マコママシリーズ





第四章  幼稚園入園編   12






 答えは・・・・・なかなか返って来なかった。
考えて考えて告げた言葉をちゃんと受け止めてくれるかどうか、この沈黙の時間の長さだけ不安が膨らむ気がする。
 「・・・・・」
(・・・・・え?)
信じているつもりでも不安が襲って、真琴はおずおずと顔を上げる。すると、目の前にいた海藤は片手で目の辺りを覆うように俯
いていた。
 「・・・・・海藤さん?」
 「・・・・・真琴」
 ようやく呼んでくれた海藤の声は、心なしか少し湿っているように感じる。
 「俺は、お前が俺にくれている愛情を疑ったことは無い。真っ直ぐな目を向けてくれて、家族まで与えてくれて・・・・・本当は、そ
れだけでも今の俺には過分な幸せだと思っていた」
そう言って、ようやく手を除けて視線を向けてくれた海藤の表情は、普段のもの静かで自信に満ちた、何時でも真琴を支え、守っ
てくれている彼とは少し違う、どこか戸惑った様子だった。
 「だから、本当は望んではいけないと自分に言い聞かせていたんだ」
 「望んではいけないって・・・・・」
 「当たり前じゃない世界にいる俺の運命に、お前や貴央を巻き込んだらいけないと・・・・・。何かあったら、お前達を手放す覚悟
をしなければならないと、心のどこかで考えていた」
 「海藤さん・・・・・」
 まさか海藤がそんなことを思っていたとは全く考えたことも無かった。
何時でも自分や貴央を守ってくれると言っていた海藤と自分達が離れることなんてあるはずが無い。そう信じられたのは海藤の
深い愛情があったせいだと思うが、そんな中で海藤は別れを考えていたのはとてもショックだった。
 しかし、多分海藤は、離れていても自分達を守ってくれるつもりだったに違いない。危険から自分達を遠ざけ、共に暮らすことが
出来なくなったとしても、それでも愛情は消えないという自信があるからこそ、口でその可能性を告げることは無かったのだろう。
 どう、海藤に説明したらいいだろうか。何があっても海藤の愛情を疑うことは無い、離れるなんて考えてしまうのさえ嫌だ。
 「お、俺っ」
 「でも・・・・・真琴、俺は嬉しいんだ」
 「・・・・・」
 「海藤という名前でお前を縛ることが出来て・・・・・嬉しい」
 「・・・・・っ」
真琴は反射的に立ち上がると、海藤の身体を抱きしめる。こんなにも大きくて強い人なのに、抱きしめたくてたまらなくなった。
 「い、一緒に、ずっと一緒に生きて下さい・・・・・っ」
(離れるなんて、考えることも止めて・・・・・)
 「お、俺のものに、なって下さい」



 「俺を、海藤真琴に、して下さい」

 不意に真琴から言われた言葉は、海藤にとっては夢にまで思うほど望んだ言葉だった。
実際に、何度か真琴にもそれを告げたし、貴央が生まれてからはその存在を引き合いに出して迫ることもあった。
 海藤にとっては真琴を言葉で籠絡することは難しいことではなかったし、もう少し強く押せば貴央のことを考えた真琴がその提
案に頷く可能性もあった。
 ただ、一方で海藤がそこまで強く出なかったのは、真琴と貴央を自分の運命に巻き込みたくないという気持ちもあったからだ。
一緒に暮らしていても、たとえ血が繋がった子供であっても、籍が入っていなければ辛うじて他人だと言い張ることも出来る。
共にいたい。
でも、危ない目に遭わせたくない。
離れて行かないで欲しい。
距離を置いておかなければ。
 入り乱れていた気持ちは真琴と貴央の側にいることで鎮まり・・・・・真琴は自分が逃げていたと言ったが、結局は海藤も逃げて
いたと同じなのだ。
真琴の躊躇いを利用していた。
 「海藤という名前でお前を縛ることが出来て・・・・・嬉しい」
 そんな自分の弱さを吐露すれば、真琴は怯えることなく抱きしめてくれた。
 「い、一緒に、ずっと一緒に生きて下さい・・・・・っ」
震える声が、真摯に想いをぶつけてきた。
 「お、俺のものに、なって下さい」
 「・・・・・真琴・・・・・っ」
胸が、苦しい。
幸せで、信じられないほど幸せで、海藤も真琴の身体を抱きしめる。
 「・・・・・家族になるんだな」
 「・・・・・はい」
 「俺と、ずっと一緒に・・・・・いてくれるんだな」
 「そう、ですよ。たかちゃんは、大きくなったら離れていくかもしれない、けど、俺は、俺達はずっと一緒にいましょうね」
きっと、幸せになれるから。
耳元で何度もそう言ってくれる真琴の肩に顔を埋め、海藤はしばらくそのまま動くことが出来なかった。






 「へ〜、社長泣いちゃったんだあ」
 「な、泣いたって、そんなわあわあ泣いたりしませんよ?ちょっと涙ぐんだぐらいでっ」
 海藤の威厳が損なわれては大変だと慌てて言い訳をするものの、自分が手土産に持ってきたシュークリームを綺麗に食べな
がら綾辻はふふっと悪戯っぽく笑うだけだ。
(ど、どうしよ〜っ)
 あの日、何だか海藤と2人して泣き続けてしまった気がする。
もちろん、真琴のように海藤が涙を流すことは無かった・・・・・と思うが、少しだけ赤い目をした海藤はその夜、真琴を抱きしめて
眠った。
 それから数日、今日突然遊びに来た綾辻はなぜかあの夜のことを知っていた。

