マコママシリーズ





第四章  幼稚園入園編   9






 幾つものパイと、綾辻の作ったマドレーヌも綺麗に包装して、真琴は海藤と共に幼稚園に向かった。
その間、貴央はマンションで綾辻に見てもらうことにする。商品を渡すと、バザー開始時間まで少し間があるので一度マンションに
戻るつもりだったのだが。
 「・・・・・?」
 幼稚園の玄関をくぐった真琴は、なんだかざわついた様子に眉を顰めた。
既に運動場や隣接する公園、そして建物の中も可愛らしく飾り付けは終わり、売り子になる保護者や、商品を持ってきた父兄
たちも大勢いるのだが、そんな賑やかさとは少し違う様子がしたのだ。
 「何かあったようだな」
 海藤もそれに気づいたらしい。
 「何があったんだろ・・・・・」
 「教室に行ってみるか?」
その言葉に頷き、廊下を歩いていた真琴は、
 「あっ、海藤さん!」
 「え?」
ちょうど通りかかった職員室のドアがいきなり開いたかと思うと、ばったりと鉢合わせになった松田が大きな声を上げた。
突然のことに驚いてしまった真琴は、思わず手に持ったマドレーヌの入った段ボールを落としそうになる。
 「ま、松田先生?」
 「あのっ、お願いがあるんですけど!」
ガバッと頭を下げられ、真琴は海藤と顔を見合わせた。

 松田の話によると、今日バザーの売り子をするはずだった父親が2人、1人は急に仕事が入り、1人は発熱をしてしまい、出る
ことが出来ないという連絡が入ったらしい。
 1人だけならばともかく、2人一度に休まれて急遽他の父兄を当たったようだが、なかなか当日で承諾してくれる者が見付から
なくて焦っていたと聞き、真琴は松田が自分達を見て目を輝かせたわけが分かったような気がした。
 「今園に来てくださっているご父兄にも聞いてはいたんですけど、どの方もなかなか都合がつかなくて・・・・・」
 「売り子って、午前中いっぱいですよね?」
 「ええ。十時からだから昼までになるんですけど・・・・・」
 二時間くらいなら手伝ってもいいかと真琴は考え始めた。貴央の世話は海藤にお願いしようと言い掛けたが、その前に海藤が
口を開いた。
 「私で良かったら手伝いますよ」
 「海藤さんっ?」
 「本当ですかっ?」
 驚いた真琴とは反対に、松田は嬉しそうに声を上げる。
しかし、真琴は海藤が売り子をする姿がとても想像出来なかった。
 「俺がしますから、海藤さんはたかちゃんの・・・・・」
 「お前は何時も幼稚園のことで動いているだろう?たまには俺にも手伝わせてくれ」
 「海藤さん・・・・・」
 確かに、貴央の関係で幼稚園のことに係わるのは自分の方が多いが、それは海藤が忙しいからだ。
けして海藤が非協力なわけではなく、こういったイベントの時は裏方ではなく純粋に楽しんでもらいたいと思ったのだが、海藤は
全く気にしないように話を続ける。
 「先生、よろしいですか?」
 海藤に話し掛けられ、松田はガバッと頭を下げる。
 「本当に助かります!ありがとうございます、海藤さん!」
 「か、海藤さん」
本当にいいのかと、真琴は不安げにその横顔を見つめた。



 「ふふ、社長の接待術を観察しましょ」
 手順を聞くためにそのまま海藤は幼稚園に残ることになって、真琴は1人でマンションに帰った。
そこで綾辻に今の話をしたのだが、綾辻は面白そうと笑うだけだ。
 「わ、笑わないで下さいよ〜」
(すごく心配なのに・・・・・)
 海藤が何をやっても器用な男だとは分かっているつもりだが、これが接客となるとどうだろうか。
端正な容貌の海藤は確かに人目を引くものの、かといって近寄りやすいという雰囲気ではないと思う。
 「社長が売っているものだけ売れ残ったりしてね〜」
 「あ、綾辻さんっ」
 「まあ、心配はないと思うけど・・・・・あ、そろそろ出掛けましょ」
 午前10時の開園まではもうすぐだ。とにかく心配でたまらなくて、真琴は急いで貴央の支度をすると、妙に楽しそうな綾辻を連
れて車に乗り込んだ。

 開園5分前には、再び幼稚園の前に着いた。少し早すぎたかと思いながら真琴が窓の外を見ると、驚いたことに門の前にはも
う列が出来ている。
 「すご・・・・・」
 「あら、結構盛況じゃない」
 「そ、そうですね」
 この時間ならまだ人影もまばらかと思っていたが、案外皆このバザーを楽しみにしていたのだろうか。
昔、弟の通う幼稚園のバザーに行った時はもう少しのんびりとしていたけどと思いながら、真琴はキョロキョロと辺りを見回した。
どうやら海藤は外にいないようだ。
 「社長はどこかしらね〜」
 「俺達が作ったパイのトコかも・・・・・」
 「あ、それ、正しい選択」
 「え?」
綾辻の言葉の意味が分からなくて首を傾げると、綾辻は楽しげな笑みを崩さないまま言う。
 「だって、野外で衆人観衆の前に顔をさらしちゃったら凄い騒ぎになりそうじゃない?それよりは小さな教室で適度な人数を相
手にしている方がいいもの」
 「そ、そんなものですか?」
 確かに、海藤ほど目立つ者がいたら騒ぎは大きくなるかもしれない。
(あんまり、目立って欲しくないし・・・・・)
貴央にとっての初めてのバザーを楽しみたいとは思うものの、それとこれとは話は別だ。・・・・・そう、真琴は妬いているのだ。
 「ほら、マコちゃん、行きましょ」
 綾辻に促され、嫉妬する一方で、皆を怖がらせずにちゃんとやっているのかとも心配な真琴は、貴央の腕を引っ張って廊下を
急ぐ。
 その廊下にももう客が姿を現していた。
しかし、もも組の前まで来ると、それまでの教室で聞こえてきたような賑やかな話し声は聞こえない。
(ど、どうしたんだろ・・・・・)
真琴はそっと中を覗き、その瞬間ポカンと口を開けてしまった。
(こ、この数って・・・・・)
中には既に10人以上の客がいて、彼女達は皆パイの売り子、海藤の顔をうっとり見つめていた。



