に騒いでしまったことを謝ると、海藤は軽く目元にキスをしてくれる。
「謝ることは無い。それだけ一生懸命してくれているんだからな」
「・・・・・」
(そんなに、甘やかしてくれなくてもいいのに)
どんな時でも自分を包んでくれる海藤の言動は、とても嬉しいのに少し、心苦しい。なんだか、自分ばかり支えてもらっているよう
で居たたまれない気分にもなる。
(ちゃんとしないと)
まだ学生の自分は、貴央を育てることだけでなく、外で働く海藤の手助けもしないといけない立場だ。
甘えてばかりはいられないと、真琴は自分からもギュッと海藤の腰に抱きついた。
二日後。
「ねー、きょう、せんせーくるの?」
チラチラと居間の時計を見上げる真琴に貴央が話しかけてくる。
「うん、そうだよ」
「あそぶの?」
家庭訪問という意味がまだ分からない貴央は、松田が家に遊びに来ると思っているらしい。実際に松田に飛び掛っていかれると
困るので、真琴は噛み砕いて説明してみた。
「ううん、遊ぶんじゃなくて、たかちゃんがお家でお利口さんかどうかを聞きにくるんだよ」
「えー、たかちゃん、おりこーだよね?」
「お手伝いも一杯してくれるもんね」
真琴も海藤も自分から動くので、貴央もそれを真似て遊んだおもちゃの片付けや、食事の時の片付けなど言わなくてもしてく
れる。
もちろん、そこは子供なので時折サボったり、ダダを捏ねたりもするが、真琴の予想よりも遥かに、貴央は優しい。良く話す真琴
に似て口数も多くなったが、性格はきっと海藤に似てくれたのだろう。
「あ」
その時、来客を告げるインターホンが鳴った。
慌てて対応すると、松田が訪問してきたことを告げてくる。
「たかちゃん、先生来たよ」
早速貴央と玄関先で待った。エレベーターに乗ってここに来るまでまだ時間があるというのに、なんだか落ち着かなくて待ってい
る方が気が楽だった。
しばらくして、部屋のインターホンが再び鳴る。
「は、はい」
「松田です」
「今開けますっ」
ドアチェーンを外して、鍵を開ける。開いたドアの向こうには、松田が何時もの笑顔で立っていた。
「こんにちは、真琴さん。こんにちは、貴央君」
「い、いらっしゃい、ませ」
スリッパを出しながら、真琴はハッと思い当たる。
(お茶の準備してなかった・・・・・っ)
待っている間、せめて後注ぐだけの状態にしておけばよかったのに、まだカップさえ出していなかった。あれだけ時間を持て余して
いたのにどこか抜けてしまっていた自分に呆れながら、真琴はとにかくどうぞと松田を中に招き入れた。
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バザーは終わり、家庭訪問。
マコちゃんの人生の選択の話が少し出てきます。