 「マコちゃん、社長にプロポーズしたんだって?」

まさか、海藤が話すとは思わなくて一瞬頭の中が真っ白になってしまった真琴は、問われるままにその時の状況を話してしまい、
今こんな風にずっとからかわれていた。
 「あ、綾辻さん、本当に海藤さんは・・・・・」
 「ふふ、分かっているわよ」
 「・・・・・え?」
 「社長が克己に、養子縁組の手続きのことを聞いていたからピンと来たの」
 「・・・・・え?じゃあ・・・・・」
(海藤さんが全部話したわけじゃなかったんだ・・・・・)
 綾辻の思わせぶりな態度に勝手に自分が反応してしまったのだとようやく分かった真琴は、はあと大きな溜め息をついてソファ
に座りこんでしまった。
 せっかくの記念の夜を全部話してしまったことを後悔したが、
 「おめでと、マコちゃん」
その綾辻の祝いの言葉に、結局は苦笑をした。
多分、海藤はこうなることを予期したと思う。
(俺が綾辻さんに勝てるわけ無いもんな)
 「でも、今すぐには籍を入れないって言ってたけど」
 「はい。俺が、日にちを決めさせてもらって」
 ここまできたら秘密にすることでもないので、真琴はこくっと紅茶で喉を潤して言った。
 「何時?」
 「海藤さんの誕生日です」
 「あー・・・・・なるほど。お祝いを二重にするのね?」
 「二重っていうか・・・・・海藤さん、自分の誕生日をあんまり気にしないから、入籍記念日にしたらきっと大事にしてくれるかなっ
て思ったんですけど・・・・・」
真琴と出会う前まで、海藤は自分の誕生日というものをただ一回機械的に歳を重ねるだけだと思っていたらしい。
 子供の頃は育ての親でもある菱沼夫妻から祝ってもらっていたらしいが、それでも子供が純粋に誕生日を喜ぶようには思えな
かったと言っていた。
実の両親のせいではなく、単に自分の性格だからと海藤は淡々と言っていたが、真琴は本当にそうなのだろうかと思ってしまっ
た。
 ただ、過去は今更戻らない。それならば、これから先のことを考え、海藤にとって自身の誕生日を迎えるたびに幸せで穏やかな
気分になって欲しかった。
 「ふ〜ん、いいわね」
 「・・・・・本当にそう思いますか?」
 秋まで待つより、もしかしたら今直ぐの方がいいのかもしれないとも思ったのだが・・・・・。
 「ええ」
しかし、しっかりと頷いてくれた綾辻に、真琴はようやく自分の考えに自信を持つことが出来た。



(社長の上機嫌はこのせいだったのねえ)
 普段からあまり感情の起伏を見せない人間だが、ここのところずっと雰囲気が穏やかだった。
そのおかげで倉橋も最近はとても優しくて、綾辻はなぜそうなのかとどうしても理由が知りたかったのだ。
 「お祝い、今から考えておこうっと」
 「そんな、お祝いなんていいですよ。むしろみんなを集めて俺達がお礼をしなきゃって思っているくらいだし」
 「喜んでくれる人、一杯いるものね」
 「・・・・・はい」
 嬉しそうに笑う真琴を見て綾辻は目を細めた。
貴央を生んで強くなった真琴は、母親のような大きな愛情で海藤を包んでくれている。ただし、その中にはちゃんと愛情というもの
もあるので、優しいだけの感情でも無い。
 ある意味、本当に理想の相手を見つけた海藤は、きっとこの先幸せになってくれるはずだ。
(そうしたら、私も克己もハッピーだし)
 「じゃあ、社長のお料理を楽しみにしている方がいい?」
 「それはもちろんです!」
 「そっか〜」
 「倉橋さんとゆうちゃんも、みんなで来て下さいね」
 「了解」
綾辻は直ぐに頷いた。



 貴央は幼稚園に慣れてくれ、毎朝ぐずることも無い。
一度だけ、熱が出て幼稚園を休むことになった時も、どうしても行きたいと泣き喚いたくらいだ。
 今日も、貴央は元気に真琴の手を離して園の中へと掛け込んで行った。
 「こけるよ〜!」
そのまま行ってしまうだろうと思っていた貴央は、建物に入る前に立ち止まり、真琴に向かって大きく手を振ってくれる。
 「いってきま〜す!」
 「行ってらっしゃい!」
 負けないように大きな声を出し、手を振って車に戻ろうとした真琴は、
 「海藤さん」
 「え?」
不意に呼び止められて立ち止った。振り向いたそこには、同じクラスの若い母親達が数人立っている。
 「今日、時間ありますか?」
 「時間ですか?」
 挨拶はするものの、まだ親しく話せる相手はそんなに多くなかったはずだ。いったい突然どうしたんだろうと内心焦りながらも、真
琴は柔らかく問い掛けた。
 「お遊戯会のことで話があって」
 「お遊戯会?それって・・・・・」
(確か、7月の始めだっけ?)
 夏休みに入る前の、最後の大きな行事だったなと思い出す。
最近、貴央も幼稚園で色んな踊りや歌を習っているんだと家でも歌いながら踊っていた。
 「で、でも、俺はバザーに参加したから、お遊戯会の準備係はしなくてもいいって聞いたんですけど・・・・・」
 「ええ、手伝いの話じゃないの」
 「じゃあ?」
 「その時、父兄で人形劇をするんだけど、男性の参加者がなかなか集まらなくて。ぜひ、海藤さんに参加して欲しいと思うんだ
けどどうかしら」
 「人形劇?」
いったいどんなことをするのか、その話を聞いただけでは分からなくて聞き返してしまった真琴は、既にその時点で母親達の作戦
に嵌まっていた。





                                   





入籍話はいったんここで終わり。
次はお遊戯会です。まこちゃん何をやらされるのやら(汗)。