 「本当にすみません」
 渡された黒いエプロンを身につけた海藤は、何度も謝る松田にとうとう苦笑してしまった。
これは無理やり押し付けられたものではなく、海藤から進んで手伝うと言いだしたのでそこまで気遣って貰わなくてもいい。
 予備の黒いエプロンを付けた海藤は、出来るだけ口調を穏やかなものにするよう心掛けた。
 「みなさん、急遽手伝ってくれることになった海藤さんです」
 「海藤です、よろしくお願いします」
 「え、嘘っ」
 「海藤さんっ?」
 午前中、海藤と一緒に売り子をすることになったもも組の母親達は、突然の海藤の登場に驚いたようだ。
しかし、直ぐによろしくお願いしますと挨拶を返される。眼差しの中に戸惑いや嫌悪の色は無いので安心してもいいのかもしれな
い。
 「私は何をしたらいいでしょうか」
 「え、えっと、あのっ」
 「そこに立っていてくれるだけで十分です!」
 「・・・・・」
 何も出来ないのだろうと思われるのは仕方が無いが、せっかく手伝うのならば出来る限りの協力がしたい。
 「・・・・・」
その時、ドアの向こうに人影が見えた。教室の中の時計を見上げると10時を少し過ぎている。
(じゃあ、あれは客か)
 「・・・・・いらっしゃいませ」
 海藤は少しだけ口元を上げて、中を覗き込む相手を見つめる。
若い母親らしい彼女達の目が驚いたように見開かれた。



 「あ、あの、これ!」
 若い女が緊張したように海藤にパイを差し出す。
それを受け取った海藤は相手の目を見てありがとうございますと言った。
 「お一つでよろしいですか?」
 「あっ、マ、マドレーヌも3つ下さい!」
 「はい」

 何だか妙に緊張感がある光景だ。
かなりの客がいるのに、彼女達はみんな海藤の前に1人ずつ立って商品を買っているのだ。
 「モテモテね」
 「・・・・・」
 予想はついていたとはいえ、その光景を自分の目で見るのはあまり気持ちが良いものではない。
思わず貴央と繋いでいた手に力を込めると、貴央が痛いよと声をだした。
 「あ、ごめんっ」
 慌てて真琴が謝ると、その声で自分たちの存在に気付いたらしい海藤がこちらを見る。
 「真琴」
社交辞令ではない、本当に思わず浮かべてしまったような海藤の笑みを見て周りは溜め息をつき、そして海藤の視線を追うよう
にして入口に立つ真琴達を見た。
 幼稚園の父兄ならば海藤が呼ぶ相手が誰かは当然知っているが、たまたま来ている外部の人間には真琴=女という方程式
が成り立っているのか、どこよとお互い囁き合っている者も相当いる。
 「ほら、マコちゃん」
 「で、でもっ」
 「社長が呼んでいるんだから行かなくちゃ」
 綾辻に腕を掴まれた真琴は居たたまれない思いのまま教室の中に入る。
すると、綾辻の華やかな美貌に目を奪われた視線が自分まで突き刺すように感じてしまった。
 ただ、綾辻はそんな視線には慣れているせいか返って笑いながら手を軽く振ったりしている。そして、もう1人・・・・・。
 「おとーさん!」
貴央はそう叫ぶと海藤の側に駆け寄った。自然にギャラリーは遠巻きになり、海藤は長テーブルに片手を着いて身を乗り出すよ
うにしながら貴央に笑い掛けた。
 「今来たのか?」
 「うん!」
 「あまり買い過ぎるなよ?虫歯になる」
 「・・・・・は〜い」
不承不承に頷く貴央の髪を撫でると、海藤は再び真琴に視線を向けてきた。



 パイは順調に売れてはいるものの、1つ1つでは効率が悪い。
松田からは全て売り切ると役目は終わりだと聞いていたので、海藤は真琴に手伝ってくれと頼んだ。すると、綾辻も面白がって、
パイとマドレーヌを手に持ったまま廊下に顔を出し、
 「もう直ぐ売り切れちゃうわよ〜、お早めにね!」
と、にっこり笑って言えば効果てきめん、教室の中はあっという間に満杯になった。
 「1つ下さい!」
 「私も!」
 「みなさん、ちゃんと並んでね〜。あ、そこ、押しちゃったりしないよーに」
 人当たりの良い綾辻の笑みは皆を動かし、用意していたパイはあっという間にはけていく。
 「す、凄い」
 「初めから綾辻に頼めばよかったかもな」
自分の雰囲気が硬いからなかなか売れなかったのだろうと思えば、テーブルの下でギュッと真琴が手を握ってきた。
 「海藤さん、すごく頑張ってました。それに・・・・・みんな、見惚れてたし。綾辻さんがいてくれてちょうど良かったかも」
可愛い真琴の言葉に海藤は目を弛ませると、自分からもしっかりと握った手に力を込めた。





                                   





次回、少しだけバザーの話があって・・・・・。
その次は多分、家庭訪問。